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下書き止まりの意味

noteでも何でもそうだが、完成出来ずに下書きで終わってしまい世に出ない文章、作品は数知れない。
どうして下書きで終わってしまうんだろうか?
こんな疑問から書き始めたこの文章、書きながら既に世に出ることは無いんじゃないかと訝しんでいる。

理由は簡単だ。
論文などは結論ありきで書くだろうから、文量や巧拙の差はどうあれ世に出る可能性は高いだろう。

翻ってこの随筆でも詩でも小説でもない、もちろん論文でもないこの文章はどうだろう?
正直、思いを綴ってるだけで結論なんて出せそうにも無い。
完成とは結論のあるものと考える人(私)にとっては、結論の無い文は意味のない文字の羅列と同義だと感じてしまうのだから。

ここまで書いてふと気付いた。

あ、そういうことか。
最初から結論は出ていたわけだ。
結論が欲しいのではなく、文章の終わり方が分からないんだ。
自分で納得出来る理由が「結論」しかなかったら、結論無き文ではどこで完成とすれば良いのか分からずお蔵入りとなってしまうのは当然だろう。

と、結論が出たので公開しようか。
文の終わり方は分からないけど。

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