穏やかとは
最近、本当にここ最近のことだが、友人から「穏やかな人」だと評されることが多くなった。
私のどこを見ての評価なのかは、じっくり話をしてみないと正確にはわからないんだが、話の流れから想像するに敵対的な言動や闘争心が鳴りを潜めているからのようだ。
たしかに、強い自己主張や意思表現が減れば感情が平坦になり穏やかになったと捉えることも出来るなと納得したところである。
しかし、よくよく考えてみると、それは穏やかという表現が適切とは言い難い状態だろう。
山谷が無い状態とは、つまり感情の起伏を失っているということ。
怒りも悲しみもないのでそれ以上落ち込まず、楽しい感覚もないので盛り上がることもない。
あるのはただ空虚な日々のみ・・・
それって穏やかなんだろうか?
そして生きていると言えるんだろうか?
このような感覚を覚えていた頃から約1年。
多くの人の支えに気付き、自分自身の目標を思い出し、一歩を踏み出す勇気を得て、今やっと穴蔵から出る決心がついた。
2022年は私の「脱・穏やか」の年に出来るに違いない。
いや、そうしようではないか。
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