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「そっくりなら写真でいい」は本当か?

「鉛筆や色鉛筆、油彩でこんな表現が出来るなんてスゴイ!」と、超絶リアルな絵がネットニュースでも取り上げられることが増えています。
素晴らしいテクニックだし、あのリアルさはインパクト大ですよね。

その一方で「リアルを追求するなら写真でいいじゃん」という写実否定派の意見を目にすることがあります。
まぁ、半分やっかみからの発言なんでしょうけど理解出来る部分も無いわけではありません。

リアル系の細密画を描く私がそんな風に感じてしまうのは理由があります。

作品とは?

まず考えなくてはいけないのは、リアルな絵と写真は同じ評価基準なのか?という点です。もし、同じなら写真でいいじゃん派が一理あることになりますが、考えるまでもなく違います。

絵には絵で表現したい制作意図があるはずです。
作家としては作品を通して何らかの意思、心情、意図、主張などを伝えるために、構図、表現手法、技術などを駆使して制作しています。
写真模写は技術表現の最たるもの。つまり、技術以外の部分は制作意図を含めて全てが写真家からの借り物になります。

以前、別な記事にも書きましたが、そっくりに描くことだけを目的とするなら、点数が出るカラオケと一緒で描いている本人が納得出来れば、それで良いことになります。
もちろん、技術アピールから仕事に繋がるケースは多いため、技術サンプルとしての側面があることは私も認めるところですが、作品として認められるか?という話とは別な評価軸です。

「私の作品」とは?

そしてやっと今回のお話の核心部分です。

「気に入った写真があったのでそっくりに描いてみました。描いたのは私なので、私の作品です」はアリなんでしょうか?
たしかに描いたんでしょうけど、写真作品を模倣しているため、"誰の作品か?"と聞かれれば撮影した写真家になるでしょう。(著作権の基本的な考え方)

分かり易い例を挙げると、街で聞こえて来た曲を耳コピーして自分で演奏したからといって「私の曲です」とは言えないのと同じことです。

もっと言ってしまうと、元写真として著作権フリー素材を使ったからといって胸を張って私の作品です。とは言えないということです。
著作権を放棄していたとしても(素材を購入したとしても)、作品に必要な制作意図や主張などを写真から借りてることになるため「写真を模写して描きました」に、どこまで作品としての価値があるのか微妙に思う人が多いはず。
その微妙さが「写真でいいじゃん」に繋がってるのではないでしょうか。

肯定派は模写の技術力、インパクトを評価して作品と判断しており、否定派は純粋に絵としての魅力が元写真に負んぶに抱っこなことを否定しており、見ている観点が違うことで評価が二分されているわけです。

世間一般の認識と一緒かどうかは別として、写真模写と絵画、写真はそれぞれ評価基準が違うため、一概にどちらが正しいとか間違っているとか判断出来るものではなさそうです。
だからこそ議論が巻き起こるわけで、最後には感情論で言い合いになって終わりですね。

私も過去に何人か同じ疑問をぶつけてみましたが、答えは三者三様。
写真模写をしてるAさんは元写真について明かすことはなく、それでも自分の作品だと主張し、同じくBさんは作品とはいえないと断ずる。
作家でもやはり意見が食い違ってるわけです。

結論

そんな中ですが、敢えて私の意見を述べて(身勝手に)結論にしてしまいましょう。

写真家だった私からすると、撮影意図の表現手段として構図やライティングを考えているのに、それを模倣され「私の作品です」なんて言われたらカチンと来ます。
大切にしているモノを掠め取られたのと同じ感覚です。
ですので写真模写を作品とは呼びたくありません。(感情論ね)

しかし細密動物画家としては、模写の技術を認めています。

認める部分があるということは、そっくりであっても写真とは違ったベクトルの魅力を持っているということになります。

まとめると・・・
「そっくりなら写真でいい」とは思わないが、作品としては認められない。
というのが私の結論です。

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