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お彼岸に想うは次なる決意?!

秋のお彼岸ですね。今回が妻が亡くなって5回目です。
何回目なのかは私にとってすら重要な情報ではないんですが、なぜか数えてしまうんですよね。不思議なものです。
そして、もう5回目というのは随分と時の流れが早い気がします。
毎回のようにお寺に足を運んでくれたり、自宅にお線香をあげに来て友人達も1人減り2人減りと、残りはわずか数人。親しい友人が多かった妻ですら5年も経つと人々の記憶に残り続けることも難しいということかもしれません。
記憶に霞をかける時の作用は驚くほど強力ですね。

ところでこの5年間、私はいったい何をしていたのでしょうか?
SE仕事はもちろん、絵や文章の制作、家事、その他もろもろ、雑用もたくさんやっていたような気がします。
それから庭木の剪定など、これまでやっていなかったことにも時間を割くようになりました(他に誰もいないというのも理由ではあるんですが)
そんなこんなで5年かけて分かったのは、家事含めて1人でどうにでもなるということでした。

妻が亡くなってから事あるごとに「家事、1人じゃ無理だよな」と言われれば、無能に思われてるようで嫌だったし、「親にやってもらえば良いんだよ」と言われれば、お年寄りの面倒くらい見られなくてどうする。なんて思ったものです。
もちろん今もその考えは変わること無く、少ない時間をやり繰りして全て1人で片付けることを是として暮らしてます。
加えて、次の5年間でやりたいことを形にするために、知識や技術を身に付けたい気持ちも強くあります。
これも時間を無駄にしないよう、しっかり方針を決めて行動計画を練る必要があります。まだ準備段階ですが、そろそろ本腰で進めなくてはなりません。

となってくると、足りないのは一も二もなく時間です。
睡眠時間を削るのも限界があるし、マルチタスクで同時処理出来るタスクも相性があり時短も限界かもしれません・・・

と、ここまで読まれて気付いたのではないでしょうか。
正直に言いましょう。
妻が亡くなったことを言い訳に人との親密な交流は避けて来ました。
表面上はフレンドリーを装い、親密さを求めるてるように取り繕って来ましたが、その内情はとても空虚で、仮に相対し私の瞳に像が映っていても輪郭以外何も見えていない状態です。
私と一緒にいると、さぞ居心地が悪かったことでしょう。
先の親しい友人がどんどん減っている理由の1つがこれですね。

そんなこんなで、今までかなりの時間、内面を凪に保てないような強い刺激が入り込まないよう「空虚」という殻に閉じこもっていました。
ただ何も考えず、日々を惰性で生きるだけなら何の問題も無かったんですが、まだ微妙に残っている一生をちゃんと消化するために、これ以上、人間性を捨てるわけにはいきません。

さてさて。
こんなことをお彼岸に記事にするのには理由があったりします。
今を記録するという意味もあるんですが、それ以上に今このタイミングで決意表明をせねば。と感じる出来事があったからです。
そんなわけで、次の宣言をします。

新たな繋がりを増やし、コミュニケーション強化を進めます!

当面の目標は、今までによく言葉を交わすにもかかわらず、お互いに連絡先も知らない「顔見知り」程度の人が多かったことを解消します。
積極的に連絡先を交換し、慢性化している「一歩引いた状態」をやめます。
どのくらいまで進められるか分かりませんが、当面の数値目標は年間50名。
少ないように見えるかもしれません。しかし、コミュニケーションの深化が無いと連絡先の交換なんて出来ません。
深化するには本質的な意味での人付き合いが必要になります。
つまり、この宣言は見た目より内容がハードです。

とまぁ、途中で挫けるかもしれませんが、やってみないことには何も変化しません。とりあえずチャレンジです。

では、ネットワークを広げた先に何を望むのか?
当然行動を起こすからには目的、目標があります。
なんて言うと、「下心か?」「再婚したいのか?」なんて下世話な返しをして来る人が一定数いますが、そうではありません。
絵の制作、文の創作、新たなビジネスの創出、加えて日々の生活、心の安定など、私の今後の行動全てに於いて必ず人との交流、関わり、豊かな人間性が必要になります。
ビジネス的に言えば人脈は財産であり、潜在顧客であり、宣伝者でもあります。
こういった強力な味方を持つことが私にとって重要な意味を持つことになるはずです。

それからもう1つ。
毎日近所を散歩しているご夫婦を見ていると、こういうのも有りだなぁと。

ということで結論です。(かなり回りくどかったですが・・・)
友人でも何でも関係なく、お散歩仲間がいる生活って憧れますね。

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