23歳で得た知見②

過去に責任を転嫁しない 

 自分はよく、「今」の自分の責任を「過去」に押し付けようとする。例えば、ある資格の勉強する必要があるとする。勉強に取り組むが、中々進まない。すると、過去の自分の生活を振り返って「あー、あの頃はまだ時間があった。その時間で資格の勉強しておいたらなあ」と、考えたりする。

 でも、そんなのははっきり言って、まったくの無意味である。あの頃はあの頃で忙しかったし、やることは他に沢山あった。4月からは違う勉強をしていた。その勉強にしたって思ったようには進まず、予定通りに進むのは難しいんだなと思った。疲れて帰って来た日の夜なんて、やりたくても力が出なかったのだ。

過去の自分に責任を押し付けないこと。あの時の自分が結論付けたことなんだから、それについて今の自分がとやかく言うのはやめよう。言ってもどうにもならないのだから。



今のメリットを思い出す

人は過去を美化してしまうもの。今が苦しいと、やたら自分の過去を美化してしまい、「あの頃は良かったなあ」なんて考えてしまいがちになる。違う。あの頃はあの頃で戦っていた。ボヤート生きていたわけではないはずだ。

 大学院に通うこれからの1年半。多分仕事をしていた時の生活が懐かしくなるのだろう。でも仕事をしていた時は、それはそれで大変なことも沢山あった。仕事をしているが上に、自分の思っている生活を送れない場面も多かった。


 朝。仕事している時は、起きたらすぐ顔を洗って、パンを食べ、職場に行かないといけない。もしこれが院生なら、起きてからしばらくは布団の中で本を読み、そして一番冴えている頭で、研究を考えることができるのに、そう思いながらも、仕事に行き、電話の対応に追われていた。どんどん「深く」考えることが苦手になっているなと思いながらも、電話に出ないわけにはいかなかった。そういえば、仕事初めて数カ月は、起きるのがすごい苦痛だったな。

 昼。ご飯を食べた後、よく職場近くの図書館にいって昼寝をしていた。起きた後は頭がボーとする。本当はまだこの余韻を楽しんでいたい。新聞でも読み、外の世界に思いを馳せ、深呼吸してから現実に戻りたい。けれど、悲しいかな、昼休憩の1時間ではそんなことをしている余裕はなかった。

 夜。疲れて何もできない日も結構あった。精神的肉体的にも疲れている。ご飯を作るのも嫌で、適当にオカズを探し、もう冷蔵庫が空っぽになったことに絶望する。夜は楽しい時間のはずだが、ラインを返して、漫画を読むのが精いっぱい。次の日の仕事のことを疲れた頭で考えて、既に何回も読んだ本をパラパラ2,3ページと読んで(読書と呼べないかも)眠りに落ちる。そして同じような明日が始まる。


 院生は確かに大変。だけどもその分、知的生産の時間は格段に増える。仕事では、箱罠に米ぬかを入れたり、回ったりだけなど、おおよそ知的生産とは程遠い時間ばっかりで、嫌なわけじゃないけど、本当に意味があるのかななんてたまに思っていた。だからそう意味では、自分の能力を伸ばせると思う。インプット量は格段に上がるだろうし、何かについて深く考える力も上がる。長期間かかる論文を仕上げることは自信につながるだろうし、てか、多分人生でこんなに机の前で頭を使って考えるのは、これで最後になるのだから。

 逆に言うと、仕事の時より院の方が、やっているに負荷がかかっている。だからそれに取り組む時間はもっと少なくて良いかも知れない。仕事は7.5時間だったけれど、本当に頭を使っていた時間はどのくらいあっただろうか。頭をフル活用できるのは、多分3時間くらいしかないんじゃなかろうか。まあ、根詰め過ぎすに、毎日少しずつ前進できたら良しとしようではないか。


自分軸

 坂本竜馬が剣術の鍛錬のため、江戸に滞在していたとき、周りの同世代は尊王攘夷を叫んで様々な活動をしていた。周りからは意欲がないと思われ、竜馬自身も「俺はこんなところで、剣を振っているだけでいいのか」という気持ちになったという。でも、「今は剣の腕を上げる。それしかない」と開き直って、剣を振り続けたことが、後々の活躍につながった。


 自分自身が一歩でも前に進むことを目的とする。つべこべ言う前に鍛錬に励む。それが一番の近道かも知れない。


時には、比べることも大切

 時には人と比べて、安心することも必要だ。上ばっかり見てたら頭と首が痛くなる。

 Nくんは、家でニートをしている。ゲームやアニメなど趣味に没頭しているようで、本人は割と楽しそう。自分もちょっと羨ましく思った。好きなことだけに囲まれた日々って楽しそうだなあ、と。まあ自分の性格的に、ずっとそういう生活をするのは耐えられないのだろうけど。キツイ時、今の生活の意味が分からなくなりそうな時は、彼のことを思い出す。「彼よりは充実した日を送っているだろう」と思うと、少しだけ安心する。

 働いている人も、みんなバリバリ働いているわけではない。意外とみんな仕事をさぼっていた。やることはやるけれど、それ以外はしないという感じ。「こんな感じなんだ」と思うことで、だいぶ自分の仕事のプレッシャーが減った。完全なる仕事なんて目指さなくていい。チャイムがなれば、仕事は終わり。

 素晴らしい論文をかけたら、もちろん嬉しい。だけどもそれは理想であって、2年という限られた時間の中で仕上げるのは実は不可能に近かったりする。学部のとき図書室である人の修士論文を読んだ。「え?」って思うくらいまとまってなくて、メチャクチャだった。その人だけじゃなくて、意外とみんなあんな感じなのかも知れない。

 上を見るのは大切だが、自己否定に沈んだら元も子もない。「自分だってなかなか、」と思うくらいが丁度いい気がする。


メリハリをつける

 これが一番大事かも知れない。仕事をしていた時だって、ツライ時は土日があると思えたからこそやってこれた。仮に土日がなかったら、何のために頑張るのか分からくなっていたであろう。それで土日は、思いっきり自由なことをした。朝だけちょっと頑張って難しい本を読むときはあっても、それが終わったら完全フリーダム!その時は仕事のことなんて一切を忘れる。あと、帰ってからも仕事の事は考えない。イギリスで行われた調査によると、帰って来てから仕事について考えるだけでストレスが上がるという、キッパリと切り離した方が良さそうだ。

 ある意味、勉強・研究も仕事の一種である。仕事には休みが必要なのであって、休みなしだったらブラック企業である。ドーパミンが出ることをしよう。


あと、空白の時間をつくろうと思う。ボーとする時間のことだ。

仕事のときは、車の移動があって、その時は特に意識してこれを考えるという事はなく(というか運転中は危ない)、それが良いリフレッシュになっていた。考える時間とボートする時間をキッチリ区別する。ボーとすることで、頭を休ましてやる。


辛い朝には、敢えて自信も持とう

 実家にいるとき、辛い朝が何度かあった。起きる気はしないけれど目は覚めていて、やるべきことはいくつかあるけど、力が出ない。こういう時欠けているのは大抵自信。この時は、根拠のない自信でよい。「自分はすごい」とこう思うだけで、生きる力が湧いてきたりする。無理やりでいいから、そう思ってみること。あと朝は、とやかく考える前に何か行動に移した方が上手くいく。やっているうちに、気持ちが上向きになってくるのだ。



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