23歳で得た知見①

 大きく環境が変わったこの1年。忙しくて物事をまともに考えられない日も、暇すぎてロクでもないことを考えた日もあった。今の生活は耐えられないと感じる時も、今の生活は恵まれていると感じる時もあった。

 タイトルに「身に付けたもの」と書いたが、いったい何が変わって、何が変わらなかったのか、それを明確に判断するのは難しい。そしてそれを、まとめることはもっと難しい。

 けれどもあえて、まとめてみようと思う。それがいつか、この1年を振り返るときの材料になるから。


①生活のための知識を得られた

 まず、一つ目は生活に欠かせない知識を得られたということだ。引っ越しはこれまで何回がしてきたが、今回は知り合いの空き家を借りるということで、初めてガス・電気・水道の開通などを自分で行った。引っ越してきた当初は大変だった。wi‐fiのプロバイダーと契約したり、カーテンレールを取り付けたり。電気屋を回ってウィンドウエアコンを購入し、自分で取り付けたのは今でも記憶に残っている。

 今まで、知らないことをするのが苦手だった。例えば、電球の交換。恥ずかしながら今まで一回もやったことがなかった。だから電球が消えそうなときは「自分がこの家に住んでる間はもってくれ」といま考えたら謎なお願いをしていた。願いむなしく、途中で電球が切れてしまったので、渋々調べた。意外とどこにも電球を打っているのだということを知り、購入して取り変えた。思っていたより全然簡単。そして一回やれば、苦手意識などどこかへ吹き飛ぶ。

 車検や家探しなども初めてやった。どちらも今まで「面倒くさい」「できたら誰かにやってもらいたい」と思っていたことだったが、一回やると手順が分かり、次はもっとスムーズにできる気がした。人間、自分の知らないことに対しては、ハードルを余計に見積もるようだ。


 他には「身に付けた方がいいとは分かってはいるが、面倒臭くて後回しにしていること」も行えた。

 例えば、ヘアーセットの仕方。本当はもっと正しい方法があるのだろうなと思いながら、いつも我流でセットしていた。ちゃんと調べて要点を書きだした。完ぺきとは言えないものの、前よりは幾分マシにはなった。また、服装。服を買うのも嫌いで、ずっと家にある服は着回していたが、少しずつ変えていこうと思い立ち、何着か買った。やっぱり自分で選んだ服は、そうでない服に比べて愛着が湧く。大切に着ようという気にもなるものだ。
 あとシャンプーや香水も買ったりした。貧乏性ゆえ、こういうのを買うのは勿体ないなと思ってしまうのだが、ちょうどその時期、自分の中でおしゃれブームが来ており、この機を逃したら次がないと思って買った。タイミングが大事なのだ、あらゆることは。


 今まで苦手に思っていたこと、それはお金関係のこと。税金やら年金やら扶養やスマホの通信料やらは、ずっと良く分からない分野に入っていた。調べてみようと思わなかったのだ。イヤイヤながら、そっと触れていった。面白いもので、最初はちんぷんかんぷんで頭がショートしようになるのだが、調べるうちに段々と掴めてくる。ノートに書き出したら、なおのこと良く分かった。


 今まで、できれば避けて通りたいと思っていたことが何個もあった。でもこの1年、それらに触れるタイミングで、一回とことん調べてみようと自分から触れてみた。そうすると、感じたこと。それは、

「どんなことを、やればできる」

ということだった。最初の一歩が中々踏み出しにくいけど、踏み出してしまえば、後はそこまで障害はない。逃げずに立ち向かってみること。これを体感できたことは良かったと思う。


②自分の得意なことと苦手なことが分かった

 自分の得意なことと、苦手なことが分かった。そのことは二つの良いことをもたらした。一つは、苦手なことをするときは、注意深く行うこと。もう一つは、失敗しても以前みたいに落ち込むことが少なくなったということ。

 自分の弱み。それは、不注意、不器用、飲み込み(理解)が遅い、人の忠告を聞かないことがある、衝動的な所、など。
 ケアレスミスをする。こんなミスをする自分なんて、能力が低いに違いないと一概に考えて落ち込んでしまっていた。以前の自分は。

 だけども今はそうではなくなった。自分には得意分野がある。強味がある。例えば、コミュニケーション力、創造力、行動力、メンタルが比較的強いこと、真面目な所、など。

 ミスをしても、自分の全てを否定する必要はない。社会で輝けないんだと思う必要はない。自分が認められる場所は確かにある。

 そう思えるようになったことは、大きな自信を与えてくれた。

 コロナが流行り始めたあの頃。あまりにも自己肯定感が低かったせいで、生きるのが辛かったことがある。「自信」は絶対に必要だ。過度な自信は良くないが、自信は様々な面で自分を助けてくれると思う。



③地に足がついた

 これには色んな意味が含まれている。金銭的に自立したこと、規則正しいリズムで生活を送れたこと、現実的な目標を挙げられるようになったこと、など。

3つ、具体例を書く。


一つ目。生活の目標について。

 職場で色んな人と働いてみて、「毎日普通に働くこと」「チームの一員として役割をこなすこと」そんな当たり前のことをするのは実はそんなに簡単なことではなくて、そして一番大事だということが分かった。
 「出世する」「大きな成果を出す」。そういうことは全て、日常の仕事の延長線上にあって、いましっかり目の前の仕事をすることが大切なんだということ。


 二つ目。「少しずつ変化していくこと」を実践できたこと。

 今まで自分は「理想主義」な所があって、「〇〇しなければならない」だとか、「〇〇してはいけない」という考え方をすることが多かった。例えば、「一日を有意義に過ごさなくてはいけない」「できていない所は変わらければならない」など。
 そういう考え方は有益なこともある面、それに縛られてしまって、息苦しくなる時も確かにあった。理想の自分と現実が追い付いていないことに否定的な感情を持っていた。

 いつかは忘れたが、こういう考えを思いついた。

 人間、そう簡単には変われない。今から変わろうと決意して変われるなら苦労しない。変わるためには、それを積み重ねて習慣にする。そうして初めて変わったと言える。

 変われないことはむしろ普通で変わるためには長い時間が必要、と思うようになってからは変に力まなくなった。いまできることをコツコツやっていけばいい。それが近道なんだ。上に書いたことと被るが、失敗して、反省することは大切。だが自分を責める必要はない。ただ「次からは気を付ける。今度からは、こういう場合では○○する」と、やれることにフォーカスすることで、前進へとつながるはずだ。それが「現実志向」である。


三つ目。生活の指針として、大学の時は主に「 効率」 だけを重視していたが、違う軸をもてるようになった。「効果」である。人との関係、そして自分にとって大切な時間というのは、効果を重視して初めて得られる。

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