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東京ポップカルチャーグラフィティ

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1970~2020年代までの東京に描かれた若者文化・社会現象・都市風景の変遷を、一つのストーリーにつなげていくことはできないだろうか? 『東京ポップカルチャーストーリー』はそんな…
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#バブル

東京ポップカルチャー50年史③~カジュアル・ニヒリズムの台頭

【連載第③回】カジュアル・ニヒリズムの台頭~恐ろしくクールでリッチだった10代たち1987~1991年。それは言うまでもなく「バブル80’s(バブル・エイティーズ)」として記憶されるべき時代であり、特にこの時期の若者文化の主導権を握った20代の社会人(あるいは年上と遊ぶ女子大生)たちは史上最もリッチな青春を送ることになった。 一方で連載②で描いたように、マスコミの情報発信や大人の提供場所に踊らされるのではなく、自分たちの手で流行や現象を起こそうとする一部の付属/私立校に通う

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東京ポップカルチャー50年史⑤~狂乱バブル80’sの男と女たち

【連載第⑤回】狂乱バブル80’sの男と女たち~TOKYO史上最もリッチな青春 1、ヤンエグの男たちとボディコンの女たちそれはとてつもなく華やかで、余りにも眩しすぎる時代の始まりだった。1980年代の中でも特別な輝きを放つことになった数年間──「バブル80’s(バブル・エイティーズ)」という狂乱のパーティが開場したのだ。 一般的にその定義は旧経済企画庁がバブル景気(*1)と定めた1986年12月~1991年2月とされているが、その間、大人たちは株や不動産の動向に一喜一憂し、大

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東京ポップカルチャー50年史⑥~大学デビューとイベントサークル

【連載第⑥回】大学デビューとイベントサークル~80年代の愛すべきバカたち 前回の連載⑤では、1987〜1991年の「バブル80’S(バブル・エイティーズ)」におけるサラリーマンやOLたちによる史上最もリッチな青春模様を綴ったが、今回は狂乱のパーティに招かれて同じムードを共有していたもう一つの層=大学生たちの動きについて振り返ってみよう。 1983〜1986年の「最初の80年代(アーリー・エイティーズ)」で有名大学の付属校に通う一部の高校生が渋谷でハイスクール・スピリットを描

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東京ポップカルチャー50年史⑦~バブル80’sのディスコカルチャー

【連載第⑦回】バブル80’sのディスコカルチャー〜普通の女の子でも遠慮なく遊べた時代前回・前々回と1987〜1991年の「バブル80’s(バブル・エイティーズ)」における若いサラリーマンやOL(連載⑤)や大学生(連載⑥)の動向を描いてきたが、狂乱のパーティ・デイズを繰り広げたこのTOKYO史上最もリッチな青春の日々を支えていたのは、「眠れぬ夜のためのお伽噺」だった。 ヴィジュアル性が強いTOKYOの数ある若者風俗の中でも、「ワンレン・ボディコン」(*1)ほど存在価値のあった

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東京ポップカルチャー50年史⑧~ジュリアナ東京と最後のパーティ

【連載第⑧回】ジュリアナ東京と最後のパーティ~奇妙でロマンチックな3年間1991年春にバブル経済が崩壊して、TOKYOで繰り広げられていた狂乱のパーティがお開きになって以降、新聞の一面やTVのトップニュースでは「消費不況」「企業倒産」「証券不祥事」「不良債権」「広告費前年割れ」「リストラ」「内定取り消し」「就職難」「カード破産」といった政官財界の浮かれたマネーゲームの代償(ツケ)がうんざりするほど毎日のように報道されていた。 閉店する高級クラブやレストラン、消滅するブティッ

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