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正月に駅伝を見た後に、ふと思いを馳せる。

みなさん、こんにちは。すぎっちです。
箱根はまさかの青学が圧倒的に速かった。群馬での実業団はトヨタ。
富士山大学女子は安定の名城大。そして14日に行われる京都皇后杯も楽しみ!! と、まぁ駅伝が好きで正月休みは毎年見ております。
陸上競技ってどちらかというと個人競技がメインで、自己との闘いみたいな感じだけど、襷のやりとりが「頼む!」「まかせろ!」って感じで良いんですよねぇ。

もちろん、個人戦の試合や競技会でもチームメイトの応援は欠かさないし、
一人で戦っていても決して一人で戦ってるわけじゃないって感じるけど、
やっぱり手渡しで繋いでいくって、、、いいんですよねぇ。

さて、そんな今年の駅伝を見てふと思ったのが異常なまでの青学の速さ。
また今年も新記録を更新するのを見て、5年前のナイキのヴェイパーフライ登場の時を思い出した。
あの時は、「もはや人間の勝負じゃなくて靴の勝負」と思ったものだ。

当時はナイキの蛍光色の靴ばかりが目立っていたけど、今年はアディダスも多かった。ようやく他社の技術力も追いついてきたようだ。国産のアシックスもあった。ガンバレ!

靴底の中身はカーボンやグラスファイバーの板バネで、完全にばね設計(メカ設計の基本)なので単純かと思いきや、疲れた時やスパートで荷重のかけ方やストライドが変わり、簡単な非線形の板バネではダメらしい。
選手にとっては、新素材の反発力を推進力に変換する走り方さえできれば、
疲れずに速く走れて、この靴の力を有効活用できる。
と、言うよりもそうしないと勝てない現実がある。

結果的に選手は、靴の特性に自分を合わせる事ができるかどうかが重要な調整で、もはや自分の走りに合う靴を選ぶ時代では無いのだ。

「走る」という人間にとって単純な行為ですら、結果を求める手段は道具の使いこなしテクニックになっていて、人間を中心にして物事が進んでいないことが判る。
現場の現実は「道具にどう使われるか?」なのだ。(実際はメンタルの部分が大きいので、ちょっと言い過ぎかもしれないが物理手段的にはそういう事だ。)

そういえば、昨年はChatGPTをはじめ、生成AIが話題になった。
エクセルやプログラミングなどの道具の使いこなしはAIに任せたほうが良い時代。AIに使われる人類の未来と符合する。

なんだか、社会の中心から実質的に人間がどんどん隅に追いやられている感じがする。社会設計は人間中心主義が唱えられている。けど、それはきっと理想論なんだろう。
効率的で実質的な社会生活を追求すると、人間なんて非効率、不安定の塊なのだから、そりゃ、隅に追いやられて当然なんだろうなぁ。

社会における人類の位置が、物質軸では隅っこ精神軸では中心。に向かうとするなら、それは具体的にはどんな未来社会なんだろう。でも

オレの場合はもう少し精神修行をしないと中心に行けそうにないなぁ。笑

うまくオチがついた。
今回もくだらない話に付き合ってくれてありがとう。じゃ、またね。


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