学園祭回顧録:中学1年の頃(天童二中文化祭)

【1990年(平成2年)】

僕が初めて「学園祭」というものに関わったのは、中学1年の時の「文化祭」だった。その年の文化祭には、クラスで大きな壁絵を作りそれを展示するという「クラス展示」というものがあり、僕は学級委員だったこともあって、それに深く携わっていた。

まず一番最初に決めたのが、どのようなテーマにするかということであった。いろいろな意見が出たが、当時うちのクラスが合唱コンクールで自由曲として選んでいた「地球よ」にちなんで、「宇宙と地球」をテーマに決めた。ならばどんな壁絵を作る?絵を描くか、それとも模型みたいなのを作るか?これもいろいろな意見が出たが、結局地球の中に爪楊枝でログハウスを作り、その他の部分は全部絵を描こうということに決めた。

作業は放課後を中心に、時には休日に友達の家に集まって行った。夜遅く(といっても19時頃までだが、中学生にしてみればかなり遅く感じられたものだ。)まで学校に残って作業していたこともあったが、それほど辛くはなく、むしろとても楽しかった思い出がある。作業しながら友達と一緒におしゃべりをしたり、他のクラスの様子をのぞき込んで見たり、和気あいあいと楽しんでいた。

文化祭は(確か)11月上旬頃にあったので、大体9月の終わりから10月一杯にかけて壁画制作を行った。その壁画は当日に教室の壁に立てかけられ、それを来場者や審査員が見て審査し、文化祭最後の閉祭式でその結果を発表するという流れになっていた。壁に立てかける時に、その壁画の説明文か何かを一緒に掲示しなければならないのだが、その文章は僕が書くことになった。宇宙から人が降りてきてどーのこーのという、すごく変な文章を書いた覚えがある。

そして閉祭式。合唱コンクールでは決勝進出を果たせなかった我がクラスだが、壁画では優良賞(優秀賞の1つ下)を取ることができた。審査員のコメントの中に、「壁画と説明文が一致していないものがあった」というものがあり、これを聞いて僕は自分の説明文のことだなと思って、ひどく恥ずかしくなった。恥ずかしくはあったものの、賞を取れたときはとても嬉しかった。

用語説明

合唱コンクール:学年ごとに定められた課題曲と、クラスごとに自由に決められる自由曲の2曲をクラス全員で歌って、その優劣を競う行事。各学年ごとの予選会と決勝からなり、毎年決勝を文化祭の日に行っていた。予選と決勝とに分かれていたのは、うちの中学が1000人規模のマンモス校だったことに大きく関係している。

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