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予備校で見えない花火の音を聞く/そのまんまねこ

覚えている限りで最後に親を泣かせたのは、大学受験で最後の1校まで合格が出なかったときの、居間での家族会議だった。やや閉鎖的な田舎で慢心していた僕の、最低で最悪な挫折だった。僕は寮付きの予備校に通うために、地元を遠く離れ、東京都の立川市まで父の車で自転車とともに輸送された。


予備校と寮を往復する生活は、1年間で結果を出さなければいけないというプレッシャーこそあれ、次の3月には否応なく終わるという点で有情だった。


それなりに勉強していると、同じくそれなりの、同じ釜の飯を食う友人がちょっとだけできた。
好きに使える時間やお金というのは殆ど無かったが、無ければ無いなりに工夫するもので、僕らは安くて腹一杯食べられる店をめいめい探した。平日の朝晩は寮で食事が出るのだが、それ以外は自分で調達しなければならなかったのだ。数ヶ月も経てば、徐々に行く店が厳選されてくる。たいてい、予備校の近くの中華食堂に集った。行く度に次回利用できる割引券が貰えるために、まんまと術中に陥っていた。そういえば、怖い日本史講師の授業の前だけは、なぜか天丼を食べに行く暗黙の了解があった。他にも「食物繊維たっぷり」を謳ったうどん屋、店の入れ替わりが激しいラーメン屋の並び、おしぼりが小さいことが不満だったパン屋、泣きそうな深夜を支えた冷凍のたこ焼きなど、食に関する思い出というのは挙げていけばキリがないのだが、僕の血肉となったそのひとつひとつを、なかなか忘れることができない。


そんな感じで、地獄の生活ではあったけれども、それが無味乾燥なものにまで落ちてしまわないように、注意を払っていたのだと思う。明確な終わりが決まっている生活は、一度それを受け入れてしまえば精神的には楽だった。SFや怪談に出てくるような「残りの寿命が見える能力」なんてものを、僕はたびたび欲してしまう。


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立川の居心地の良さというのは、そこがいわゆる大都会東京、田舎者を圧倒するような摩天楼の集合ではなくて、比較的控えめなビル群と人工的な自然が共生していた街であったことに起因するように思う。どうしようもない気分になった夏の日、バドミントンをしているカップルを横目にルサンチマンを抱きながら、昭和記念公園で英単語帳をめくったことは僕の明確な黒歴史のひとつである。


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件の日本史講師の授業を受けていたとき、外が俄に明るくなって爆発音が鳴った。僕らには関係のない花火大会だった。広い教室の後ろの方に座っていたから、講師の声は断続的にかき消された。それを察してか、普段全く冗談を言わない講師がにやりと笑って、花火だな、と呟いた。僕らは日本史の授業で初めて声を上げて笑った。



書き手:そのまんまねこ
テーマ:好きな場所について

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今週のテーマは『好きな場所について』
明日は「塔野陽太」が更新します。

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