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青森のこと/ビリー(横須賀線)

青森が好きだった。



学生の頃、何となく取得した一年の休学期間にバイクで日本中を巡り、文字通りそこはドン詰まりであり、最終の地に違いなかった。正確には、最後の到着地は青森市よりまだ先、津軽半島の先端、竜飛岬のホテルだったが、在来線ならいざ知らずバイク持ちからすれば何にも縛られずぷらっと市内に出ることが出来たのだ。竜飛岬のホテルで週五日働き、残りの二日を何となく青森市のゲームセンターや図書館で過ごす生活が六十日ほど続いた。

何が好きだったかと言われて、スラスラと言葉にすることは難しい。自分でも未だに分からない。そんなワケだから、日本をバイクで駆け回った自分に、他人が一等好きな場所について問うた時に、素直に青森市とは答えないようにしている。先方は予想していない回答にひとしきりややオーバーに驚いた後、二言目にはこう聞かれることが分かりきっていたからである。

「なんで?」

ところで、言葉が符牒であることはしばしば言われるところである。つまり、そのものを表している訳ではなく、話し手と聞き手が既に見知っている表現のカードをその場に出し合って進むものだが、これは今の当方のような状況にははなはだ分が悪い。いや、正しくは、あらゆる言葉のコミュニケーションが、伝わっているように見えて実は正確に伝わっていないのだろう。そして正確に伝わる必要などないのだろう。



竜飛岬から青森市へ出るにはおおよそ、海沿いのルートと山道のルートがある。バイクに憧れる場合、なぜかヒトは海沿いのルートを疾走する姿に憧れるが、自分は基本的に山道のルートを好む。風景が、海よりも山の方が変化に富んでいて飽きない。

山道を越えると平地が広がり、田畑の景色が広がる。そして、徐々に郊外のアミューズメント施設やフランチャイズのレストランが多くなっていき、交差点で青信号を待つ車両の行列も延びていく。偶然ずっと前を走っていた車がスッと幹線を逸れていく時にいつも淋しさを感じた。みんな、無目的に走り回っているのではなかった。抜きつ抜かれつ、共に山越えした時間は、帰る場所、行く場所、待つ人のところへ向かう道中に過ぎなかった。青森に滞在した六十日間、そのように後続車両へ宣言しながら実施できる右左折は自分に存在しなかった。この感覚は、市内でカラオケへ行っても、図書館で自傷気味に太宰や寺山を読んでも、人情味ある小料理屋で箸を動かしても、離れなかった。白いシャツへ飛び散ったギトギトの油のように、脳ミソへ明示的にシミとして残った。


学生時代の自らの所在なさ、やるせなさ、むなしさを思い出すときはいつもあの青森へ引き戻される。限りないと思っていたものが、実はそうでなかったことが相当に恐ろしかった。そんな自分が、日本で一等好きな場所として青森を挙げるのは、そして、また、あなたへ、一等良い場所として青森を挙げるのは、青森自身は常にその恐怖へ寄り添い、味方であってくれたからなのである。




書き手:ビリー(横須賀線)
テーマ:好きな場所について


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今週のテーマは『好きな場所について』
明日は「べこべ」が更新します。

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