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他人の目を気にしなくなったパート2

診断は「ただの風邪ですね。」

と咳止めと熱が出たときのために解熱剤を処方してもらった。

ここまで昨日は書きました。

そして1週間ほど様子を見たけど
見事に改善されず

時は過ぎ、、、

「ゴホゴホ」じゃなく、「コンコン」という高い音の咳に変わったのもこの頃。

やむおえず、再受診。

すると、「紹介状を出すから大学病院で精密検査を受けて」と告げられた。
仕事の合間をぬって、仕事を進めたいけど仕方なく。というフリーランスならではの思いと体の食い違いを感じながら精密検査。

首元の腫れたリンパの穿刺。
鼻から胃カメラ。
MRIとレントゲン。

検査後3日後の土曜日に父に病院から電話が入った。
そして、そのことを母から僕に連絡が入り
一人暮らしから実家に戻ることにした。

このとき、6月2週目に入っていた。

実家に戻り、およそ2日後の日曜日。
精密検査結果の詳細を待つ中で夜に事態は急変した。

咳が酷過ぎるため、姉が心配をしてマッサージ士の経験を生かして体の筋肉をほぐしてくれるということで夕飯の後に僕の部屋でやってもらうところだった。

そこで、突如体長約20cm。太さは僕の親指くらいの太さに見えるほどの「ムカデ様」が入り口横の壁で蛇行運転のように大きく曲がることを繰り返している姿を姉と僕は見た。

虫が苦手な姉は「父を呼んでくる。」そう言って離れから大家に向かった。

ちょうどその頃、僕だけになった空間でどうしようか考えていた僕がそこにはいた。

すると、壁の中央ほどの高さに取り付けられているコンセントボックスのほんの僅かな隙間に蛇行しながら入っていった。

姉と父が来るまでの間の出来事だ。

到着した際にこのことを説明した。
少し半信半疑な父と実際にデカイムカデ様を見た姉は有力な証人だ。

ひとまず離れの僕の部屋から大家の僕の部屋に急遽移動することにした。

そして、移動したのちにおよそ1時間後だろうか。

呼吸が過呼吸(一度もなったことがないが恐らく)のごとく、何度息を吸っても呼吸が苦し過ぎるような状態になった。時刻は夜10時頃。

そんな僕を見て、姉は横で背中をさすり続けてくれていた。

そして姉はお風呂に入る間は母が背中をさすり続けてくれていた。

時刻はAM12:00を越えた頃、両親は就寝。
姉が1人残り僕の背中をさすり続けてくれていた。
AM3時頃にはさらに悪化していた。
すでに気絶寸前でなんとか呼吸を続けている僕。

夜中に救急で運ばれても当直の先生は恐らくアルバイトの人が研修医の人だと考えたので朝まで粘ることを選んだのは僕だ。

だが、めちゃくちゃ苦しい。
息が吸えない。
ずっとプールに頭から顔を突っ込まれて一瞬引き揚げられてまた突っ込まれるというような感覚のものを8時間続けていた頃に起床した母と姉が交代し、
朝一番で病院に行った。

車内ではすでに意識朦朧。半分白目を見ているような感じだ。

椅子に姿勢良く腰掛けた状態だけしか息を全く吸えないが病院に着いたら寝転がった姿勢で診察室へ運ばれた。

到着して間も無く、「すぐに手術をします。」ということになった。
首元の腫れたリンパ節を取り除く手術だ。
あっという間に手術室へ行き、息苦しさで気絶寸前の僕は麻酔で眠りについた。

目を開けた時には息苦しさはまだ続いていたがほんの少しだけは楽になった気がした。
そして、4人床の部屋がナースステーションの目の前にあるがそこの部屋に1人で入院することになった。

そこからは、もはや拷問のような2週間だ。

家庭用の扇風機で強風のおよそ10倍ほどもありそうな送風機を孫悟空やベジータが体を回復するために使うような呼吸器を口元に取り付け、鼻には呼吸用の管が入れられた状態。

そして、相変わらずの姿勢でなければすぐに「誰かに首を思い切り締められている」くらいの呼吸困難になる。

だから、その唯一呼吸が止まらない姿勢が座った体勢だ。

少しでも眠りに落ちそうになって姿勢が崩れると完全に息が止まる。そんな2週間だ。

簡単に言えば寝れない上に口元につけているマスクには吐息でびしょ濡れで痒くなり、鼻には鼻水が溜まり、5分毎に看護師さんに吸引してもらわなければいけない。おまけに唯一の座った姿勢のみ。

眠過ぎる上に呼吸が苦しい。

長過ぎる2週間経つ頃にはようやく、どでかい送風機とともにマスクを外すくらいまでに回復。
鼻にはまだ管があるが数時間おきに吸引で済むまでになった。

入院後1ヶ月経過の頃には通常の呼吸ができる状態だ。少し余裕が出てきた。ようやく意識がはっきりしていた。

どうやらどでかい送風機と強い抗がん剤のおかげでだいぶ回復したようだ。

この病院の通常では、抗がん剤治療後に「休薬期間」があり、およそ1週間自宅に帰れるようだが僕はそれは出来なかった。

1クール後にそのまま入院したまま、2クール目を迎える直前に家族と僕が主治医に呼ばれて会議室へ。

今現在では、「あなたの症例に効果があるとされている抗がん剤は1種類しかありません。もし、この抗がん剤が効かなければ余命2ヶ月です。」

エッ?!

余命2ヶ月?!


長くなるので続きは後日




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