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お金に人の心までは乗らない


本日の元ネタ。

兄はこの部下氏に近い考え方をしていて、多分同様な経験をしてきたからだろうけど、母は商人の娘だったからか、相手が恐縮するぐらいの感謝を示していた。
私も母ほどではないが、可能な限りの感謝は示すようにしている。声が届かないなら、せめて会釈だけでも見えるように。

取引関係で考えるなら、金銭の授受で遣り取りが行われるのはあくまで商品や付随するサービスまでで、それ以上の人間性や礼儀作法は金銭の授受の外側にある物だと考えている。
つまり私が客の場合、無礼や非人間的な扱いをできる権利まで買ってはいないという事だ。
そして店側が金銭以上のもてなしや礼儀をしてきたなら、客としては礼儀だけでも返すぐらいは当然のこと。海外に倣えばチップを渡すべきところなのだろうか。
カウンターの上に空いた食器を載せたり、席を立ったあと椅子を綺麗に戻すくらいは、美味しい物を食べさせてくれた事へのせめてもの上乗せだ。

日本の「寒い時代」を非難するなら、金銭の授受に商品や付随サービス以上のものが含まれていると考える文化が蔓延していることだろう。
良く言われる「お客様は神様です」の意味や意図、用法の誤解も原因だろう。三波春夫は全くとんだとばっちりだとしか言い様がない。
他には、江戸時代の「士農工商」の順序の由来のように、商人のような銭を扱う職業は賎業であるという意識が未だに根強く残っているのも原因かも知れない。
そして「金を支払う側が上、支払いを受ける側が下」という謎の上下意識。これは会社間では吐き気を催すほどに酷い。支払いを受ける側は人間扱いされない事さえある。これは雇用関係でも観られる現象だ。


いつの時代からの遺物だか知らないが、このような感情負債の負の連鎖は一刻も早く断ち切らなければならない。これが日本の社会や経済に与えているマイナスの影響はあまりにも計り知れない。本来は感情労働などではない職業まで感情労働に変え、生まれるはずの無かった心身を病む人を毎日量産し、日々日本の労働生産性を減衰させ、社会保障費という形で国庫まで圧迫しているのだ。

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