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『Portrait de la Jeune Fille en Feu(燃ゆる女の肖像)』

画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、娘のエロイーズの見合いのための肖像画を頼まれる。だが、エロイーズ自身は結婚を拒んでいた。身分を隠して近づき、孤島の屋敷で密かに肖像画を完成させたマリアンヌは、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを否定される。描き直すと決めたマリアンヌに、意外にもモデルになると申し出るエロイーズ。キャンバスを挟んで見つめ合い、美しい島を共に散策し、音楽や文学について語り合ううちに、恋におちる二人。約束の5日後、肖像画はあと一筆で完成となるが、それは別れを意味していたー。
                     『燃ゆる女の肖像』公式サイトより


画力
この作品では、音楽はたったの2曲しか使われていない。
マリアンヌとエロイーズの思い出の曲となる、ヴィヴァルディの「夏」と、焚火の場面で女性たちが歌う「LaJeune Fille en Feu」(映画のためにオリジナルでつくられたそう)。

私は2時間を通してこの2曲しか登場しなかったことに、エンドロールまで気が付かなかった。
物語が終わってやっと、「そういえば全然音楽流れてなかったな」と気付く。それだけ、映像が作り出す空気感に飲み込まれていたのだと思う。
映画の制作のことは全くわからないが、この作品はとにかく画力(えぢから)が圧倒的だと感じた。

肖像画をテーマにしていることもあってか、どの場面もとても美しく、その瞬間を切り取って絵画にしてしまえるようなシーンの連続だった。
海岸の散歩も、屋敷の中での会話も、一つ一つの瞬間が絵のようにずっと頭の中に残る感覚。
ゆっくりと流れる時間のどの瞬間にも無駄はなくて、全てを焼き付けたい感じ。
(「すべてを、この目に焼き付けた」というコピーをつけた人にとても共感)

そしてそれは、マリアンヌとエロイーズが抱いていたのと近い感情なのかもしれないと思った。
2人は、限られた時間の中で、離れてもずっと覚えていて時々思い出せるように、この島でのすべての瞬間を刻みつけていたに違いない。
物語の中で2人が感じていた想いが、自分にも自然と重なってきた。

さらにこの映画の映像からは、セリフのないところに流れる微かな緊迫感がびしばしと伝わってくる。
映像が一貫して静的な印象であるために、人間の心の中身の動きや、互いの腹の探り合い、相手の言葉に動揺したり、頭が混乱したり、そういう生々しさが痛いほどに伝わる。
たったの2曲という、削ぎ落とされたストイックな映像だからこそ、人と人との間で揺れる空気感が浮かび上がるのだろうか。


「惹かれる」とは
人は人の何に惹かれるのか。
人が人に惹かれるとは、一体どういうことなのだろうか。
この映画を見て、私はこんな疑問がうかんだ。

物語の中でマリアンヌとエロイーズは、お互いのことを"好き"というよりも、どちらかといえば"欲している"ようにみえた。
別れの時が刻々と近づいている、、という状況も手伝ってのことかもしれないが、2人の間には恋愛というよりももっと切迫した感情があった。あれが惹かれ合う人たちなのかとぼんやり感じる。

あの短い時間で、2人は互いが自分にとって特別な(特殊な?)存在であることに気が付き、確信した。
メイドのソフィとマリアンヌだって、間違いなくお互いに好きだったけど、それはやっぱり友情だった。その違いは一体何?
(あんなにも思いがけず、惹かれる人に出会ってしまう、それは男女感だけじゃないのだ。そこに性の区別がある方が、よっぽど不自然だと、やはり私には感じられる。)

結局、「惹かれる」とはなんなのだろう。
あの2人が、お互いのどこに惹かれたのか、私にはわからない。2人も自分自身でわかっていたのかもわからない。
強いて言うなら、その存在に惹かれたということだろうか。

「儘ならない」という言葉が、この物語にぴったりかもしれないと思った。
自分の心も、別れも、何もかも儘ならない。
どうしようもなく、自分の意思とは関係なく、故に自分でも説明もつかないが、その人を求めてしまうこと、
それが惹かれると言うことかもしれない。


鑑賞日:2020年12月23日