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nogawa 「「ぴえん」という病」を語る

「ぴえん」という病ーSNS世代の消費と承認ー
著者:佐々木チワワ
扶桑社親書
初版:2022/1/1

恵まれた容姿の「身体資本」があれば利益を生み、人生がうまくいくという信仰。これは身体の客体化=外見による序列と、他者と比較し続けて病む人生に陥るだけである。

第六章:「まなざし」と「SNS洗脳」より




著者:佐々木チワワについて

2000年生まれ、慶應義塾大SFC卒業。10代の頃から歌舞伎町に出入りし、フィールドワークと自身のアクションリサーチをもとに「歌舞伎町の社会学」を研究する。24/2/28には新刊「オーバードーズな人たち」が出版。


作品について

Z世代で歌舞伎町に足を運んでいたり、ホストやアイドルを「推す」層にフォーカスし彼らのカルチャーと価値観を社会学的にアプローチとして「ぴえん」という言葉を基軸に据えて記述された本。また、歌舞伎町に足を踏み入れ6年になる著者の考えやトー横について深みある考察が記されている。

トー横キッズ

歌舞伎町「新宿TOHOビル」(旧コマ劇場)その東側の路地に彼らはいる。「#」をつけて自撮りを投稿する若者がオフラインで集まる場所がTOHOビル前だった。遊びに行くならホストより安く年齢確認も緩いバーになった。歌舞伎町のバーは24時以降にオープンする店がほとんどで金もなく路上に集まる流れになり路上に集まる彼らをホストとその客である風俗嬢やキャバクラ嬢たちが「キッズ」と呼び始めた。

ご存じの通り彼らはz世代の文化の発祥地である一方、事件性の話が絶えない場所でもある。
しかし彼らの中には複雑な家庭環境や大きな悩みを抱え逃げ出しトー横が心の支えになっている子も少なくない。

彼女たちを強制的に家庭に引き戻すような行為は意味がないと筆者は考える。問題があるから逃げてきたのに、問題が起きている場所に追い返すだけでは、問題がくすぶるだけだ。

第二章:「トー横キッズ」の闇より

私もこれに全面的に賛成である。感想部分で取り上げる。


衝撃を受けた「スペック」と「スタイル偏差値」

スペック・・・女性の身体的価値の基準のひとつとして存在するもの。身        長から体重の数を引いて算出する。
       (例)160cm/60kgなら100 160cm/50kgなら110

スタイル偏差値・・・スペックとバストサイズを掛け合わせたもの

p157

夜の仕事をするうえでは、ある程度の容姿は「稼ぐ」ためと「店のレベル」を保つために必要なことはわかるのだが、美容に興味がある中高生などがこうした概念を知ることで、自身の身体的価値を測るようになる可能性がある現状にはやはり懸念が残る。そして、こうした投稿の前後には美容整形やダイエットジムの広告が並ぶ。

第六章:「まなざし」と「SNS洗脳」より

一般人や中高生には馴染みのない夜の仕事の外見指標で自分を測ること、また夜の仕事の指標と知らずに数字の概念を知ってしまい勘違いする可能性も否定できない。これは男性にも言えることである。若い男性が女性の胸のサイズを誤解して認識することと同じ現象が起こると容易に想像できる。z世代は今一度中学の保健の教科書に立ち返る必要があると感じる。

適正体重 = (身長m)2 ×22
     (例)169cmなら1.69×1.69×22=62.8



出典アカウント:https://www.instagram.com/diet.lica/


ぴえん世代の余暇の不足

ぴえん世代は常にスマホに触れとてつもない情報を見ている。結果的にコンテンツを味わったり感想を咀嚼して言語化する時間が足りない。「ぴえん」「エモい」「良き」と語彙力が欠如した会話が繰り広げられるのもぴえん世代の特徴であり何をどうエモく感じたのか言語化することをサボりがちであると思われる。何がよかったのか、どこに心が動いたのかといったやり取りを交わせるような友人は数えるほどいない。

私はこれについて納得しその傾向は強いと前々から思っていた。そもそも言語化する時間というより慢性的な時間不足がz世代はたまたスマホを持つ者の特徴とさえ思っている。ゆえにバラエティーや映画を早送りで見る人が増えコンテンツを深く味わうよりたくさん消費することが主になっている人々が多発していると。
語彙力に関しても新しい言葉が生まれ楽になったように感じてる人がいる一方で自らの思いを表現するほどの語彙力がなかったり本音を言って嫌われることへの恐怖なのではと感じていた。
しかし先日、知人と似たようなテーマについて話した。私は模範的に
「これはよくない。スマホや情報社会から距離を置くべき」
と説いた。彼は納得した一方でこう私に言った。
「これが文化だからって言われたら何も言えない自分がいる」と。
確かに文化や伝統と言われてしまうと納得しないといけないような風潮はあると感じモヤモヤが深まった。このままでいいと言う人があまりにも羨ましくも思っている。


感想

一言でいうならあまりに重い内容だった。作品内では著者が実際に歌舞伎町のホストやトー横キッズに直接インタビューした内容が記されている。なかでも第三章:歌舞伎町「自殺」カルチャーでは夜職で稼ぎホストに貢ぐ女の子が担当のホストの前で屋上から飛び降りようとするところを著者がとめる場面がある。そういった実体験なども通して語られる歌舞伎町の文化や、生死の価値観は普段関わることがないため非常に興味深い。
また、今議論すべき必要があるのはやはりトー横だと思う。2024/3/30 4/3 4/6の夜中から翌日未明にかけ延べ130人態勢で一斉補導を実施し結果31人が補導された。
補導された少年少女がその後どうなったかは存じ上げないが作品中に取り上げられた、いわゆる家庭に問題を抱えた子をそのまま返しても根本解決にならずその場しのぎであるため、SNSが起点としてトー横が生まれたことから結局のところ場所やスタイル、文化を変えてそうした集団は生まれる。今でもトー横は発祥地とは別の場所にたむろするようになっている。そうしたこともあり問題が起きている場所に追い返すだけでは問題がくすぶるだけであるという著者の意見に全面的に賛同している。
プラスしてトー横のように不安定で危険因子が潜むような共同体はあえて放置し歌舞伎町の中ではなく周辺を厳しくすることで悪い因子を歌舞伎町にどんどん送り込み歌舞伎町の犯罪率や治安は悪化するが返って歌舞伎町周辺は悪い因子が歌舞伎町に入ったことと厳しい罰則や摘発をもうけることで集団的な安心感や秩序を守れるのではないかという仮説を持っている。
なにを大事にするか、誰のために何をするのか改めて考えるきっかけとなる。



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