「才能」を「適性と継続力」に置き換えたい


はじめに

手短に。と書きましたが相当取っ散らかっています。
今日はなんとなく書きたい文を書く、という日にします。今日は推敲も適当



「才能がある」とか「天才」という言葉があまり好きではありません。
同業者から見て95点をコンスタントに出したり、普段は70点だが数年に一度150点を叩き出す人間はそう呼称されるかもしれませんが、
それにしたって才能、天才のひとことで済ませるのは言葉の暴力ですらあると感じています。
分析して注釈とか解説入れまくりたい人間なのでひとことで済ませたくない、と言ったほうが正確でしょうか。

私の感覚として
00-30  :素人・何も出来ない・知らない人
30-55  :同人程度の知識や技能(身内公開用)
55-75  :オンライン販売でギリ黒字・身内外からもちやほやされる
75-85  :セミプロ 本業に劣らない収益を出せる
85-100:プロ その業界の第一人者として名を馳せる

くらいの認識で書いています。
0-75くらいの技能の方が80以上の人たちに「あいつは才能がある!」
と言っているように見えるケースが散見されて
「確かに良いとは思うがそこまで評価されるレベルなのか……?」
と疑問に思うケースがありだらだらと文字を垂れ流しています。
文章排泄男。

創作の場合

学生時代の長期休暇や社会人の連休など、平気で15時間(朝から晩まで)作業に取り組める方がいます。
私はそれを「適性がある」と呼びたいです。
黙々と同じ作業をこなせる適性がある方は梱包の内職に向いていますし、
妄想や想像を対外的に具現化できる適性がある方は企画に向いています。
それと同じです。
「適性がある状態」ではそのものについて評価をされることはあまりありませんが、これが「継続している状態」に続くとある程度評価に反映されることがあります。
単純な話ですが取り組める時間を作る=成果物が他者に比べ多くなる
のでプラスに働くよね、という感じ。

適性があり継続力があるとうまいひとであれば知識の吸収やフィードバックをセルフで行えるので「なんか知らんけど久々にアカウント見たらめっちゃ絵うまくなってるじゃん」という現象が起きます。よくある。
声もそれに近いかもしれません。地声に近い・カタい演技しか出来なかった新人が荒波に揉まれるうちに妖艶な悪役から近所の中年の役まで出来る、といった具合ですかね。FFXのティーダとか初々しさの塊ですよあんなん。

文章は人間が毎日触れているセンテンスコンテンツなの上手い下手の区別は中々つけにくいですが、大学1年生のときは小論文くらいしか真面目な文を書けなかった学生が4年後には卒論、6年後には修論を書けるというように目に見えて進歩するという例もあります。
学生や仕事で技能を向上させるときは教授や上司などティーチングをする立場の人間が居てフィードバックがもらえ、かつ、その特定技能の向上に時間を割けられるため気づきにくいかもしれません。

独学で長時間熱中して打ち込んでる人を不当に高く評価しすぎるというのは
良い面もありますが必ずしもそうではないため注意が必要です。
70点で向上心があり伸びしろがまだまだある人間がSNSで過度にちやほやされたせいで、
「俺って90点なんだ」
と努力を放棄して承認欲求に溺れていったケースを知っています。
SNSってこわい。
自身を不当に低く評価してる場合は反骨心で伸びるケースがあるので放っておきましょう。彼らは100点をジブリとかに据えてるので相対的に評価がめちゃくちゃ低くなるのも仕方ないです。


適性がない場合

完全に遺伝でどうしようもないケースがあります。
世界記録を狙うくらいのレベル帯の短距離走など。
私はどの業界のプロでもないので95点から100点へ上げる方法!とかあればここに書けるのですが書けないのでスルーします。

自身のフィードバックを適正に行えない方は適性がない、と思われる方もいるかもしれません。
リサイタル中のジャイアンは自身の歌声が完璧だと思っている認知的不協和がありますから、うぬぼれていつまで経っても上達できないケースと言えます。
また、
「何かがだめなのは分かるけどどう改善していいかわからない」
「何か改善したいけど何がだめなのかわからない」
というケースもあります。独学で何かを行っている方はほとんどこちらに当てはまるのではないでしょうか。先達に話を聞いたり書物などで同様の現象を漁ったら解決できる場合もあるにはあるのですがそうはいかないケースが世の中にはほとんどだったり。
それかとうに昔のことだったので忘れてしまってアドバイスのしようがない、というケース。

いくら物事に熟達していても言語化するのが恐ろしく苦手/言語化した情報を伝えられるが相手が相当高みに居ないと伝わらないケースも存在します。
「いいとこに球来たらビュンッってバット振って芯にバーンって当てたらホームランなるよ!」
と言われてもありがとうございましたとしか言えませんし。

適性がない、というより適切なPDCAサイクルを行えない結果上達に伸び悩む、といったケースがほとんどでしょう。
そこに壁を感じ「才能が無い、適性が無い」と去るケースは数えきれません。
中級者なら今まで少し触って伸びて、というレベルアップが面白かったから続けていたのであってレベルアップが実感しにくくなったら飽きる、というものもあります。
趣味の世界ってそういうもんですからね、止めるも続けるも当人の自由。


あとはただ単に量が足りないという場合もあったり。
半年に1回しかボウリングしない人間はプロボウラーにはなれません。


ならぬなら なってみせよう エグザイル


大体の人間は本気で取り組めばありとあらゆる事象はすべて80点くらいのラインに持っていけるかな、というイメージは持っています。

ただここでいう本気で取り組めば、とは私生活を捨て場合によっては仕事や家庭を捨て世捨て人になりがむしゃらになって全力で取り組む、という意味合いで言っているためおおよそ現実的とは言えません。
おおよそ85~100点に近づけるプロ級の技術になってくると当人の生き方や今まで培ってきた知識、色彩能力や人体能力(乱暴な言葉でまとめるとセンス)が要求されますが人間世捨て人になればある程度の地点までは到達できると思っています。
世捨て人と表現しているゆえそれでメシを食っていけない際のダメージは計り知れないものがありますが。昔から携わっている一線級の同業者を出し抜く必要があったりするのでどの業界もトッププロはしのぎを削っています。

当たり前ですが本段落のエグザイルというのは追放者とか流浪者とかいう本来の意味で使っています。

実家が太かったりFIREしても問題ないくらい貯金があったりなど人生トチってもなんとかなるケースであればどうぞ、と言いたいところですが恐ろしくオススメできません。当たり前である(キートン山田)

おわりに

苦にならない/苦しさより楽しみが上回る
長時間続けられる
ロングスパンで続けられる
成果物をあげられる
(収益をあげられる)

上記をまとめて才能がある、と言っているのでしょうか。
彼らの裏で行っている努力や営業などは考慮していない残酷な発言だな、とは思いますが。
まあ法に触れる危ない発言でもないし相手も不快にならんしいいんじゃね?
という気持ちも抱きつつ。

これで「才能あるってやめろ!天才って発言禁止!
!うわああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

って喚いてたら普通に危ない人ですからね。
ひとことで言わないでもっと多角的に表現してあげて、と書きたいための3000字でした。

それでは。


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