体育教師の罪と罰

¥前置き
 この記事は、僕の偏見や恨み、妬み、嫉みその他でほぼ構成されている。
普通のスポーツが大好きな健全な少年少女、紳士淑女の方はいますぐこのページを閉じたほうがいい。中年のおじさんの数十年ものの恨みというのは闇が深く、読んだらしょうもない闇に飲まれてしまう可能性がある。

¥筒香さんのスタジアム
 僕の住む和歌山は筒香さんという有名な野球選手を輩出したらしい。
(野球好きの方ならどこのチームに入っていて、今年の成績がどうとか色々意見があるかもしれないが残念ながら僕は彼がどこのチームに入っているかもしれない。本当に申し訳ない。)
 さてこの筒香選手は、野球で活躍して稼いだ自分のお金で故郷の和歌山県橋本市に総合スポーツ施設を”自前で”建設している。
 地域の子供がスポーツを学んだりできる素晴らしい施設になりそうだ。
筒香選手のこの試みは大賛成だ。普通野球選手なんて稼いだら自分の引退後のために貯金したり(グラゼニという漫画にそうあった)、クラブとかに使っちゃうらしいからポケットマネーで地域にスポーツ施設を作るなんてなかなかできることじゃない。
 筒香選手は、子供たちのスポーツ離れ、野球人口の減少を危惧してこうした取り組みを始めたらしい。なるほど、こうした施設も大事だ。だがもっと大事な問題がある。体育教師がスポーツ嫌いな子供を何十年も作り出しているという問題だ。

¥体育教師
 小学校の先生というのは、今は知らないが僕らの頃は、担任と複数の科目を兼任しているパターンが多かった。そして中学校に上がると、科目別に教師がいて、体育であれば体育の免許を持っている先生が体育を指導していた。これは高校でも同様だった。

¥体育教師の典型1
僕が学生だったのは、一番直近でも、もう20年近く前だから今は、僕がいうような体育教師というのは淘汰されているかもしれない。それならここからはただの思い出話になる。だがまだもしこういう教師がいるなら大問題だ。
 体育の先生になる人というのは体育を教えたいと思うくらいだから、何かスポーツをやっていたか、スポーツの元選手だったという経歴の人が多い。
 そして大学などで専門知識を勉強し、晴れて教員免許を取得し、学校に赴任するという流れが一般的だと思う。
 ここで思うのは体育教師というのは運動ができない子供の気持ちというのはわかるのか、いや絶対にわからないということだ。いや、私はわかると主張する人もいるかもしれないが、100%わからない。運動が全くできない人間から何かきっかけがあって運動が好きになったとかそういう特殊な人じゃないとまずダメなのだ。
学生時代サッカーやってました野球やってましたという人はまずダメだ。
スポーツができるやつがある程度スポーツができる子供のためにだけ学校に赴任する。

¥体育教師の典型2 
 体育教師は例えば校庭とかでいくつかのクラスの男子とか女子とかまとまった複数の子供を相手にすることが多い。
 そして何か集団スポーツを教えるとしよう。すると体育教師は、子供たちに基礎動作をやらせたり適当なチームに分けて試合をやらせたりする。ここで、運動が全然できない子供がいるとする。そしてその子が授業が終わるころに他の子ができることが全くできず授業が終了したとする。
 するとこの体育教師は指導能力が低いと評価されるかというとされないのだ。

¥勉強科目と違う点
例えば数学、国語など勉強科目なら、学年の成績とか模試の結果とか目に見えるバロメーターがある。成績が悪ければ教え方や授業の進め方が悪いんじゃないかと先輩教師のチェックが入りやすい。一方体育や図工(美術)など最終的に個人の資質に左右される科目の教師というのは複数の教師がいてもできる子供できない子供が混在し、指導方法自体が個人のものなので他人のやり方にケチをつけにくい。受け持った子が授業中にけがをしたとか、いきなり卑猥な絵を描きだしたとかない限り低評価にはならない。できないやつはできない、通知簿1とかつけても責められないのだ。

¥体育教師は秩序を重んじスポーツできるやつを重用する
集団スポーツをやる際、試合が白熱して盛り上がっているとする。そして例えばサッカーならフィールドの端っこで何人か試合に参加せず砂で〇×をやっているような子達がいたとしよう。すると体育教師はその子達に個人的に何ができないのかとか、基礎練習に付き合ったりするかというとしないのだ。
お前も試合に参加しろと秩序を維持するよう命令するだけで、なんでフィールドでマルバツが始まっているのかというそもそもを理解しようとしない。
 さらに体育教師は、自分がスポーツをやるし、見たりするので、子供の中に集団スポーツのルール自体を知らない子が存在するという事実を認めない。知っているという前提で授業を進める。なんなら地元のスポーツクラブである程度かじっているやつだけを周りに侍らせて授業を進める。
できないやつ?通知簿はもちろん1だ。

¥スポーツが嫌いな子供、できない子供の完成
こうしてクラスに何人かあらゆるスポーツができない、嫌い、無関心な子供というのが製造される。こういう子はどうなるかというと、自分で体を動かすとかスポーツ本来の楽しみも体験することがないまま大人になり、先輩から野球やサッカーの話を振られても愛想笑いでごまかすようになる。僕のようにだ。

¥体育を受け持つ先生とか文部科学省へ
子供の集団の授業でできない子だけ特別に指導するというのはとても難しいと思う。それはわかる。でもだ。全くスポーツのルールを知らないとかできない子専属の指導員のような人が多分いるんじゃないか?できるやつと分けて。
誰だって自分で体を動かしたり、集団スポーツで勝ったり負けたりしたい。
だが今の教育システムでは、スポーツできるやつが無双して、できないやつは何も楽しみを感じないまま学生生活が終わるのだ。こういう構造を放置したままだからスポーツをやる子供が減っているんじゃないだろうか。(完)


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