見出し画像

ドッグトレーナーが愛犬を看取った話。<経緯・後編>

<経緯・前編>はこちら↓

※愛犬が亡くなるところまでを記載しています。お辛い経験がフラッシュバックする可能性がある方は、無理せず、読むことをお控えください。なお、遺体の写真は載せていません。



闘病生活そのものは、比較的穏やかに始まりました。

2種類のお薬を1日3回。また別の2種類のお薬を1日2回。その他、サプリメント2種類を1日2回。毎週月曜日に病院。先週と変わりなければお薬だけ処方してもらい、気になることがあれば診察してもらう。お薬が増えるという変化はありましたが、2ヶ月間ずっとこのルーティーンでした。

私自身の生活スタイルの変化もそれほどありませんでした。それは、このコロナ禍の自粛生活で外出自体がそもそも減っていたということが大きかったです。お仕事で外に出ることはありましたが、基本的には1日1件のみという形を取らせていただくことで4時間以上目を離すということがない環境を作ることができました。そして何より心強かったのが、同棲している婚約者の存在です。コロナの影響で絶賛テレワーク中の彼、週5で24時間在宅。もはや週7で24時間在宅のことも(それはそれで不健康な気もする)。愛犬が完全にひとりきりで留守番をすることは、ごくまれに私たちが2人揃って外出するときだけで、それも2時間以内に帰ってくることがほとんど。闘病中の愛犬を見る目が常にある、ということは私にとってとても安心できる環境でした。

それでも朝起きると「ちゃんと生きてるかな?」お仕事から帰ってくると「調子悪くなってないかな?」と一瞬、不安なドキドキに襲われます。不思議なことに1ヶ月もするとその不安にすら慣れてくるものですが、体は正直です。ここ数年、体調を崩すといえば1年に1度だけだったのが、この2ヶ月の間に2回も寝込んでしまいました。もちろん、どんなにしんどくてもお薬とごはんは欠かしません。私が中学受験をする時、入試前日に吐き気に襲われ、這うようにしてお弁当を作ってくれたという母の気持ちが痛いほど分かりました。

ごはんはお薬以上にこまめに与えていました。<胃拡張>の治療中から、私たちの中で「朝ごはん/晩ごはん」という概念はなくなっていました。できる限り、少量頻回。病気が進行するごとに、より少量を、より頻回で…。最後の方は20分に1回、小さなお肉の欠片やスプーンひとさじのムース状栄養食を与えるような状態でした。

ただ、腫瘍の成長に伴って、自力で食事をとることが困難になってきました。今まで通り口を開けて食べようとしても、口より先に腫瘍が当たって、咥えることができない。また、口の真ん中からペロッと出ていたかわいい舌は、その定位置を腫瘍に横取りされ口の右端で肩身の狭い思いをしなければならなくなりました。彼女からすると、いつも通り舐めているはずが舐められない。今から思うと、食事に関してはこの「食べたいのに食べられない」状態、「食べさせてもらうしかない」と理解するまでのこの時がいちばん心苦しかったです。

幸運にも腫瘍は口の前方、そして片側に偏って成長していたので、腫瘍の影響がない側から犬歯の奥の方へ入れてやると自力で食べていた頃と同じようにおいしく味わって食べることが出来ていました。シリンジでの給餌も何度か試しましたが、彼女はどうやら自分でむしゃむしゃと口を動かして食べることが好きなようで、結局亡くなる前日まで私の指で直接口に入れた食べ物を食べていました。それでも、病気の進行と共に、唾液の分泌が増え、咀嚼すればするほど唾液に押し出されて飲み込むことが出来ないことが増えました。出来る限り彼女に負担なく、薬やごはんをすぐに飲み込めるところに届けることに命を懸ける日々。開けづらくなっている口に、指を奥まで突っ込むこともしたくなく、一瞬のタイミングで的確な位置に届ける、もはや投げる。私の気分は大谷翔平(どういうこっちゃ)。


彼女の上あごの裏にできた<メラノーマ>は、いろんなサイトや本で読んだ通り、ものすごいスピードで大きく成長していきました。毎日見ているとそれほど実感することはありませんでしたが、たった1週間前に撮った写真と見比べるだけで、この病気の恐ろしさを実感することができました。

画像1

(よだれが増えたので、西松屋で買ったヨダレ掛けを着用。かわいい。向かって右のほっぺがぷっくりしているのが、腫瘍の影響です。)


腫瘍が鼻を圧迫し、クレヨンしんちゃんばりのあおっぱなを垂れるようにもなりました。このあおっぱな、乾いてしまうと小さな鼻の穴をふさいでしまいます。コットンで拭き取ろうと思ったら、塞がっていない方の鼻から鼻水が飛んできたことは数知れず。笑

腫瘍が大きくなり、週に1度のペースで自壊をするようになりました。最初はじわ~っと血が滲んでくる程度。そこから、1週間かけてゆっくり腫瘍が大きくなり、私の指が当たるとか少し何かにぶつかるとか、ちょっとした衝撃で自壊・出血。自壊が見られ始めた頃から、止血剤も処方してもらうようになりましたが、しばらくすると出血量が増え、またなかなか止まらなくなってきたのでもう1種類追加で処方してもらいました。それでも回を重ねる毎に増す出血量。驚くほどに鮮やかな赤い血。普段のんびりしている彼女も、さすがにこの異常事態に落ち着かない様子で、そわそわと歩き回ってしまいます。動くほどに、部屋中に滴る赤い血。ペロッと出た舌に伝う赤い血。彼女も気持ち悪いのか、頻繁に舌をペロペロと動かします。その度、さらに飛び散る赤い血。彼女の頭にも、私の腕にも、床にも壁にも。まじで、いやまじで、ただの事件現場やで…コナンくん呼ばな……なんて思う暇もなく、静かに取り乱す彼女をなだめ、滴り落ちる前の血を拭き取り、その間にいつの間にか彼が部屋を掃除してくれる(血は乾くと本当になかなかキレイに取れないので、めちゃめちゃ助かりました…)。そしてひと段落したら、ふっ…と貧血になって、ぐったり(私が)。私も彼も、そして彼女もいっぱいいっぱいで、その時は何とも思いませんでしたが、今なら思います。普通じゃねぇ。


画像2

(初めて大量出血した頃。腫瘍でほっぺが盛り上がり、目が半分隠れてる。肩身の狭そうな舌。さっきの写真の1ヶ月後。亡くなる10日前。ヨダレ掛けのかけ方は…ふざけちゃった、すまん。笑)


ただ、自壊の後には、ひとつ良いことがありました。自壊というのは、腫瘍の壊死過程に生じるものです。自壊が起こると、壊死した部分が剥がれ落ちます。8割出来上がったカサブタのような、表面が固まったようなレバーのようなものが剥がれ落ちた後は、自壊する前よりもすこしだけ腫瘍が小さくなりました。上の前歯を完全に覆っていたのが、自壊の後には前歯が4本も見えるようになったことも。口にできた腫瘍だったので、大きさが小さくなることは彼女自身の「食べること」のQOLに直結します。自壊した後は、その前よりも食欲が増すことが多く、失った血を取り戻すがごとく、鶏のレバーをおいしそうに食べてくれる姿は、たとえ一瞬の気休めだったとしてもとても嬉しかったです。

肺の腫瘍がどの程度進行しているか。それについては、2つの影が見つかって以降、新たなレントゲンを撮ることはありませんでした。もしも進行していたとしても、私は積極的な治療を行う選択はしないという考えだったからです。日が経つにつれて、ほんの少しずつ、ピンク色だった舌が白っぽくなることが増えてきました。最初は、お薬やごはんの後だけ。そのうち、お部屋を歩き回っただけでも色が薄くなるようになりました。ただ、それが肺の腫瘍によるものなのか、それとも口の腫瘍が鼻腔を圧迫したり浸潤したりして呼吸しづらくなっていることによるものなのか、それらがお互いどの程度影響しあっているのか、今となっては確かめようがありません。鼻水は少し減りましたが、鼻の奥の方で詰まっているような感じで、呼吸する度に小さな「チュピー、チュピー」という音が聞こえるようになりました。粘膜強い系女子(なんやそれ)の私とは反対に、鼻炎持ちの彼は、そのしんどさをよく理解しており、しんどいのは嫌だねぇ、と話していましたが、朝目覚めた時にこの苦しいはずの鼻息が聞こえると二人でほっと胸をなでおろしていたのも事実です。



そして最期の日は想像よりもあっさりとやってきてしまいました。

その日は久しぶりに何の予定もない休日。買い物に行く必要すらなく、今日は1日そばにいることができる日。朝から、なんとなく変な予感がしたのです。ドッグトレーナーとしての経験か、彼女の飼い主としての経験か、分からないけれど、直感的に「今日はこの子から目も手も放しちゃだめだ」と思いました。

朝に感じた直感は、お昼には確信に。1週間ぶりのうんち。いいうんちだったけど、嫌な予感しかしないうんち。朝は自力でトイレに向かうことが出来ていたのに、午後には立たせてみてもすぐにへたり込む。ごはんを口に入れても飲み込まない。飲み込めないのではなく、飲み込まない。病院へ電話しましたが、日曜日ということもあり予約がいっぱいで、予約外での診療の場合は待ち時間が長くなるとのこと。迷いましたが、私は病院へは連れていきませんでした。この状況で連れていったら、間違いなく入院になる。「今日はこの子から目も手も放しちゃだめ」という自分の直感を捨てることができませんでした。予約がいっぱいだったということは、ずっとそばにいてやるべきだという神様のメッセージだと思いました。

昨日買ったばかりの、ふかふかのベッドに横たわる彼女をソファの隣に置き、この日はずっと触れていました。本当に、ずーっと。晩ごはんを作るために台所に立つことすら惜しく、用事で出かけていた彼が晩ごはんを買って帰ってきれくれました。ありがたいね、本当に。

22時過ぎ、彼が寝室へ行こうとした瞬間、突然「カーッ」っと痰が絡んだような音。その後、穏やかにゆっくり呼吸。再び、「カッ」。何度か繰り返し、その間隔がだんだんと空いていき、ゆっくり静かに呼吸を繰り返し、静かに、本当に静かに、眠るように逝きました。

とても長い時間に感じましたが、時計を見ると10分も経っていませんでした。見た目にも痛々しい腫瘍、そこからの出血、鼻水も出たし、鼻づまりもあった。人間もそうですが、肺の病気は苦しみながら逝くことが多いと言われています。そんな大変な病気と闘っていたとは思えないくらい、本来の彼女らしい、静かで穏やかな最期でした。


彼女の目に最後に映るものが私であるように。彼女の耳に最後に届くものが私の声であるように。犬には、私たちのような損得勘定はありません。打算的な考えもありません。これは私の考えですが、きっと今の私にふとした時に襲い掛かっている「たられば」もないでしょう。彼女にとって、身体的な痛みや苦しみの多い闘病生活であったことは間違いありませんが、その中でもまっすぐ生きる彼女にとっての幸せな「いま」を積み重ねていけたらという思いで、出来る限りのことをやりつくした2ヶ月間でした。そして、その幸せな「いま」の中で旅立たせることが出来たことは、いち飼い主として、そしていちドッグトレーナーとしてとても大切な経験となりました。


以上が、愛犬が亡くなるまでの経緯となります。長い文章でしたが、読んでいただき、ありがとうございました。

次からは、最初に書いていたように、今回の闘病生活についてドッグトレーナーとして感じたことを残していきます。一気にアップするのは難しいので、読んでいただけるという方は読者登録的なやつ(note初心者なのでよく分かってませんw)をしてもらえると嬉しいです!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?