ドッグトレーナーが愛犬を看取った話。<後悔していること>
突然ですが、愛犬や愛猫、また大切な存在を失った経験がある方、後悔していることはありますか?
私は今まで愛犬を見送ったことも、身内を見送ったこともあります。何をどうしても後悔はあります。
以前飼っていた愛犬は大型犬で、階段の昇り降りができなくなってからは家の1階で生活させていました。朝、目が覚めると1階でひとりで冷たくなっていました。ピンピンコロリで、突然亡くなりました。それでも、こんなことになるなら2階に連れて上がるか、私が1階で一緒に寝てやればよかったと思いました。
祖父が亡くなった時の後悔は、ド定番の「もっと会いにいっていればよかった。」でした。身近な人ほど、亡くなるということが想像しづらく、「また次会える」と思ってしまいがちで、後悔は頭の中を占める割合は変われど一生なくなることはありません。
今回、愛犬を亡くして感じている後悔は、今までとはちょっと違ったタイプの後悔です。
私が感じている後悔、それは私が未熟だったが故の後悔、無知だったが故の後悔です。先日まで『未満警察』という警察学生を描いたドラマが放送されていましたが(King&Princeの平野紫耀くんがかっこいい…!)、愛犬を迎えた当時の私はいわば『未満ドッグトレーナー』。
そんな状態から11年、ドッグトレーナーとして学び、成長する中で、過去の自分を責める後悔が生まれました。私の後悔は、成長の証。成長した私にできることは、同じ後悔をする人をひとりでも減らすこと。
これから、私の後悔を書いていきます。
後悔その1.多頭飼いは私のエゴだった
いちばん大きな後悔はこれかもしれません。1歳近くまでペットショップにいた彼女は、他のワンちゃんが苦手ということもなく、専門学校に連れていった時も他のワンちゃんと適当に挨拶した後はマイペースにひとりで探索しているような子でした。2年後に迎えることになったペキニーズも生後10ヶ月までペットショップ暮らしでたくさんの犬と交流してきたおかげか、他犬への苦手意識はありません(大型犬は少し怖いらしい)。
そんな2頭だったので、一緒に暮らして約9年、所有欲ゆえのケンカはたまにあれど、くっついて眠ったり、身体を舐めあったりとなんだかんだ上手くやっていました。
じゃあなぜ後悔しているか。それは、飼うこと・暮らすことは出来たけど、「もっとしたかったこと/してあげたかったこと」が出来なかったから。
若い頃から、もっと質の良いフードを与えたかった。1頭ずつと向き合う時間を持ってあげたかった。若かった私は、知識もなければ、その重要性も今ほど理解できていませんでした。たとえ理解していたとしても、2頭それぞれ(しかも猫もいる)にそこまでやってあげられるほどの余裕が金銭的にも時間的にも気持ち的にもなかったし、その余裕がないのであれば2頭目を迎えるべきではなかったと思っています。
(ペキニーズの子を迎えなければよかった、と言いたいわけではありません!その子のおかげで得たものは私も亡くなった彼女もたくさんあるし、うちに来るべくして来た、かけがえのない存在です。)
また、いぬについて学ぶ中で、彼女は2頭目を「受け入れ」はしたけれど「歓迎」はしていなかったことに気づきました。いぬのボディーランゲージを詳しく学ぶことで、それはよりハッキリと見えるようになりました。
「犬が苦手なわけではないし、」「なんだかんだ犬同士、お友達がいた方がいいはず」「ほら、くっついて仲良く寝てる♪」そんなうわべしか見れなかった私が、本当の意味での彼女の理解者になるのにずいぶん時間がかかってしまいました。申し訳ないことをしていたな、と思います。
2頭目を迎えることが、先住犬の我慢の上に成り立つのであれば、それはすべきではない。そして、2頭目を「歓迎」できる子はごく少数であるということ。
私がお客さんから多頭飼いについて相談される時に、ものすごく慎重になるのはこれが理由です。
(未熟な私のわがままを、受け入れてくれた愛犬たち。本当にありがとう。)
亡くなる前の7ヶ月間、2人と1頭の生活を送ることが出来たことがせめてもの救いです。とことん彼女を向き合うことが出来た7ヶ月間は、とてもとても幸せで大切な時間になりました。きっと彼女も同じ気持ちだと思います。
(彼の実家からいただいた伊賀牛と。おすそ分けしたお肉を、おいしそうに味わっていました。)
後悔その2.身体についてもっと知るべきだった
先述の通り、1歳近くまでペットショップにいた彼女。ペットショップにいた期間は当然、お散歩もなければ、それほど広くないスペースで1日のほとんどを過ごしていたことになります。
ここで考えるべきだったのは、彼女がペットショップで過ごした時期は、身体の基礎をつくるのにとても大切な時期だったということ。
全く知らなかったわけではありません。でも、こんなに違いがあるとは…。いろいろなワンちゃんに出会い、学ぶ中で、その時期の過ごし方の大切さを身に染みて実感するようになりました。
(これは、ペットショップを否定するわけでも、仔犬から迎えることだけを推奨するわけでもありません。)
具体的には、後肢(太もも部分)の筋肉量の少なさです。もともと華奢な子だし、大きくなるまでショップ暮らしだったから「ある程度仕方ない」と思っている部分がありました。引っ張り合いっこをするのも好きじゃないし、お散歩で走り回るのも特別好きなわけではない。
あるがままを受けいれることは、人でも犬でも大切ですが、受け入れすぎていました。
「このままじゃまずい」と思ってからは、トレーニングの一環で後肢を使うような動きを教えたりするようになりました。…が、やはり若い頃は『筋肉をつける』ことが出来ても、10歳近くになっても『今ある筋肉がなくならないように』のためのものになりがちでした。
彼女がもしも癌にならず、あのまま病気もせず暮らしていたら、きっと歳を取るごとに今よりもっと筋力が落ち、歩くことが出来なくなっていたでしょう。自力で歩けず、トイレに行くことも出来ず、おしっこもうんちも垂れ流し状態。たった2ヶ月、病気以外の面では、自力で歩き、トイレも最後まで完璧だった彼女の闘病生活でも精神的・身体的に正直かなり疲れました。これが歩けない・トイレが自力で出来ない状態で、半年、1年、数年続いたら……。
動物の医療が発達し、昔からは考えられないくらい平均寿命が伸びているからこそ、お互いのために健康に長生きすることを、迎えたその日から考えてあげる必要があるなと感じています。
具体的には、うちの子の場合は「幼少期の生活環境による筋力不足」でしたが、それぞれのワンちゃんの体質や、犬種ごとになりやすい病気や生活する上で気をつけなければならないこと。これらをきちんと学び、備えることが、健康に長生きすることに繋がると思っています。そして、それらをきちんと伝え広め、学びと備えのサポートをすることが私のすべきことだと思っています。
そして、いまこの瞬間も数ヶ月、数年続く闘病生活や介護生活を送っていらっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。本当に尊敬の気持ちでいっぱいです。人間のようにヘルパーやデイケアがたくさんあるわけでも、介護保険や生命保険などの金銭的サポートがあるわけでもありません。どうしても飼い主さんが全てを抱え込まざるをえない状況で、少しでも頼れる存在になっていきたいです。
(よだれかけは、ヨダレと腫瘍の浸出液と食べ損ねたごはんのせいで、半日でお取替え。毎日手洗いしていました。)
後悔その3.一緒に旅行に行きたかった
最初に言います。これは完全に私個人の後悔で、彼女は「いや、別に…(笑)」という感じだと思います…が、いつか行こうと思っている間に行けなくなってしまいました。
いや、本当は今年のゴールデンウィークにでも2人と1頭で行きたいねって話してた…コロナが憎い…!
…と、コロナを責めても仕方ありません。病気にしろ、コロナにしろ、何があるか分からないからこそ、日々後悔しないように生きなければならないと改めて実感しています。
最初に、「私個人の後悔」と言ったのには理由があります。彼女は、散歩やお出かけは、好きでもなければ、嫌いでもありませんでした。ただ、私と一緒に居れたら良い。一緒にいれるならどこに行こうが行くまいがどうでも良い。そんな子でした。こう断言できるのも、私がいぬについて学び、彼女の行動を観察したからです。
もちろん、例えば、もし若いうちに旅行に連れていっていたら、その旅行がめちゃめちゃ楽しくて「お出かけ大好き!旅行大好き!」になっていたかもしれません。ですが、それはタラレバの話。私がきちんと学んでから見えた彼女は、「お姉がいるならなんでもいいよ〜」という姿でした。
ここで、私は改めて実感したのです。いぬについて、愛犬について正しく知ることが、いつか来るその時の後悔を減らすことに繋がる、と。
例えば、この「旅行に連れていってあげたかった」。それ、本当にその子が望んでいることでしょうか?「本当は、お外そんなに好きじゃないんだけどな…」とか、テンション高く喜んでいるように見えて「怖い!ここはどこ?!どうしよう?!」という状態だったとか。そういった子に対して「旅行に連れていってあげたかった」という後悔は、する必要のない後悔です。
いぬについて、その子について正しく理解出来ていなかったが故に、する必要のない後悔に苛まれるのは、誰も嬉しくありません。
どうせ後悔するなら、正しく後悔したい。そして、正しい後悔を正しく減らしたい。そのために、飼い主さんが愛犬を正しく知る機会を、いぬについて正しく学ぶ機会をつくっていきたいです。
(前の前の職場にいた頃の。ここも、その次の職場も、時々同伴出勤していました。ちょっとした非日常は ほどよくワクワクしていたようです。)
闘病生活での後悔は、今はひとつもありません。たくさんの周りの方のサポートと、11年前とは比べ物にならないくらいの知識や技術を学ばせてくださった、出会った全てのワンちゃん達のおかげで、今の私にできる全てを注ぎ込むことができました。本当に本当に、ありがとうございます。
ですが、私はまだまだ学び続けます。
かつて無知だった自分の選択を、いま後悔しているように、今は「ない」と言いきれる後悔が数年後には山ほどあるかもしれませんし、この仕事をしていく以上、そうでなければいけません。そしてまた、自分の感じた後悔を、他の誰かが味わうことのないよう、伝えて広めていくことが、私に出来ることだと思っています。
私の後悔が、いつか誰かを救えますように。
(本を買いました。無知の後悔を見つけるために。そして、彼女からもっと教わりたかったことを、これからは自分の力で学ぶために。)
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