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居場所

 小学生のころ、プロフィール帳という好きな音楽とか動物とか恋バナなんかを、かわいいレイアウトの紙に書いて交換するのが流行っていた。
ファンシーな履歴書みたいな感じ。

チャームポイントの欄に、わたしは必ず「目」と書いていた。
自分は自分の顔があまり好きではなかったけれど、目を褒められることが昔から多かったから。

目鼻立ちがはっきりしていることは、目立ちたくないという一心で生きていた私にとっては長い間苦痛だった。
一般的な「日本人」の顔になりたかった。

 それから10年以上たったいま、また自分の容姿について悩むことが増えていた。

というのも、初めての海外生活、エジプトで、
「あなた見た目はエジプト人だね」
と初対面の現地人に言われることがほぼ100%だからだ。
そのたびに、「あぁ、やっぱりわたしって日本人と思われることはないんだな」と、落胆していた。

冷静に考えてみれば、マジョリティの「日本人」顔ではないのだから、そもそも日本人についてよく知らないエジプト人が私の顔を見て驚くのも無理はないのかもしれない。
そういうバックグラウンドの多様性について考えがめぐらずに、先入観で何かを決めつけてしまうことは、恥ずかしいことだけれど、わたしにだってまだきっとある。
だからこそ、この誰も悪くないけれどもやもやする、という状況にやるせないでいた。

 転機が訪れたのは去年の冬にさかのぼる。
その日は在エジプトの日本人が集まる貴重な機会だった。
普段学生と関わることはあっても、駐在員の方々にお会いする機会はほとんどなかったし、こんな僻地にいる日本人って、いったいどんなひとたちなんだろう、と期待を寄せて場所へ向かった。

でも、思っていたのと結果は少しちがった。

「あ、日本人だったんだ!」
これくらいならよく言われるのでえへへって笑って流せる。

「エジプト人の方かとおもっていました」
ついに日本人サイドからも出た。

「さっき『ハーフの子が来てるよ』って聞いたんだけど、あなたのことだよね」
そういうラベリング、きらい…

「え…日本語上手ですね…!?」
どこからどうみてもネイティブが話してるのに、見た目につられすぎじゃない?

「え?なんのためにアラビア語勉強してるの?もうできるんじゃないの?」
見た目でもともとできるって決めつけないで。

一日中、こういう悪気のない発言を浴びて、正直言って疲労困憊してしまった。
ずっと愛想笑いを浮かべて、「いえ、実は母が日本人で父は~」とか、「母語は日本語だけなので…」とか、どうでもいい情報ばかりを答えて、どうしてわたしだけこんな会話をしなくてはいけないのか。
他の学生にも、「お母さんとお父さんはどこ出身なの?」とか初対面で聞いてみなさいよ。

日本国内でこういう扱いをされることには半ばあきらめている自分がいた。
いくらハーフの子が増えているからと言って、私たちハーフを完全に同等な日本人だとみなしている人は、体感的にあまり多くはない。

だとしても、エジプトで会う日本人なら、わたしのことも日本人として受け入れてくれるのだろうな、と少しでも期待してしまった自分にがっかりした。
世界を股に掛ける駐在員の方なら、もう少し広い視野で接してくれると思ったから、余計に気持ちが沈んだ。

帰路につく間、ルームメイトでもある同級生に、
「『日本語上手ですね』って言われているのを見たときは流石にびっくりした。
早春はやさしいからみんなにニコニコ対応していたけれど、初対面であんなにルーツについてずかずか踏み込んでくる人がいるなんて、大変だろうね」
と言ってくれて、
(今わたしが感じているこの疲労は、間違ったものではないんだ)と、
彼女の慰めにとても救われた気持ちになった。
あれから日本人が集まる場所に行くのは少し億劫になってしまった。
あれほどあからさまに同胞意識をないものにされてしまうことに、
ほんのちょっぴり恐怖を抱いてしまったのだ。

結局、ここもわたしの居場所ではなかったのだ、と。

 この一連の話を近しいエジプト人の友人にしたら、真剣に同情しているどころか、なんと笑っていた。

なんで笑うのよ、こっちは本気で困っているのに、とたしなめると、

「そりゃあそうだよ、早春は日本人には見えないもの」

それはわかっているけれど、同じ日本人にまで仲間だと思われないのは悲しいんだよ、とごねると、

「外見は変えることができないし、
人の視野をそう簡単に広げることもできないよ。
早春が100%『日本人』になろうとするのは、
あきらめなくちゃいけないんじゃない?」

なにそれ、他人事だからって適当なこと言うんじゃないよ!
やっぱり当事者じゃないとこの辛さはわからないのだわ……!
とその時は頭にきてしまった。けれど日を置いてもう一度考えてみた。



「帰属意識って、そんなにだいじなもの?」



今までずっと、故郷といえる場所が日本しかない分、一般的な日本人の社会に溶け込みたいばかりだった。
周りの同じ環境で育った人間たちに、一線を引いて欲しくなかった。生まれてからずっと、自分の故郷が自分の居場所ではないと思い続けて生きてきて、いったいどこにいれば心が休まるんだろうと考えていた。
でもその努力って本当に必要だったのかな、と急に懐疑的になり始めた。

もちろん、ずっとそういうしがらみがまとわりついたまま生きてきたことを否定するわけではない。
むしろ、今まで大変だったなって、自分に同情してしまうくらいには無駄なものだとは思っていない。

結局、日本社会という大規模で捉えていたのが良くなかったのかもしれない。
もちろん、外国人扱いされることにもやっとするのは変わりないけれど、それはわたしの問題ではなくて、相手の視野の問題なのだから、どうにもならない。
うざったらしい質問をされたら、ニコニコ座っているのではなくて、もっと強気に出ればいい。

居場所なんてその気があればどこにでも作ることができると、エジプトに来てから気づいた。

現に、20年間生まれ育った日本よりも、驚くべきことにエジプトの方がわたしの性格に合っているなと感じることもよくある。
日本人としか自認していないけれど、本音と建前の文化がとても苦手で、ここでは要望や意見ははっきり言うし、融通がきくところがとてもすき。
また、ここでは両親の馴れ初めなんて一度たりとも聞かれたことなんてないし、ルーツや宗教に踏み入った話なんて気が置ける仲になっても大抵はしない。
日本人よりお節介なひとが多い国民性なのに不思議だが、これはありがたい。
もちろん語学留学でここに来たわけだれけど、こういう新しい気づきがあるのは、来て良かったと心から思う理由のひとつだ。


けれど、日本にだって居場所がないわけではない。
家族はもちろん、ルーツを完全に無視して接してくれる高校の同級生たち、ムスリムの友だち、同じくアラビア語を学ぶ大学の友人、、、

要は、受け入れる気がなさそうな人にまで、無理に期待をする必要はないのだ。それでいて、自分は社会の要員ではないと諦める必要もない。

自分の価値は自分で決めて、自分の居場所も他人の価値観に委ねず、好きな場所で自分の素をだして、ストレスフリーで生きていけたら、きっとそれがいちばん幸せだろうな。

少し勢い余って憎まれ口をたたいてしまった部分もありますが、大目に見てください。

そろそろ帰国が近づいているけれど、最近は、近所の道に佇むアーモンドの木や、学校の窓から見えるマンゴーの木を愛で、みずみずしい夏の息吹を吸い込んで、残りの日々をだいじに抱いています。

読んでくださりありがとうございました。

今日はここまで🌛

تصبح على خير  (おやすみなさい)

早春






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