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きらきらピンクの色眼鏡

すごい文字数になりました。
また、何をしたいのかよくわからない頭の中を過ごしています。

「暗い」とか、「メンヘラ」の感じのことって、よく「重い」って笑われるのですが、そんな感じの言葉を調べるよりすごく重たかったです。
あとは、最近撮り溜めていたワンピースをみて、ニカが出てくるところのアニメの太鼓の音がすごく軽やかで楽しくて、戦うシーンなのにたくさん笑いました。

そういえば国語か社会の先生が、「辞書でコンパクトに説明をまとめている中で、文字数をさいている言葉が、どんなものかな〜?」のようなことを言っていました。多分。そんな感じのことを、思い出しました。
あとは、確か、アベンジャーズの話で、青い強い敵が世界を滅ぼした後に、畑で野菜を育てて過ごしていたのがすごく嫌だったのを思い出しました。いかりました。
あとは、ちょっと虚しいです。
歴史の授業が苦手だったのは、結局戦争が起こってしまうことかもしれません。落ち込みを、ピシッとさせるインパクトのある調べ学習ごっこになりました。

びしっと
張り詰めた氷などがきしむように割れる音や枝などしなやかなものが折れる音、また、そのさま。
姿・振舞にすきがないさま。「びしっと着こなす」
厳格なさま。「びしっと叱る」

プロレタリアからブルジョワに向かう方向じゃなかったら、どんなのがあるんだろうなぁ。
なんとなく、プロレタリアの感じの服は石器時代みたいな服の感じで、なんとなく、ブルジョワの感じの服がマリーアントワネットみたいな感じの服だったら、わたしはどちらも着心地が悪いなぁ。

今回の電子辞書の調べ学習ごっこの文章です。迷宮入りという気分です。

正義
荀子(正名)正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。「正義を貫く」
漢書(律歴志上)正しい意義または注解。「尚書正義」
(justice)
ア、社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。プラトンは国家の各成員がそれぞれの責務を果し、国家全体として調和があることを正義とし、アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義社会は各人の法的な平等を実現した。これを単に形式的なものと見るマルキシズムは、真の正義は社会主義によって初めて実現されると主張するが、現在ではイデオロギーを超えた正義が模索されている。
イ、社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。

正義感
正義を重んずる気持。「正義感に燃える」「正義感が強い」

マルキシズム、マルクス主義
(Marxism)マルクス・エンゲルスによって確立された思想体系。哲学的基礎としての弁証法的唯物論、それを社会に適用して社会をその物質的土台から歴史的に把握する史的唯物論、階級社会の場での階級闘争の理論、資本主義社会の運動法則を解明する経済学説、国家を階級支配の道具と見る国家論、労働者階級の革命運動の戦略・戦術、植民地・従属国の被圧迫民族解放の理論、社会主義・共産主義建設の理論など。

弁証法的唯物論
1840年代にマルクスが提唱し、エンゲルス、ついでレーニンらが発展させた理論。従来の唯物論が機械的であったのに対して弁証法的、ヘーゲルの弁証法が観念論的であったのに対して唯物論的であることを特質とする。根本原理としての物質的存在の優位とそれの弁証法的運動、人間的実践を媒介とするこの運動の模写としての認識を説く。

自然弁証法
エンゲルスの遺稿「自然弁証法」の内容となる学説。神の摂理観や機械論的自然観に抗し、自然において認識されうる運動発展の一般法則としての弁証法的唯物論を説く。

唯物論(哲)materialism
精神に対する物質の根源性を主張する立場。従って物質から離れた霊魂・精神・意識を認めず、意識は高度に組織された物質(脳髄)の所産と考え、認識は客観的実在の脳髄による反映であるとする。唯物論は古くインド・中国にも見られ、西洋では古代ギリシア初期の哲学者たち以来、近世の機械論的唯物論(特に18世紀のイギリス・フランスの唯物論)やマルクス主義の弁証法的唯物論を経て、脳科学に基礎を置く現代の創発的唯物論に至るまでさまざまな形態をとって、哲学史上絶えず現れている。
↔︎観念論↔︎唯心論。→反映論。
通俗的用法としては、卑俗な処世法としての打算的・享楽主義的な態度を指す。
唯物(ゆいぶつ)
ただ物質のみが真の存在であるとして、これを重視すること。
唯心(ゆいしん)
(仏)一切の存在は心の変現したもので、心が唯一の実在であるということ。花厳経の中心思想。「三界唯心」
ただ精神のみが真の存在であるとしてこれを重視すること。
唯心の浄土(ゆいしんのじょうど)
(仏)極楽浄土は心を離れて他にあるのではなく、自己の心中にあるものであるということ。己心(こしん 自己の心。)
己心の弥陀(みだ)
弥陀は浄土にあるのではなくて、却って自分の心(身)にそなわっているということ。
唯心の弥陀
(仏)阿弥陀如来も、結局自分の心内に存在するものにほかならないということ。

観念論
(idealism)物質に対して観念的なものの根源性を主張する立場。
イデア(プラトン)や宇宙的な精神(ストア学派)を世界の原理とする形而上学。カント以後のドイツ観念論(ヘーゲルの絶対精神の自己展開)等。
→絶対的観念論
バークリーのように、物質的世界の客観的実在性を否定し、世界は終極的には神の観念にすぎないと見る立場。
→主観的観念論。
カントおよび新カント学派の認識論上の先験的観念論。↔︎唯物論↔︎実在論。
→超越論的観念論
→唯心論

形而上学
(metaphysics)(元来「自然学の後に置かれた書」(ta meta ta physika(ギリシア))の意で、ロドスのアンドロニコスがアリストテレスの死後、著書編集の際に実在の根本原理を論じた書を自然学書の後に配列したことに由来。)
アリストテレスのいう第一哲学。哲学史・問題集・定義集・実体論・自然神学の5部から成る。
現象を超越し、その背後に在るものの真の本質、存在の根本原理、存在そのものを純粋思惟により或いは直観によって探究しようとする学問。神・世界・霊魂などがその主要問題。
思惟(しい)
心に深く考え思うこと。古今著聞集(20)「事にしたがひて思惟を致すべし」
(仏)(しゆい)(しいとも)考えめぐらすこと。心を集中させること。「五劫思惟の阿弥陀仏」

形而上
「」形式を離れたもの。抽象的なもの。無形。
(哲)(the metaphysical)(井上哲次郎の訳語)時間・空間の感性形式をとる感覚的現象として存在することなく、それ自身超自然的な、ただ理性的思惟によって捉えられるとされる存在。↔︎形而下。

形而下
「」形をそなえるもの。有形。
(哲)(the physical)(井上哲次郎の訳語)自然一般・感性的現象、すなわち時間・空間のうちに形をとって現れるもの。↔︎形而上

形而上学的唯物論
形而上学的思考方法をとる非弁証法的な唯物論。機械的唯物論にほぼ同じ。
機械的唯物論
(哲)目的概念を排して一切の生成変化過程を物質の力学的運動に基づいて説明しようとする立場。デモクリトスの原子論、18世紀のフランス唯物論など。

絶対的観念論
(absoluter Idealismus(ドイツ))シェリングは、精神の哲学としての観念論のみを立てるフィヒテに対して、自然の哲学としての実在論を対置し、精神と自然が根源的には同一であるとする自らの立場を絶対的観念論と呼んだ。ヘーゲルも自らの立場を絶対的観念論とするが、シェリングには単に同一性の主張があるだけで論証がないとして絶対精神の弁証法を展開した。

主観的観念論
(哲)(subjective idealism)客観的なものをすべて意識・精神の内容に帰し、存在を主観的観念と見なす立場。バークリーの説はその典型。また、一切を自我の所産と考えるフィヒテ哲学もこれに属する。
客観的観念論
世界の本質を主観的意識とは独立に存在する何らか精神的・観念的なものと見て、一切の現象界をこれの顕現と見る形而上学的立場。代表者はプラトン・スピノザ・ヘーゲルら。
先験的観念論
超越的観念論に同じ。
超越的観念論
人間の認識は経験と共に始まるが、経験に由来せず、それが可能になるのは主観の先天的直観および思考形式により感覚的所与が構成されるからであるという認識論上の立場。カントが唱えたもので、認識の根拠を超個人的な主観に求める点で、経験的自我によるバークリーの主観的観念論とは異なる。また、この語をフィヒテやシェリングが用いる場合は、存在に関わり形而上学的な観念論である。批判的観念論。
カント
ドイツの哲学者。ケーニヒスベルク大学教授。科学的認識の成立根拠を吟味し、認識は対象の模写ではなく、主観(意識一般)が感覚の所与を秩序づけることによって成立すること(コペルニクス的転回)を主張、超経験的なもの(不滅の霊魂・自由意志・神など)は科学的認識の対象ではなく、信仰の対象であるとし、伝統的形而上学を否定し、道徳の学として形而上学を意義づけた。著に「純粋理性批判」「実践理性批判」「道徳形而上学言論」「判断力批判」など。(1724〜1804)
カントラプラスの星雲説
主として太陽系の成因を説明しようとした宇宙進化論の先駆。高温の星雲上のガスがゆるやかに回転運動をしているうちに重力で収縮して環を形成し、それが球状にまとまってできた惑星が、中心のガスから作られた太陽のまわりを回るようになったとする。1755年にカントが提唱し、96年にラプラスが発展させた説。星雲説。
批判主義
批判の精神をもっている思想態度。批評主義。
人間の認識の可能の条件、認識能力の先験的吟味、すなわち認識批判を中心課題とする哲学上の立場。カントおよびカント学派の哲学。
コペルニクス的転回
(哲)カントがその「純粋理性批判」の認識論において、主観が客観に従うのではなく、逆に客観が主観に従い、主観が客観を可能にすると考えたことを、天動説から地動説へのコペルニクスの展開にたとえて自ら称した語。
ものの考え方が、がらりと正反対に変わることにいう。

唯心論
(哲)(spiritualism ; idealism)世界の本体を精神的であるとする立場。認識論上の観念論の意味にも用いるが、普通には形而上学の一立場。プラトン・ライプニッツ・ヘーゲルらはその代表者。

立場
立っているところ。
その人が置かれている地位や状況。また、その人の面目。立つ瀬。「立場によって考えも違う」「立場上、やむを得ない」「立場がない」
見地。観点。考え方。「唯物論の立場」「中立の立場を貫く」
葬式。また、葬式の出立(でたち)。
「立場の膳」の略。
立場の膳
出棺の直前に会葬者に供する食事。立場。お立ち。立飯(たちめし)。

実在
(墨子(非儒下))実際に存在すること。「実在の人」
(哲)一般には、観念・想像・幻覚など主観的なものに対し、客観的に存在するもの、またその在り方。プラトンは感覚的世界を実在の影にすぎず、その背後のイデアを真の実在と考えた。これに対し、アリストテレスは感覚的世界を真の実在とし、形相(イデア)を感覚的世界に内在する不変の構成原理とした。また、バークリーは一切の存在を観念に還元する観念実在論の立場をとり、ヘーゲルは実在を精神の自己客観化として、実在と観念の統一を主張した。

観念
(仏)観察し思念すること。仏陀の姿や真理などに心を集中してよく考えること。
あきらめること。覚悟。「もはやこれまでと観念する」
(哲・心)(idea)思考の対象となる意識の内容・心的形象の総称。山の観念、善悪の観念など。
物事に対する考え。見解。「固定観念」「責任観念」「経済観念に欠ける」
観念修行
観念という修行。または、観念と修行の意で、観念することとそれを実地に行うこと。観行。雨月物語(1)「観念修行のたよりせし庵なりけり」
観念小説
作者の観念を露骨に表明し、好んで人生の裏面を描写する小説。日清戦争後の文壇を風靡した一傾向。泉鏡花「外科室」、川上眉山「うらおもて」の類。
風靡(ふうび)
風が草木をなびかすように、その時代の大勢の人々をなびき従わせること。また、なびき従うこと。「一世を風靡する」
観念性
主観における単なる観念としてあること。主観的構成によってのみあることを指す場合が多い。
実在性
(reality)主観的観念・現像とは独立な、客観的・現実的在り方。現実性。
現実性
現実に存在しているすべてのものの存在性格。また現実態のこと。
現実になりうる性質。
可能性
(possibility)
できる見込み。
(哲)
論理的に矛盾が含まれていないという意味で、考えうること。
あることが実現される条件がそれを妨げる条件よりも優勢であると確認されていること。
必然性
(哲)
何かがそれ以外でありえないこと。論理的必然性は、一定の前提から論理の法則に従って結論が導かれること。倫理的必然性は、道徳法則が個人に対して義務ないし当為であること。自然的必然性は自然的現象が因果関係に支配されること。「必然性に欠ける」
偶然
何の因果関係もなく、予期しない出来事が起こるさま。「偶然が重なる」「偶然の出会い」
(哲)原因がわからないこと。
歩行者の頭に瓦が落ちてくる場合のように、ある方向に進む因果系列に対して、別の因果系列が交錯してくる場合。一般に必然的な法則は、現実には無数の因果系列の交錯の中でしか貫徹されないから、人間の認識の不完全さのために常に偶然的事件が起る。
ふと。たまたま。はからずも。「偶然聞いた話」
必然
必ずそうなること。「必然の結果」
必然的
必ずそうあるべきさま。
必然判断
(論)判断の様相のひとつで判断の主語と述語との関係が必然性をもつことを表す判断。「Sは必ずPである」という形式をとる。
蓋然判断・概然判断(がいぜんはんだん)
(論)主語観念と述語観念との関係が論理的に可能なことを表す判断。
実然判断
(assertoric judgment)(論)判断の様相として確実性の程度から見て、蓋然判断及び必然判断と区別する語。主語と述語との関係が実際に成立することを表し、「SはPなり」という形式をとる。確然判断。
確然
物事がたしかで、しっかりと定まっているさま。「確然たる証拠」
蓋然
あるいはそうであろうと思われるさま。
現実
現に事実としてあること。また、そのもの、その状態。空想に対する実在。実際。「現実味」「現実感」「理想と現実との差」「現実に起こった事件」
(哲)(actuality ; reality)
理想に対するものとしての現実。この場合、現実は理想実現への障害を含むと同時に、その実現の可能性を含む素材、実現の生起する場としての意味をもつ。
可能態に対する現実態の意。
エネルゲイア
アリストテレス哲学の中心概念。潜在的な可能態(デュナミス)に対して、働きを実現している現実態をいう。
エンテレケイア
アリストテレス哲学の重要概念。語源的にはtelos(目的)に達している状態で、可能態としての質料がその目的とする形相を実現し、運動が完結した状態。近くは、生物学者ドリーシュなどの新活力説(生気説)において生命の非物質的原理とされる。
生気論(せいきろん)
(哲)(vitalism)生命減少には物理・化学の法則だけでは説明できない独特な生命の原理(活力)があるという説。18世紀中頃以後、一部の生理学者・哲学者が唱えた。活力説。
現実界
現実の世界。経験の範囲。
現実原則
(心)現実生活に適応するため、快感を求める原始的本能的欲求を延期、断念、または変形したりする自我の働き。精神分析の用語。
快楽原則
(心)不快を避けて快を求めようとする傾向。イドはこの原則に従う。精神分析の用語。
現実主義
(realism)一般に現実的なものを重視する態度。
主義や理想にこだわらず現実に即して事を処理する態度。目前の既成事実に屈服する態度や日和見主義と同じ意味になる場合がある。
空想や夢想におちいらず現実のきびしさを十分に知って事に処する態度。この場合は必ずしも理想主義とは矛盾しない。
日和見主義
形勢をうかがって、自分の都合のよい方につこうと二股をかけること。政治運動や労働運動で用いられることが多い。
観念的
観念に関すること。
現実を無視して抽象的・空想的に考えるさま。「観念的な論文」
実践的
実践に基づくさま。実際に行動するさま。
観念奔逸
(心)考えがつぎつぎにほとばしり出て、連想が急速に進行し、思考がきまった方向に向けられない状態。
実在論
(realism)
認識主観唐独立な客観的実在を認め、何らかの仕方および程度においてそれは認識され得るとする哲学上の立場。極端な観念論以外のすべての哲学的立場がこれに入る。
素朴実在論
(哲)(native realism)外界が意識から独立に存在していると見、意識内容はそれの模写と考える立場。
模写説
(哲)(copy theory)認識は実在の忠実な模写・反映であるとする認識論上の立場。素朴実在論・唯物論などは、この見地に立つ。
反映論
(哲)認識は客観的存在の意識への反映と見なす唯物論の認識論学説。弁証法的唯物論では、認識は形而上学的唯物論が主張するような対象の鏡面への射影に似た受動的なものではなく、自然および社会への人間の働きかけ(実践)によって初めて成立し、感覚から概念、判断、推理への前進は反映の発展であるとする。反映は歴史的過程であり、無限に展開する実践によって絶えず深められる。さらに、反映は客観的対象の反映であるばかりでなく、認識主体の歴史的・社会的条件の反映でもあり、認識のゆがみもこれによって説明される。
実念論
(realism)中世哲学において、普遍概念は個体の後に付けられた言葉・名称と見なす唯名論に対し、プラトンのイデア論を継承して、それは個体に先立つ客観的実在性をもつとする立場。実在論。
普遍論争
普遍者の存在の仕方についての中世スコラ学の論争。普遍は個物に先立って実在するという実在論(実念論)と、普遍は個物の後に人間がつくった名前にすぎないとする唯名論とが対立したが、普遍は個物に形相として内在するという緩和実現論が多勢を占めた。
唯名論(ゆいめいろん)
(nominalism)普遍はただ一般的な記号・名前にすぎないもので、客観的実在を指すのではなく、実在は個物であると考える立場。スコラ学の時代に、実念論との間に普遍論争が起った。代表者はアベラールの師ロスケリヌスおよびオッカム。名目論。
唯物史観(ゆいぶつしかん)
(哲)マルクス主義の歴史観。物質的・経済的生活関係を以て歴史的発展の究極の原動力と考える立場。これによれば、社会的・政治的および精神的生活過程一般は、究極において物質的・経済的生活の生産様式によって規定され、しかもこの物質的基盤そのものは、それ自身の弁証法的発展の必然性に従って展開するものとされる。史的唯物論。

機械的
機械が動くように単調な動きを見せるさま。「機械的に手を動かす」
個性的でなく、型どおりのさま。「機械的に処理する」「機械的に目を通す」
力学的。力学の法則に還元できる過程についていう。
社会主義
(socialism)
生産手段の社会的所有を土台とする社会体制、およびその実現を目指す思想・運動。
狭義には、資本主義に続いて現れるとされる共産主義社会の第一段階を指す。
非マルクス主義的社会主義の運動および思想。マルクス主義の社会主義運動が共産主義運動と呼ばれるのと区別するため、社会民主主義を特にこの名称で呼ぶ。
空想的社会主義
マルクス・エンゲルスが自らの科学的社会主義に対して、サン=シモン・フーリエ・オーウェンらの社会主義を呼んだ名称。産業資本の未成熟な段階において既に資本主義の本質を明らかにし、未来社会の理想を説いたが、階級闘争の理論は含まなかった。ユートピア社会主義。
階級闘争
政治上の権力をめぐって支配階級と被支配階級との間に行われる闘争。マルクス主義では歴史的発展の原動力と見なす。
科学的社会主義
オーウェン・サン=シモン・フーリエらの空想的社会主義に対して、歴史および現実の社会に対する科学的認識の上に立つとしたマルクスの社会主義。
共産主義
(communism)
私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差を無くそうとする思想・運動。古くはプラトンなどにも見られるが、主としてマルクス・エンゲルスによって体型づけられたものを指す。
プロレタリア革命を通じて実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制。
その1段階は社会主義とも呼ばれ、生産力の発展程度があまり高くないため、社会の成員は能力に応じて労働し、労働に応じた分配を受ける。
生産力が高度に発展し、各成員が能力に応じて分配を受ける段階。これが狭義の共産主義。
資本主義
(capitalism)封建制度に現れ、産業革命によって確立した生産様式。商品生産が支配的な生産形態となっており、あらゆる生産手段と生活資料とを資本として所有する資本家階級が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者階級から労働力を商品として買い、それの価値とそれを使用して生産した商品の価値との差額(余剰価値)を利潤として手に入れる経済体制。
大正デモクラシー
大正期に顕著となった民主主義(デモクラシー)的・自由主義的風潮のこと。憲政擁護運動、普通選挙運動、あるいは吉野作造の民本主義や一連の自由主義・社会主義の思想の昂揚等があり、従来の諸制度・諸思想の改革が試みられた。
民主主義
(democracy)語源はギリシア語のdemokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場をいう。古代ギリシアの都市国家に行われたものを初めとし、近世に至って市民革命を起した欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される。
自由主義
(liberalism)近代資本主義の成立とともに、17〜18世紀に現れた思想および運動。封建制・専制政治に反対し、経済上では企業の自由を始め、すべての経済活動に対する国家の干渉を排し、政治上は政府の交替を含む自由な議会制度を主張。個人の思想・言論の自由・信教の自由を擁護するものであり、イギリス・フランス・アメリカにおける革命の原動力となった。
自由教育
リベラルアーツを教える教育。政治・宗教・職業などの束縛を離れ、生活のためでなく人間としての教養のために行う教育。
被教育者の天賦の本性、またその個性を重んじ、自発活動を主とする新教育の主張。わが国では大正デモクラシー期に盛んになる。
手塚岸衛(1880〜1936)が、1920年代に展開した新教育運動。
自由財
財のうち、それを手に入れるために対価を必要としないもの。かつて代表例であった空気や水は、環境汚染などによって、対価を要する経済財になりつつある。
自由思想家
思想史では、既成の啓示宗教を批判し、伝統から自由に政治・社会を考えた、18世紀の啓蒙思想家を指す。
一般には、いかなる権威にも服せず自分の良心に従って自由に考える思想家。
民本主義
(democracyの訳語の一。茅原(かやはら)華山が詔勅の語からとって最初に用いた)日露戦争後に吉野作造によって主唱された民主主義論。主権の所在には触れず、その運用の民主化を主張、政党内閣制・普通選挙制を根拠づけた。
イデオロギー
(もと一九世紀初め、フランスの哲学者デステュット=ド=トラシーが唱えた観念学)
トラシーらを空論家として非難したナポレオンの侮蔑的用法をうけて、マルクスが用いた語。歴史的・社会的に制約され偏った観念形態の意。レーニンは、ブルジョアジーのイデオロギーに対抗するために、マルクス主義をプロレタリアートのイデオロギーと考えたが、その場合は肯定的な意味を持つ。
フランクフルト学派の批判理論では、虚偽意識として批判の対象とされる。
転じて、単に思想傾向、政治や社会に対する考え方の意味にも使われる。
プロレタリア
古代ローマにおける最下層の市民たち。
資本主義社会において、生産主義を持たず、自己の労働力を資本家に売って生活する賃金労働者の階級。無産階級。
これに属する個々の労働者。無産者。
貧乏人。
プロレタリア演劇
プロレタリア階級に社会的根拠を置く政治主義的な演劇。左翼演劇とほぼ同義だが、日本では主として戦前のそれを意味する。
プロレタリア革命
資本主義制度を打倒して社会主義制度の樹立を目ざす、プロレタリアを主体として遂行される革命。社会主義革命。
プロレタリア国際主義
資本主義を倒して社会主義を建設しなければ解放されないという点で、共同の利害をもつあらゆる国のプロレタリアの相互関係を規定するマルクス主義の原則。自主・平等・友好・連帯をその内容とした。
プロレタリア独裁
プロレタリアが革命によって獲得した権力を維持・強化するために、強制によってブルジョアジーを支配するとしたマルクスーレーニン主義の立場。プロレタリア革命後、共産主義への過渡期における国家権力の形態。
ブルジョア
語源的にはゲルマン語ブルク(城郭)の住民の意。中世ヨーロッパの都市住民のうち、上層の僧侶・貴族と下層の平民との中間にある中産階級の呼称。市民。町人。
近代社会における資本家階級に属する人。あるいは生産手段を持つ人。
俗に、金持ちのこと。
ブルジョア革命
ブルジョアジーの指導する社会革命。封建的諸関係を打破して資本主義的諸関係を確立する革命。フランス大革命をはじめロシアの二月革命など。ブルジョア民主主義革命。
ブルジョア社会
資本主義制度の社会。
市民社会に同じ。
資産家の社会。
市民社会
(civil society)特権や身分的支配・隷属関係を廃し、自由・平等な個人によって構成される近代社会。啓蒙思想から生まれた概念。
啓蒙思想
ヨーロッパ思想史上、17世紀末葉に起り18世紀後半に至って全盛に達した旧弊打破の革新的な思想。人間的・自然的理性(悟性)を尊重し、宗教的権威に反対して人間的・合理的思惟の自律を唱え、正しい立法と教育を通じて人間生活の進歩・改善、幸福の増進を行うことが可能であると信じ、宗教・政治・社会・教育・経済・法律の各般にわたって旧慣を改め新秩序を建設しようとした。オランダ・イギリスに興り、フランス・ドイツに及び、フランス革命を思想的に準備する役割を果たした。代表者にイギリスのロック・ヒューム、フランスのモンテスキュー・ヴォルテールおよび百科全書派、ドイツのウォルフ・レッシング・カントなど。啓蒙主義。
プロレタリア文学
プロレタリアの生活に根ざし、その階級的自覚に基づいて、現実を階級的立場から描く文学。19世紀中葉から1930年代中頃にかけて行われ、日本では大正末期から昭和初頭に大きな勢力に育ったが、弾圧によって1934年以後壊滅。
弾圧
罪を糺(ただ)しておさえること。強くおさえつけること。
支配階級が強権を使って被支配階級に妨害・圧迫を加えること。「弾圧に抗して闘う」
たたかう(戦う・闘う)
(タタ(叩)クに接尾語フの付いた語)
叩きつづける。また、撃ち合って勝ちを争う。日本霊異記(上)「斧を執りて父を殴(たたか)ふ」
互いに兵を出して攻め合う。戦争する。平家物語(10)「一日たたかひ暮して夜に入りければ平家の舟派沖に浮ぶ」。「敵とたたかう」
互いに力・技などを比べて優劣を争う。「決勝戦をたたかう」
障害・困難などをのりこえようとする。「病気とたたかう」
◇武力を用いて争う場合やスポーツなど、広く一般には「戦」を用い、利害の対立する者が争ったり、障害や困難にうち勝とうと努めたりする場合は、多く「闘」を用いる。

無産階級
プロレタリアの訳語。生産手段を持たず、労働賃金によって生活する階級。労働者・貧農など。
有産階級
資本家・地主など財産のある階級。
中間階級
社会成層の中間に位置する諸階層。また、支配層と被支配層の中間にある階級。ミドルクラス。中間層。
マルクス主義の用語では、所有と生産関係において中間的位置にある社会階級。中小企業主・自営農民・商人などの小資産を持つ自営業者(旧中間層といい、管理的知的作業などに従うホワイトカラーを新中間層として区別する場合もある)。中産階級。プチブルジョア。

調べながら、何度も脳みその限界を迎えました。
何日かかけて調べました。
年号とか、順番は、私にとって覚えるのが難しいポイントです。

ただ、正義について調べてみようって思っただけなのに。
途方もなくて、でも、少し目が覚めたような気分もします。
やっぱり、読み返してみても、少しのイライラと大きな虚しさが出てきます。
無力感なのかなぁ。無防備の恥ずかしさでしょうか。

そこに人という仲間がいるから素敵ですもんね。?。
「あなた」は、「そこ」で、「なにを」しているのかしら、とか、「どんなものを」「作ったり」「楽しんだり」しているのかしら、って、。?。うーん。
もうわからないなぁ。

それで、なんとかして、わたしの脳みそにわかってもらおうと思って、服に変換して考えてみて、
毎日を楽しくしてくれた一冊「毛糸のパンツ」と出会えたことと、毛糸を買わせてもらえたこととか、それが落ち込んでいる時でも便利にできるようなところとか、いろんな人が作った可愛いものを見れることとか、なんで作ったのかな、とか、著作権とハンドメイドの投稿とかの難しさもあったりとか(それを知って、いくら忘れっぽいわたしでも、リスペクトを忘れてはいけないと思いました)、着てあったかいということとか、羊さまとか、コットンとか麻とかならなんとかして育てられるかもと希望を持てるとか(これは適当だ!)、それがあったら、わたしももう少し動ける、のような希望みたいな楽しみみたいな、ちょっと明るい気持ちとか、 
あとは、おいしいごはんと、あったかい寝床!

もうだめだ〜わからない。
だから、なんなんですか、という話ですね〜と思いました。

お洋服を作って、着て、それで外を歩いて人とすれ違って考えたこととか、そういうことを思いながら過ごしていると、わたしはなんとなく、いつものどんよりとは違う気分がするから、それを書きたかったのかもしれません。

。?、。

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