『ショーシャンクの空に』 時間の牢獄

2019年8月26日 『ショーシャンクの空に』を観た。

映画のあらすじについては、ぜひ本作を見て頂きたい。この作品は、ストーリーが淡々と話が進むため、あらすじを聞いただけではこの映画の面白さや、ストーリーの設計について、イメージしずらい部分が多い。しかし、一度この映画を見てもらえれば、この映画のもつ詩的な体験して、本作が名作と呼ばれる理由がわかるはずだ。

今回は、映画のあらすじよりも、この映画の中で一貫して描かれているテーマとその表現方法について話してみたい。

『ショーシャンクの空に』では、主人公のデュフレーンが入所してから、刑務所を出るまで、自らの立場を変えながら希望を獲得していく姿を軸にストーリーが進められる。このストーリー内でデュフレーンは、何度も何度も繰り返される日々の中で、徐々に看守や所長の信頼を獲得し、その見返りとして自らの生活の質を向上させ、刑務所内にもたくさんの改革を起こしていく。そんな彼の地道な努力と刑務所内の環境の変化に、映画を見た人は夢を見て、そして感動するのである。

一方で、本作では、刑務所内の規則や囚人同士で行われる暴力を通して彼らの生活の過酷さが描かれている。もし囚人が規則を破った場合、ショーシャンク刑務所では、真っ暗で何もない懲罰房内に長時間閉じ込められるという罰が与えられる。映画の後半で所長に歯向かったデュフレーンは、懲罰房の中に閉じ込められてしまうシーンがある。デュフレーンは、3日でも永遠に感じられる懲罰房行きを、2ヶ月間も行われる。他の刑務所を舞台とした作品では、刑務所内は、囚人や看守からの暴力など過激な表現が使用されることが多い。しかし、本作では、時間による罰が重要な役目を担っているのだ。

このように、『ショーシャンクの空に』では”時間”が大きなテーマとして扱われている。そして、上に記した2つの出来事は、時間によってもたらされるメリットとデメリットを映画内で端的に表現している。

本作では、このメリットとデメリットが、主人公のデュフレーンとそれ以外の囚人の構図で描かれている。

デュフレーンは、刑務所に入所して出所するまで、時間を能動的に使うことで、看守や所長からの信頼を得て、自らの価値を確立させている。少しずつ彼らに必要とされる存在となり、最後は所長の側近として活躍するまでに至る。

しかし、デュフレーン以外の囚人は、何度も何度も繰り返す日々を受動的に過ごすことで、価値のない無駄な時間が流れている。何も生まれず、刑務所の外から切り離された世界で、時間を消費するだけの存在となる。

ここには、”時間”を能動的に使うか受動的に使うかの違いと、その蓄積による大きな差が明白に現れている。

時間は、能動的に使うことで、信頼や創造性などより大きなものを作り上げていくことができる。

しかし、時間を受動的に過ごせば、取り返しのつかない大きな差が生まれ、その差に直面させられた時、人は今までの自分を肯定するために、保守的にならざるを得ないのである。

デュフレーンは、毎週欠かさず委員会へ手紙を送り、6年かけてやっと何冊かの本を手に入れた。更に、週に2枚のペースで手紙を書くことで、刑務所内に図書館を作ることができた。

しかし、同じく図書を管理していたブルックは、刑務所の中で過ごした50年間を引きずって、仮釈放された後、刑務所の外を目の当たりにして、失った時間の大きさや、刑務所内での生活への執着から、自殺してしまう。

このように、時間は大きな創造をもたらすが、置いていかれたものに対しては、残酷なまでに牙を剥く。そして、その差に目を背けるため、自らの心の中に殻を作って守るしかないのだ。これは、刑務所内での囚人が自らを閉じ込めてしまう心の中の牢獄となってしまう。

デュフレーンの趣味は、石を集めることであった。石は、地層が何千年もかけて作り上げた産物である。彼は、その石の魅力に気づいていた。それは、時間の魅力とも言えるだろう。

君は、与えられた時間を使って、図書館を作るか、牢獄を作るか、どちらを選ぶべきなのだろうか。



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