『アキラ』が見せた未来
2019年9月20日
私は、建築コンペで30年後の未来について語ることになった。このコンペでは、5年後でもなく100年後でもない、少し遠い30年後の未来の提示が求められていた。そして、そのコンペ要項の一文に『アキラ』が30年後の未来を描いた作品として挙げられていた。
この作品は、アニメ映画界の名作として有名で、いつか見ようと思っていた。ネット上では、多様な評価がなされているが、どれもハッキリとしない。
今回は、いいタイミングだと捉え、レンタルショップへ行ってすぐに借りてみた。
あらすじは、30年後の2019年であるNEO TOKYOを舞台として話が展開される。奇しくも、作品中では2020年にオリンピック開催が予定されているが、これは今現実のものとなっている。
本作では、何人かの登場人物を客観的に描き、主人公が、ハッキリとしない。タイトルとなっている「アキラ」は、ストーリー内では、最初から最後まで正体の分からないモノとして話が進んでいく。
ある日、超能力者との接触から、自らも超能力者となった鉄雄。アーミーに捕らえられた鉄雄は、薬の投与により、その能力を徐々に開花させていく。しかし、鉄雄と同級生である金田は、囚われた鉄雄の救出を目論み、勝手に動き出してしまう。この二人を中心としてストーリーは展開される。
この作品を最後まで見て感じたことは、オチがハッキリとしない。「アキラ」が最後に不気味な言葉を残して、この映画はそのまま終了となる。
ここでは、
「アキラ」の捉え方
未来に対するビジョン(都市のビジョン)
この二つを軸に語っていきたい。
まず初めに、本作品で登場する「アキラ」が何を表現していたのかについて考えてみた。本作品では、「アキラ」が人間によって作られた新しい人類として描かれている。生み出した人々は、「アキラ」を研究することで、彼の力を利用しようとしていた。しかし、結局は彼の力を解明できず放棄してしまう。
しかし、映画で登場する科学者や軍人は、「アキラ」という存在を、人名やエネルギー、力など、いくつかの要素を含む固有名詞として使用していた。このことから、「アキラ」とは、人間が生み出したエネルギーや力という抽象的な存在の代名詞として現れたモノだということもできる。
そして、映画内でこの「アキラ」は、恐怖する対象として描かれている。この「アキラ」が、東京を破壊した原因となっていて、大佐はこの力を制御することで、同じことを起こさない為に巨額の資金を投入していた。しかし、爆発の原因が「アキラ」だということも事実であるかわからない。そんな曖昧な存在だった。
「アキラ」が、人間が生み出したエネルギーや力の代名詞だとすると、人々が「アキラ」に恐怖することは、これから人間が生み出していくテクノロジーや力に対する恐怖の現れだと言える。それが、本作で「アキラ」が表現していたモノだろう。
次に、この映画で提示された未来へのビジョンを、都市的な視点から見ていきたい。本作で登場するNEO TOKYOは、一つの巨大なインフラとして描かれている。全てが大量のパイプで繋がれ、ビルはランドスケープと一体化ている。NEO TOKYOというバラバラなものが繋がれた全体として描かれる。
これが、作者が描く未来の都市の姿である。
「アキラ」とNOE TOKYOの二つにより提示された未来は、もう一つの大きなビジョンを映し出す。
「アキラ」やNEO TOKYOは、実体のないエネルギーや力によって全体が一つのものとして存在し、それらがバラバラに存在する。そんな世界像が見えてくる。これが、この映画が提示した未来だったのだ。
この未来が良いものなのか、恐怖しなければならないのか、これは今の私たちにかかっている。
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