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担当部署なし協力隊

 私が上田市の初代「地域おこし協力隊」に就任したのは今から6年前(2015年)の8月です。任地は豊殿地域で、主な任務は「稲倉の棚田の保全活動支援」でした。
 ところがまず最初の問題は、上田市には「地域おこし協力隊」の担当部署がなく担当者がいないことでした。

 隊員を採用した本庁の総務課から、各地域の自治センターや本庁部署に配属されるんですが、当時の総務課長にも豊殿地域自治センター長にも、隊員の上司・上長たる自覚はなく、センターに私の机があるのみで以上終了し、協力隊の組織は皆無でした。

 まぁ孤独なもんですよ。

 「稲倉の棚田保全委員会」と私から『軽トラック』の要望を出していた「活動用車両」は、協力隊「活動予算」からリース費が支出されるものですが、3ヶ月待たされたあげくに、納車されたのはなんと「センター職員用の軽乗用車」でした。
 また、「活動用パソコン」はネット接続できない庁内通信専用のポンコツノートPCが貸与されただけでした。

 棚田まで自家用バイクで行って農作業し、インターネット抜きで情報発信せよと?

 仕方がないので自費でポンコツ軽トラを30万円で購入し、棚田までの交通や保全作業、市内の業務移動に使い、ガソリン代も保険代も全て自費出費でした。
 こんな状況で就労中に発生した事故等に、上田市はどう対応するのかセンター長に聞いても、「職員が使用してない間は乗用車を使っていい」って。
 いやいや、乗用車で棚田の農作業は出来ないし、それって契約にある「車両貸与」じゃないです。

 また、センターには私が使えるLANがなく、LAN設置も認められないため、昼間は自家用軽トラで農作業し、SNS情報発信などはすべて帰宅後の労働時間外に自宅のインフラで行いました。

 完全な「契約違反」です。

 そんなわけで4ヶ月間を棒に振った冬から、当時は稲倉の棚田保全委員会の「農機倉庫」兼「休憩所」に使われていた棚田の公共施設「稲倉の里農村交流館」に、無理を言って保全委員会の経費で電話やFAX、インターネットを引き、JAから譲り受けた古い木製机とイスを持ち込んでパソコンを購入し、交流館を「保全委員会(兼協力隊)事務所」として少しずつ整備しました。
 そして2016年春には、勤務場所を何もできない自治センターから交流館に完全にシフトし、勤務時間内に「稲倉の棚田」のSNS発信やホームページ管理、メールで外部との通信連絡が出来るようになりました

 1年3ヵ月が過ぎた2016年の秋、あまりに契約内容と乖離した実態について、私に協力隊員を命じた唯一の上司である「市長」宛に、『改善要望書』(直訴状)を提出したところ、事態は急展開を始めます。
 1年9ヶ月を経た2017年の春、上田市に「地域おこし協力隊の統括担当部署」が設置されたのです。はつらつとした担当者は、私が『改善要望書』に列挙した従来の問題点をひとつずつ解決してくれました。
 しかし、根本的な組織の問題は相変わらずで、統括担当部署課長は自らが「統括責任者」であることを認めず、2代目センター長も「現場責任者」であることを認めないため、担当者は随分ご苦労されたようだし、私の苦労も絶えませんでした。

 担当者のおかげで、活動用車両も手に入り、活動がだいぶ行いやすくなったんですが、3年間の任期はすでに2年が経過し、4名いた同期隊員は3名が上田を去っていました。

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