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私たちのセックスワークを盗むな ~「元セックスワーカー」と称する活動家が引き起こす問題を考える~(坂爪真吾)

大阪市住之江区のクリエイティブセンター大阪で、2019年2月22日(金)~24日(日)、3月1日(金)~3日(日)に開催されるイベント「have a nice day sex worker 」主宰のげいまきまき氏に対して、公開質問状を出しました。

げいまきまき様へ:「have a nice day sex worker」タイトル改変に関する公開質問へのご回答のお願い

「元セックスワーカー」と称して「セックスワーカーへの配慮不足」「リサーチ不足」という言い回しを用いて様々な団体・個人のイベントを批判してきたげいまきまき氏(+後援のSWASH)。

今回の公開質問状は、同氏に対して、「そういうあなたの主宰するイベント自体が、まさにセックスワーカーへの配慮不足&リサーチ不足の上に成立しているのでは?」「セックスワーカーを不要なリスクに晒しているのは、他でもないあなた自身では?」というツッコミを入れる内容になっております。

<げいまきまき氏+SWASHによる過去の批判活動の一部>

私及び一般社団法人ホワイトハンズに対する業務妨害・デマの拡散等(2017~2018年)の内容はこちら

じんけんSCHOLAに対するイベント妨害・中傷(2016年)はこちら

私の怒りを盗むな(2016年)

同じ批判の矛先が自分たち自身に向けられた時、果たしてどう答えるのか。

「当事者に対する配慮不足・リサーチ不足なのは、他の誰でもない、あなた自身では?」とツッコまれた時に、どうやって自らの「配慮」や「リサーチ」の内容と正当性を客観的に提示・証明するのか。まさに「元セックスワーカー」としての矜持が試される場面です。

今こそ「女優パフォーマー元セックスワーカー」とやらの腕の見せ所ですね・・・と思ったのですが、残念ながら、というか予想通り、回答期限を過ぎても、げいまきまき氏からの回答は全くありませんでした。

げいまきまき氏は、本公開質問状に対して、以下のようなツイートをしています。

他人に対しては「私の怒りを盗むな」等の強い言葉で説明責任を求める一方で、自分自身が他人から説明責任を求められた場合、それらを全て「嫌がらせ」とみなし、「かわいそうな被害者である私」を演じて閉じこもる。

自身に対する批判を「セックスワーカー全体への社会的な差別や偏見の表れ」とすり替える。

「パフォーマー」としては、自らのパフォーマンスの結果に対して全く責任を取らない、最悪の対応だと言えます。

こうした対応の背景には、自分たちの言動やパフォーマンスは、いついかなる場面でも「当事者への配慮不足」「リサーチ不足」にはならない、という思い込みがあるようですが、こうした謎の信念は、果たしてどこから生み出されるのでしょうか。以下、丁寧に分析してみましょう。

◆「元当事者」はやめられないとまらない

「当事者への配慮不足」「リサーチ不足」という表現は、いわゆるマジックワード(魔法の言葉)です。

「当事者」「配慮」「リサーチ」の定義や範囲がどこまでも曖昧であり、使い手が自由に(恣意的に)それらの定義や範囲を設定できるため、誰かや何かを批判する武器として、都合よく使うことができます。

昨今のSNSは、こうした「武器」を使って他者を裁きたがる人たちで溢れていますよね。

一方で、これらの武器は諸刃の剣でもあります。

「では、そういうあなた自身は、どこまで当事者に配慮してるのか」「どこまで事前にリサーチしたのか、証拠を見せてください」と問い返された場合、深々と突き刺さるブーメラン=痛恨の一撃になってしまう。

マジックワードは文字通り「魔法の言葉」であり、あらゆる対象を都合よく批判・攻撃することができますが、その「魔法」のカラクリを見抜かれた場合、ダメージは全て自分に跳ね返ってくる。誰でも簡単に使えるように思えて、実は極めてリスキーな武器です。

しかし、「元当事者」という肩書を身にまとえば、そうした問い返しを全て跳ね返すことができる。異論・反論を封じ込めることができる。だって、私自身が「元当事者」なんだから。

何が「配慮」なのか、何が「リサーチ」なのか、そして誰が「当事者」なのかは、全て私が決める。だって、私自身が「元当事者」なんだから。

私を批判するということは、声を上げられずに苦しんでいる全ての当事者を批判することになりますよ?・・・といったロジックで、相手を牽制・脅すことができる。

「元当事者」という立場を武器として使えば、「当事者への配慮不足」「リサーチ不足」というマジックワードで、あらゆる敵を問い詰め、あらゆる批判をかわすことができる。

これは、一部の活動家やパフォーマーにとっては、「一度味わったらやめられない」中毒性があります。

これといった活動実績がなくても、「元当事者」という印籠をかざせば、それだけで一部のリベラル界隈で注目してもらえる。自らの言動の政治的正しさが担保される(かのように思える)。

2015年に、評論家の東浩紀さんが「セックスワーカーという『最強の弱者』が今後言論界で果たす役割の厄介さ」に関するツイートで炎上したことがありましたが、その背景にはこうした構造があります。

「元当事者」であることをやめられなくなる状態、マジックワードを振りかざして誰かを攻撃することをやめられなくなる状態は、「依存症としてのセックスワーク・スタディーズ」の症状の一つです。

⇒詳細は、完全解説『セックスワーク・スタディーズ』とは何だったのか?をご覧ください。

さらに、こうしたプロとしての「元当事者」を、当事者コンプレックス・現場コンプレックスに囚われた一部の研究者が安易に「当事者がようやく声を上げ始めた」と持ち上げてしまう(そして後で大恥をかいてしまい、全部なかったことにしようとする)ことも、過去から連綿と繰り返される一つの「症状」だと言えるでしょう。

◆撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけ

もちろん、「元当事者」という肩書きで社会活動や情報発信、批評を行うことに関して、決まったルールや掟があるわけではありません。

表現の自由という観点から見れば、「元セックスワーカー」という肩書きを用いてパレードで行進をすることはもちろん、その立場を利用して気に食わない他者や団体を批判・攻撃することも、「セックスワーカー」という言葉の一つの使い方ではあると思います。

労働運動界隈や現代アート界隈での評価や注目を得るため、トランスジェンダー差別と闘うため、ツイッターのタイムライン上で不特定多数の共感を惹起するため、一部のフェミニストに対してマウンティングをとるための手段として「元セックスワーカー」という肩書きを利用するのも、各人の自由だと思います。

ただ、そうした使い方をすることによって生じる副作用については、全て自らの責任で引き受ける必要があります。

マジックワードの「おいしいとこどり」は、決してできません。同様に、元当事者の「おいしいとこどり」もまた、決してできません。

「当事者への配慮不足」「リサーチ不足」という攻撃魔法で他人を撃つ場合には、自らもまた同じ攻撃魔法で撃たれる覚悟を持っておかなければならない。

そして撃たれた場合には、逃げずに説明責任を果たさなければならない。

自らの言動によって迷惑をこうむる人や被害者が出た場合、当事者や無関係な他人を傷つけることになった場合、相応の社会的・法的代償を支払わなければならない。

その意味で、撃たれる覚悟も無く、説明責任を果たす意思も無く、代償を支払うことから逃げてしまったげいまきまき氏には、少なくとも「元セックスワーカー」と名乗る資格はない、と明記しておきましょう。

◆当事者とつながれない「元当事者」たち

ここまで「元当事者」という言葉を多用してきましたが、改めて振り返ると、セックスワーク界隈で目立つのは、げいまきまき氏のように「元当事者」と称する(LGBTの)活動家やパフォーマーばかりで、マジョリティを占める一般のデリヘルやソープで働く現役の当事者による発言は、ほとんど出てきません。

今回の「have a nice day sex worker 」でも、現役の当事者は誰も登壇しないようです。

意外に思われるかもしれませんが、「元当事者」という肩書を使って活動することの最大のデメリットは、「現役の当事者とつながれないこと」です。

今回の「have a nice day sex worker 」と同様、「元当事者」の主宰するイベントは、現役の当事者の姿がほとんど見えないケースが少なくありません。

セックスワーカーのイベントをやりたいのであれば、昨年開催されたカクブツさんの『テメェらのフェス!~暴発リフレイン~』のように、現役の風俗嬢を数十人単位で集めてやればいいのでは、と思うのですが、「元当事者」であることを売りにしている人たちは、なぜか現役の当事者を呼ばない。

結果として、セックスワーカーのためのイベントにもかかわらず、「元当事者」と称する(トランスジェンダー界隈の)活動家の人たちが、いつも同じような顔触れで前面に出るだけで、現役の当事者が誰も参加していない、という滑稽な状況になってしまいがちです。

これはなぜか。

対外的には「当事者とのつながり」「当事者と共に」をやたらと強調しているにも関わらず、実際には現役の当事者とのつながりがほとんどないために、そもそも呼びたくても呼べないから?

これもある意味では正解ですが、より根深い問題があります。

「元当事者」であることを売りにしている人たちにとって、現役の当事者は、自分たちの主張やアイデンティティを脅かす存在だから、「あえて」呼ばない。これが答えです。

「元当事者」という肩書の魔法(威圧・脅し)は、現場を知らないメディアや一部の研究者、左翼活動家には効くかもしれませんが、現役の当事者には全く効きません。

そして何より、現役の当事者は、「元当事者」であることを売りにして評価を高めようとしている人たちにとって、都合の悪い言動をする可能性が極めて高い。

具体的には、

「セックスワーカー?そんな言葉、ソープやデリヘルのお店では誰も使っていないし、聞いたことも無いですけど」

「現代美術におけるセックスワーカーへの配慮不足?そんなことを気にしているデリのキャスト、日本全国どこにもいないっつーのwwww」

・・・といった感じに。

社会的にも現役の当事者の発言の方が「元当事者」よりもはるかに説得力があるため、「元当事者」であることを売りにしている人たちとしては、自分たちの立場が脅かされることを防ぐため、極力「現役の当事者」を壇上に出すことを避ける傾向にあります。

さらに言えば、現役の当事者や支援団体による発信を意図的に黙殺して、あたかも自分たちだけがセックスワークの問題について発言している唯一の個人や団体であるかのように主張・振舞うことも、「元当事者」であることを売りにしている人たちの特徴です。

この問題について発信している「当事者」は私たちだけ!というフィルターバブルを作り出し、その中で延々と閉じた議論や仮想敵叩きを繰り返す。

結果的に、今回の「have a nice day sex worker 」のように、同じ面子の「元当事者」が、何年も、十何年も、閉じられた内輪の中で、似たようなことを語り続けるだけになる。

「当事者を代弁する」「当事者への配慮不足を糾弾する」と言いながら、実際は自分たちの活動から現役の当事者を巧妙に排除している。

「元当事者の活動家」の「元当事者の活動家」による「元当事者の活動家」のためだけのイベントであるにもかかわらず、あたかも現役の当事者を代弁するイベントであるかのように喧伝する。

これを、「当事者の二次利用」と言います。

セックスワーク界隈では、当事者の二次利用を批判する個人や団体自身が、その実最も当事者を二次利用している、という歪んだ状態が長く続いていました。

現役の当事者、及び現役の当事者の声を社会に発信しようとする支援団体が出てくると、「元当事者であることをやめられなくなった人たち」は、自分の立場が脅かされることを怖れて、そうした個人や団体を「勉強が足りない」「二次利用だ」と、必死に攻撃する。

つまり、元当事者であることをやめられなくなった人たち(=元当事者という肩書を使って、誰かや何かを攻撃することをやめられなくなった人たち)は、現役の当事者から「セックスワーク」や「セックスワーカー」という言葉を盗み続けていた、ということになります。

◆私たちのセックスワークを盗むな

言うまでもありませんが、「セックスワーク」も「セックスワーカー」も、特定個人の所有物でもなければ、特定の団体の著作物でもありません。

学問の視点に立てば、言葉は公共財であり、多くの人たちの間や現場の中で用いられてこそ、意味を持つものです。

その意味では、セックスワーカーという言葉の占有権や解釈権を主張して他者を攻撃する「元当事者の活動家」たちによって作られた日本の「セックスワーク・スタディーズ」は、到底学問と呼べるような代物ではない。

そもそも、セックスワークの当事者は、働く女性だけではありません。

店長・オーナー・内勤スタッフ・ドライバー・媒体関係者・広告代理店・お客・NPO・警察・行政・福祉・医療・メディア・研究者・学生などなど、風俗に関わるあらゆる人が、セックスワークに関わる当事者です。

それぞれの立場に、それぞれの視点、それぞれの価値がある。誰の語りが一番尊重されるべきなのか、誰の語りに一番耳を澄ますべきなのか、といった争いは不毛です。

こうした現場の多面性と複雑性を捨象して、「労働」という部分だけを左翼的なイデオロギーに基づいて恣意的に切り取って騒いでも、現場で起こっていることや、当事者たちの気持ちは理解できない。地に足の着いた議論もできなくなり、結果的に働く女性の労働環境や人権を守ることができなくなる。

セックスワークは、あくまでみんなのもの。そう、「セックスワーク・イズ・チームワーク」です。

私はこうしたスタンスに立って、「性労働と社会をつなぐ」をテーマにしたイベント「セックスワークサミット」を7年間主宰してきました。

サミット主宰として、「元セックスワーカー」という肩書を振りかざして他者を批判・攻撃している活動家に伝えたいメッセージは、ただ一つ。

私たちのセックスワークを盗むな。

「セックスワーク」「セックスワーカー」という言葉は、「元当事者」という肩書を振り回すパフォーマーや活動家の玩具ではありません。

誰かや何かを傷つけるための言葉の刃物でもなければ、頭の中で作り上げた仮想敵=ワラ人形を叩くための棍棒でもありません。

私たちのセックスワークを盗むな。

今後も、自らの承認欲求を満たすため、誰かや何かを攻撃する手段として「セックスワーク」や「セックスワーカー」といった言葉を二次利用している「元当事者」の活動家やパフォーマーに対しては、引き続きこうした警句を発していきたいと思います。

追記:「have a nice day sex worker 」、公然わいせつの疑いで警察に通報されたようです。


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