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俳句の鑑賞⑭


海照れば応へて風の芒かな

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.28

季語:芒(三秋・植物)

「うみてればこたえてかぜのすすきかな」なんて滑らかな音なのでしょう。
特別なリフレインがあるわけでもなく、濁音も二音あるのですが、すうっと私の中に溶けてまいります。

そして、私の中に蘇った光景があります。

秋田県・男鹿半島、入道崎の芒。

芒は、入道崎灯台の周りにも生えていています。
日本海に面した岬は、風も強く、その風に揺れる芒はとても美しい。
まさに、海が光り輝けば、それに応えるように、芒が風に揺れるのであります。


流木を継げば焚火の沖暗む

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.29

季語:焚火(三冬・生活)

恐らく、海岸で暖をとるための焚火をしているのでしょう。その火を絶やさぬために、乾いた流木を火に継ぎ、再びよく燃え盛るまで風を入れるなど、火を見守ります。
ふと沖に目をやれば、炎の明るさに慣れた目には、海の沖はとても暗く、真暗に映るに違いありません。

ですが、沖の暗さに目が慣れてくると、次第に海に浮かぶ漁船の灯りなども見えてくるように思います。
初見、孤独を感じますが、決して徹底的な孤独ではなく、ひとの温もりと希望をも私は感じることができました。


暮れかかる空が蜻蛉の翅の中

津川絵理子句集「夜の水平線」P.33

季語:蜻蛉(三秋・動物)

蜻蛉の翅の透き通っている様子を、とても詩的に美しく表現された御句と思います。

蜻蛉をとても間近に見ているのでしょう。もしかしたら、手や腕にとまっているのかもしれません。(以前、男鹿半島の入道崎で、私の腕や足にとまった蜻蛉がずっと動かなかったことがありました)
その透き通った翅を通して見る、暮れかかる朱色の空。
俳句ではなかなか使いずらい助詞の「が」を使うことによって、しっかりと蜻蛉の翅を際立たせているように思います。


秋の虹干すときも靴そろへられ

津川絵理子句集「夜の水平線」P.34

季語:秋の虹(三秋・天文)

靴をそろえることは、身嗜みのひとつでもあります。ですが、玄関の三和土ではありません。
雨が降ってきて、一旦家に取り入れた洗濯物を、もう一度抱えて外に干すときも、きちんと靴を揃えるのであります。
とても丁寧な暮らしを感じます。

空にかかっている秋の虹は、そんな方へのご褒美なのかもしれません。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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