「のこす」ことへの執念ー後編ー

「のこす」は「残す」「遺す」の両表記がある。当初は前者の「残す」ことを主眼に置いていた記者人生に一つの転機が起こった。よくある話だが、2011年3月11日、東日本大震災。発災から数か月後に、被災地を訪ね取材する機会があった。

のこっていない。痕跡はある。だが何の痕跡かまではわからない。満面の笑みを浮かべるカップルの写真に、子供たちが遊んだであろう野球のボールに、片足だけの小さな長靴に。その持ち主が生きているかどうかも紐づいていない、千切れてしまった痕跡の数々。

そこに生きていた人たちのつないできた物語も、コミュニティで守ってきた繋がりも、津波が押しつぶし、流し、原発事故も手伝って、散り散りにしてしまっていた。書き「残す」だけでは足りないと、限界を覚えた瞬間だった。

一方で、地元ではひきつづき付箋をぺたぺたするだけのワークショップが行われ、最後は役場が引き取ってどうなったかわからない「お任せまちづくり」が行われる様を取材する。何を記事にしろというのか。本来なら、行政なら、「遺す」ための議論のテーブルを作る力があるはずなのに。そう思っていたところに、県庁の中途採用の扉が開いた。酔っぱらった勢いで2年目に応募し、幸い採用された。


当初から地域づくりの部署に置かれた。最初は観光の担当。続いて移住や地域課題の解決の部署。そして今もまた地域づくりの部署にいる。

行政の力は絶大だ。一声かけると、様々な主体が議論のテーブルについてくれる。少なくとも話を聞いてくれる。この絶大な力を使って、いくつかのものを遺すことができた。

後継者を育てる環境がなく先細りを続けていた津軽打刃物は、職人を3人増やす契機を作ることができた。

生産組合が消滅して県内から消えかかっていたホップ産業にも種は蒔き、一時はさらに追い込まれ潰えかけたものの、引き継いでくれた人たちが見事に雇用まで創出してくれた。

今は人口減少が著しい地域で、暮らし続けられる環境をつくる業務を担っている。人をのこすためには何ができるか。行政の限界も知ることができた。

一般社団法人は、その隙間を埋めて「のこす」を実現するための手段。担当が変わってもなお、「のこす」ための活動をその地で行えるための仕掛けづくりの一環だ。そして新たに「のこす」べき素材を見つけ、自らを常にアップデートしていくための装置になる。


一言で自分の行動原理を表すと、「のこす」という言葉に尽きる。課題は課題だが、解決不能なものとそうでないものがある。無為無策のままに失われてはならない。そうして失われることを許してはならない。この執念を体現していくために、今後も地域を駆けずり回って人の営みを書き残す。そして行政と一般社団法人の両面で遺す手立てを、仕掛けを作り上げていく。

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