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ライターの文章は「カオナシ」?

「地域の編集者」養成講座#4の最後のあたりで講師の方から出た言葉がこちら。「自分の本来の文章って、どういうものか分からない」。

書き方の引き出しが増えるほどに、自分本来の文章が分からなくなっていくのはなぜか、という考察。

媒体の色彩というもの

多種多様な情報に溢れるなかで、最近たまに見かける「おじさん構文」や「進次郎構文」のような、「その人たちっぽい」文体が、それぞれのメディアごとにある。

私が慣れ親しんだ書き方は三人称で、極力主観を伴わない(何を書くかの選別では主観が出るが)新聞媒体の書き方。

ただ一口に新聞と言っても、一般紙(この中でも全国紙と地域紙)、スポーツ紙や業界紙、タブロイド紙など多種多様な書き方が入り乱れる。加えて日経新聞のような字が小さいままの紙面と、購読層の高齢化に合わせて字を大きくして情報量を落とした紙面では、自ずと書き方のルール自体も違ってくる。

加えて一般紙の中でも、記事の掲載面によって「硬派」「軟派」と細分化され、政治経済メインの硬派と、人の悲喜交々を伝える社会面メインな軟派では、コメントの扱い方ひとつとっても表現技法、主に述語が異なる。

私はあまり硬派が馴染まなかったらしく、いまも書き方はどちらかというと軟派の方に近いと自認している。かと言って硬派が書けないかというとそうでもない。向き不向きはあるが、引き出しを作れれば対応できるというだけの話である。

引き出しを増やすということ

同じマスメディアの活字媒体の中でも、ローカルな地域情報メインの雑誌媒体は、新聞の軟派に近い。
webメディアも概ねこの辺りの執筆技能があればなんとか通用できそうな親和性がある。曲がりなりに実績としてあげているのは、ここを抑えられているからだろう。

ただこれも男性向けスポーツ誌と女性向けファッション誌が同じはずもなく、文芸誌とゴシップメインの週刊誌は比べるべくもない。ただそうした問題も、引き出しさえ多ければ解決できる。

「男性誌向けのマッチョな記事を書いてる途中で、女性向け旅行雑誌の可愛らしい表現の記事も書く。途中で混乱してくる時期もあった」とは、講師の弁。大変共感する話だ。しかしこうして媒体に合わせた書き分けを繰り返すことで、パターンが増えていく。

一方で、言葉を生み出す頭は一つしかない。文体を使い分ける=お面をかぶり分けしている状態なのだが、こうしてライターはいつのまにか「カオナシ」に近づいていく。

書き出しで変わる「お面」

講師は「いかに最後まで飽きさせずに文章を読んでもらうか。そのために見出しや最初の書き出し、アイキャッチに気を遣っている」と冒頭で語ってくださった。

これがその文章の顔、カオナシの「お面」を決めるタイミングだと考えている。

特に書き出しが重要だ。この文章は何を意図したものか、文体は口語調か文語調か、硬派か軟派か、軽いか重いか、言葉のチョイスで読者層がふるいにかかる。見出し同様に、全構成に影響を及ぼす。

グイッと引きつける、勢いづけるパワーワードが含まれているか、謎めかして結末まで読ませるよう誘導できるか。読者層・媒体を選択する層に選ばせる瞬間だ。
このメディアはこの文体、この切り口。ある程度の経験則がそれを選ばせる。

そこまでのレベルに達した時に、「自分の言葉で書いてよ」という依頼があると、ハタと立ち止まってしまう。時々、記者コラムを書く機会はあったが、苦戦してしまう。自分はどういう文体だったのだろう。何に気づいて何を書くのだろう。ルポとも違う、自分の構文。はて、どんなだったかな。

変幻自在の文章術と引き換えに、本来その個人が持っていた「文の形」はうやむやになり、カオナシが出来上がった瞬間だ。

モノ書きは文章嫌いでも出来る

モノ書きには何パターンかいると思っている。

創作が好きで、脳裏に緻密な描写を描ける作家タイプ。独特な言葉を操り、エッセーやコラムが得意なコラムニストタイプ。社会正義などの信念に燃え、力を持つものにペンで立ち向かうジャーナリストタイプ。出会ったことを記し他者に伝えるレポータータイプなどなど

いわゆるライターは、少なくとも前者3つには当てはまるまい。それぞれが作家、エッセイスト、コラムニスト、ジャーナリストを名乗るはずで、千変万化の変化球だけでなく、読み手を納得させる威力を持った豪速球(自分の文章)を持っている。はず。

当然その道のプロであれば言葉の繰り方は百戦錬磨。豪速球を見せずに書くことも可能だ。

その点で、レポータータイプは必ずしも豪速球を持たないように思う。表現の面白さに気づき、引き出しを多く持ち合わせる。そういう人の方が、このタイプに向いているのかも知れない。

「あなた文章下手くそだねー。でも変な癖がないからかえって教えやすいよ」と、18年前の入社面接の時に言われた記憶が蘇る。

ライターなんて名乗っちゃいるが、自分は読書感想文はC評価以上もらったことがなかったのだった。(A〜Dで、D以上C未満はC'と書かれるが大体それ)。文章を書くのが嫌いな子供だった。

昨日の講師も元々は大の作文嫌いだったという。外国人との交流から日本語の豊かな表現に目覚め、ライターへと歩み出した。そういう人がいるのだから、この世界は面白い。

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