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読書をするなら自分の糧にするように読まないとダメと言われたが、本当にそうなのか?

昨日、とある方と少しだけ読書について話す機会があり、その方(目上の方)は「読書をして、あなたはそこから何を学び自分の今後の糧にしていますか?それをしていないなら読書をする意味がない」と言われました。

その瞬間は「は?」と、反論したい気持ちが湧きあがったんですが、下手に反論するとさらに面倒なことを言われそうだし、早くこの方との会話を終了させたかったので、グッと抑えて特に反論をせず、適当に返して会話を終了させました。

そのことについて、読書という行為は学びを得ようとしない読み方、もしくは学びが得られないような読み方は本当に悪なのか?

僕は全然そんなことは無いと思っています。

本を読む理由なんて人それぞれで、仕事や生き方についての学びを得るために読むのもいいし、小説を読んでワクワクしたり感動したいから読むのでもいいし、ちょっとした時間に気晴らしに読むんだっていい。

本を読んだけど、結果、なんにも面白くなくて時間のムダだったと感じたっていいんです。

人生は人それぞれで、過去の経験から日々さまざまな感情を抱き過ごします。

つまり、その時々で本を読む行為には色々な意味が生まれると思うんですよね。

だから、その方が言われるような「学びを得られていないなら読書をする意味がない」という言葉は間違っていると僕は思う。

その考え自体に反対しているわけではなく、そいういった本の読み方もいいし、別の読み方でもいい。

「この本の読み方は良いよね、悪いよね」で、くくることはできないんじゃないかなと。

良い悪いなんて、結局は結果論で、その人がしている読み方が今後の人生でどうなるかなんて、神様しかわかりません。

極論、「自分がそのとき読みたいと感じ、本を手に取って読んだ」という、自分のやりたいと感じたことを行動に移した行為そのものが、自分の人生においてかけがえのないことだと思います。

もっと自由に読書をすればいいんじゃないかな。

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