モリタゼミ#2-5 「アクションリサーチ」

自分がゼミの振り返りを書き終える前に他のゼミ生が書いたnoteを見てしまうと、読んだだけで自分も振り返った気になってしまうし、書いてるときにその人のnoteに寄っていってしまうから、いつもは自分が振り返りを投稿するまで読まないようにしてるんだけど、

今回はなんか先に読んでしまった。
案の定苦戦してる。
後悔したところで読んだ記憶は飛ばないので、おとなしく、ちょっとずつでも書きます。気合い入れます。
(なんか今回と同じこと去年も1回やった気がするし、同じようなこと書いた気がする笑)

今日のゼミはアクションリサーチについて。
3年ゼミ1回目に出された、読書課題のテーマでもあった。
あれを読んだときは脳がぼーっとしてしまって、わくわくするけど疲れる!頭いっぱい!って感じだったけど、アクションリサーチとは何か、先生の言葉で説明してもらって、もう1回読み直したくなった。

アクションリサーチとは課題を解決するための手法のひとつ。あとで詳しく書くから一旦これだけ。

まず、「課題」の話をする。
課題とは、現状と目標のギャップのこと。
そして問題(課題)には種類がある。
・すでに起こってしまっている「発生型の問題」
 →マイナスをゼロへ
・理想を高くすることで見つける「開発型の問題」
 →ゼロをプラスへ

発生型の問題は既に現れているものだから分かりやすい。
対して開発型の問題は、今困っているわけじゃないから分かりにくい。課題をつくり出す作業が必要。

この「課題をつくる」「課題の発見」がまた大変で。
これができてないパターンは4つに分けられる。

①あるべき姿が描けないor間違っている
→目指す姿が見えないとどの方向に向かっていけばいいか分からない。目指す姿が間違っているのにそこ目指しても仕方ないよね、本当にそれでいいんだっけ?

②現状の理解が不足している
→あるべき姿がちゃんとあっても、自分の現状を分かっていなかったら何から始めればいいか分からない。

③ギャップがあいまい
→あるべき姿と現状のギャップの理解が浅いと、解決策が漠然としたまま、どこに課題があるのか分からないままになってしまう。

④解決策を優先しすぎている
→何となく、一般的に、みたいな偏った解決策を正しいと、当てはまると思い込んでしまう。これは論理的ではない。

この最後の解決策を優先しすぎているっていうのは、
前回、前々回のnoteで書いた、ロジックツリーを逆から作ってる状態と同じなのかなと思った。

全てにおいて共通しているのは、言語化があまいと課題の発見に正しく繋がらないということ。
課題を的確に把握しないと解決策もグダグダになる。
論理的な思考も必要だけど、まずは言語化することから。noteちゃんと継続しよ。


この4つのパターンを乗り越えて見つけた課題を、アクションリサーチで解決する。アクションリサーチとは、
「何らかの社会的問題に直面する研究者と当事者が、その解決や改善を共に為す社会実践。」
→「研究的なプロセスを通じて課題解決をする。」

リサーチ、つまり調査だけど、調べて、分かりました!完了!ではなくて、調査を使って課題を解決する、調査しながら解決するというもの。当事者の中に研究者が混ざって、実際に検証しながら進めていく。そして、何ができて、何がダメだったのかを把握し、知見を集積させて、次のアクションに繋げる。

理系の"The 研究、実験"みたいなやり方を実際の社会に応用させたものだから、良くも悪くも実際に当事者に与える影響が大きく、その責任は重い。
既にあるもの、あるけど目には見えないもの(組織文化とか)を変えようとするのって大変だよなと改めて思った。

今回の授業では、
コミュ力は「いっぱい喋れる能力」ではなく、
「聞いている方の負担を減らすことができる能力」だという話がすごく印象に残った。

負担を減らすとは、聞かれていることに対して1回で的確に答えられる、とか。
だらだらと喋りすぎてしまうと話が薄く引き延ばされて要点が分かりづらくなり、聞いている方は疲れるし、「で?結局何?」って思ってしまう。
つまり、コミュニケーションが大変。

「長く話す」と「論理的に話す」は全くの別物。
そして、「口がうまい」≠「コミュ力」

以前講演会で、「社交性は個人の性質だから伸ばすとかそういうものじゃないけど、コミュ力は性質じゃなくて能力だから努力次第で伸ばせる。」っていう話を聞いて、そっか!努力でなんとかなるんだって希望を持ったと同時に、正直、理解はしたけど、、、みたいな気持ちにもなってた。それはそもそもコミュ力は喋る能力だと思い込んでいたからな気がする。

相手が何を言っているのか、意図しているのかを正しく理解する。そして自分の頭の中を整理して的確に言葉にする。
で、また、相手の話をちゃんと聞く。

この繰り返しが上手くできるようになることがコミュ力を伸ばすってこと。
そう思うとなんかできる気がしてきた。

今年のゼミでは、活動を通して知識を蓄積させてほしいというのが先生の思いだと言ってた。

「できたらいい」ではなくて「そこから何を学んだか」

自分の中では去年の活動でも割とできていた気がする。
自分で考えて、行動して、形になって、振り返る。
広報のこととか、お金のこととか、それぞれの良かったところと改善できるところを、自分なりに具体的に挙げられる。イベントが無事開催できて良かった!喜んでもらえて良かった!終わり!って感じにはなってない。

ただ、具体的なものを抽象化するところはまだまだ。
ある特定の場面を切り抜いてちゃんと見たとき、こうした方がいいかも、みたいなのは浮かぶけど、「大体こういう場面では〜」って人に伝えられるような汎用的な知見にはなってない。1回のイベントを経験しただけで一般化してしまうのは危険だと思ってるのもある。

結局は何事もいろんな経験が必要っていうところに落ち着くんだなと思った。多分何歳になってもまだ経験が足りないって思い続けるんだろうな笑

今年は何をやろうかな〜
自分のどんな力を伸ばしたいかな〜

私が行動を起こすときとか何かを選ぶときはやりたい!とかっていう感情だけで動くことはほぼ無くて、それをしたときとしなかったときを想像してみたり、メリットとデメリットを考えてみたり、、行動に起こしてないから想像の域を出ないけど、出ないけど真剣に考える。

考える前にやってみろ、機会を逃すな、案ずるより産むが易しとか色々言われることあるけど、それも分かるけど、理解した上で慎重派。物心つく頃には既にこんな感じだったから本当変えられない性格だと思う。

高校時代、この時も色々考えてはいたけど、途中で考えるのやめて感情で自分のやりたいことを選び、突き進んだ結果、両親や学校の先生方にめちゃくちゃ迷惑と心配をかけた。

やりたいことやってた期間ももちろん有意義だったけど、迷惑かけた期間は特に色々な人と出会って、自分を客観視できて貴重な時間だったなと思う。ちゃんと学んだ。今となっては後悔してないし、もし過去に戻れても同じ選択をすると思うけど、当時はめっちゃ後悔した記憶。ちょっと話が脱線してきたけど、しっかりこの性格に拍車がかかったよねって話。笑


でもこれが自分なので。
今から根本を変えようとはせずに、いろいろ考えた後、最後の一歩踏み出す勇気をちょっと多めに出すくらいの感じで、外から見たとき、「何でもまずはやってみる人」に見えるように、擬態できるように頑張ろうと思って生活してる。擬態してるうちに意識しなくてもできるようになってればいいなと思ってます。

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