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自分のルーツを探れ

8月はなんとも衝撃的な月となるとは占い業界で色々と
いわれているいて、状況の変化や人間関係、仕事など現象化しているものもあれば
精神的な面の目にな見えない分野でのショッキングな変化などが強制的に起こり生きているだけで様々な角度で食らうようだ。

辿々しく「note」デビューです始めましての日暈 鸞(ひがさ らん)と申します。この名前は古神道研究をしております道号でありまして、本名は別です。ではではこれより先は道号で通していきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

「自分はどういう人間だ!と形跡」を残せるのかと、考えていましたが、現代はこれがあったか〜!!と笑足元にある形跡を出していこうと、恥ずかしながらnoteを活用してみようということになりました。

今までは何でもよくできる知人にブログの掲載やHPなどの掲載を頼んでおりましたが、他人任せは何かと気を使ったり、不自由でいけませんね〜と反省したところでございます。

霊界と幽界と現界が接近している八月。
空はクッキリと美しい青色はこの時期独特で、吸い込まれるようにこの空に見惚れれていると、「ああ今は夏なんだな〜」と視点をどこにも合わすことなくぼーっとしていると、脳に隙間ができるように物思いに耽ることが多くなる。普段見落としがちな感情や過去を思い出したりもする。
「自分がもしこの世にある肉体がなくなったとき、生きた証というものは何かあるのだろうか・・・」
「何を地球に残していくことができた人にだったのだろうか・・・」
あれれ、こんなことを考えちゃうなんて、歳かな?笑
ぼちぼちわたしは60歳を目の前に迎えているからか、今回の現世の肉体時間の終わりについてフト思ったのでした。

それは8月のど真ん中に開催される旧実家近くの夏祭りに珍しく顔を出すと、古い地元の人たちに久しぶりに触れたことで、わたしの知らない先祖たちの新鮮な顔を他者から聞き、驚いたことがあったからでありました。

お盆ということもあるので祖霊拝や幽魂安鎮などの古神道で習った秘儀を用いて、しんみりと過ごしていると、脳裏に幼いころ過ごしたごく日常の映像が浮かび上がりました。そう自分のルーツが映画のように蘇ってきたのです。
神の世界へと戻られた祖父や祖母のごく日常の些細なことを近くに想いだしたのでした。

う〜んそうえいば、わたしの祖父は全くもって謎な人物で、最後まで謎めいていた人でありました。
わたしが中学に上がったころに亡くなってしまった祖父は、無口で左片腕が無い人でした。 わたしにとってやさしいおじいちゃんは若いころは石切職人だったようです。片腕がないのはその石切師時代に機械に腕ごと挟んでしまったからだと聞いていましたが、本当のことろはわかりません。
もしかしたら心底戦争が嫌いだったのかもしれません。
腕がなければ戦いの最前線行きの切符は送られて来ないと聞いた事があります。
わたしは生前のおじいちゃんに直接「若い頃仕事は何をしてたの?」などの疑問をぶつけるような賢いタイプでなく、何も考えていないポカンとした少女だったのではないかな。だいぶ幸せボケだ。
おじいちゃんの目から見て、わたしはどんな子に写っていたのだろうか・・・

そのおじいちゃんの誇らしさといえば、朝ご飯の前に必ず近所の虎ノ門金刀毘羅宮へ欠かすことなく毎日行って参拝をすませます。 

本殿の正面にある賽銭箱の餝工はおじいちゃんが製作者だということで、裏側に名前が掘られ残っています。見事な仕事で器用な職人肌だったことがわかります。
そのお賽銭箱は本殿のど真ん中に鎮座してありわりと大きくて立派です。
今の宮司さんに伺ってみると「今こんなに立派なお賽銭箱を作れる人っているのかな〜。まあ作ったとしたら何千万の世界だね〜」とおっしゃっていました。
もちろん当時その経費などは奉納ですので寄付ってことになります。それだけでも祖父の神様への信仰心強さを感じるところです。
わたしの見えない世界への興味や信じる力は家族間の中で自然と神さまと過ごしていくことであって、これは遺伝的なんでしょうか。

何年経っても衰え、歪みもせずに美しい形を保っている姿はなんとも芸術的です。どうやって鋭角な組み方や留め具の飾り鉄細工の丸みなど作ったんだろう〜と
お賽銭箱を撫でながら思ったのでありました。

祖母から聞いた話ですが、子供のころの父が病で倒れた時、手術しなければ死んでしまうと言われたけれど、戦後間も無くでしたので手術代が手元に充分なく、どうしたらいいのか夫婦で話合っていたら、おばあちゃんはすぐに金策に走り、おじいちゃんは金刀毘羅さんへ行き、お百度参りを裸足で行いながらひたすら祈ったようです。その後手術を無事終え、「成功したのはあのときおばあちゃんが金策に走ったからだ!」といい、またおじいちゃんは「あのとき無事だったのはおじいちゃんがお百度参りをして祈ったからだ」と口論喧嘩になり、しばらく離れて生活したのよ〜と言ってました(笑)

わたしが思うところは、現界の動きはおばあちゃんが担って、見えない世界の動きはおじいちゃんが担ってお互い方法手段は違うけれども、どちらも無我夢中で行動し、心の奥底の気持ちは一緒だったから父は救われたのだと思ったのでした。


わたしの娘たちはおじいちゃんに会ったことはありません。お賽銭箱のある現場へ行きつつ立派なお賽銭箱を作り寄付した人なんだよ〜と誇らしく話をしても、まるで興味を持ちませんが、先祖が残した功績を口伝えすることができる自分がやたらと気持ちよかったものでした。


もし自分が現世からいなくなった後、衰えなく残すものを形として世に出すことができたらなあ〜 こうやって子どもたちがまた自分の子供に語り継ぐことができたら素敵なことだなロマンだな。。。
『 わたしはなにもまだそれに値したものを創り出してないな〜 』

わたしの旧実家は東京港区の地元といえば、今となれば地価が高くカッコいい街の象徴です。何気なく住んでいた街の今では「港区女子」と呼ばれる中心的な場所に変わっています。「虎ノ門ヒルズ」が立ち並び、官庁街近くの人が住む場所とは思えないのですが、住民の人はどこにいるのかといえば、持ちビルの最上階や地下に事務所などを構えている方が多いのです。さらに最近益々虎ノ門一丁目の再開発の都市計画が益々盛んになり、昔の豊かな商店だった町の面影やそこに住んでいた大人たち、またわたしの同級生はほとんど見当たらない状況です。

昔、虎ノ門という地名が付く以前は「琴平町」という名前がついていたことを新しく移り住んでいる人たちは知っているのかな〜
琴平という響きが上品で気に入っていたわたしは地名変更があったときに文句を言った記憶があります。 

琴という漢字を書けば「王」が二つに今です。今の王さまが二人いる街にわたしが住んでいるのだ〜。ひっとしたら住んでいる自分が王様だからこの地に住むことになったのではないか?などと妄想を膨らませていい気分になっていたことがありました。
琴平町といえばやはり金刀毘羅神宮です。わたしの旧実家はこの神宮の目と鼻の先でしたので、暇さえあれば近所の仲間を誘い合って境内で、神殿の前で鬼ごっこや、神社探検などした遊び場的利用をさせていただいていました。
いえ。違う違う!どちらかといえば、なにも目的が無くとも、神の引力なのか?なぜが足がそちらに向いていて、気がつくと金刀毘羅神宮境内の中にいるという感じの方が合っています。 
幼い頃はこのあたりは毎月10日のお祭りが盛んで、金刀毘羅神宮の境内からずっと先の街まで屋台が立ち並び賑やかであったので、それはもう楽しみにしていました。御祭神は崇徳天皇と謎である大物主神であるから大国主命の大きな働きをもたす御神徳があるのでしょうか。
大物主命といえば奈良の三輪山が総本山となるようですよね。それとどう繋がるのだろうか。この地は都心ではありますが、糸をず〜っと辿ればその先端は出雲国と繋がっているのですね。


戦後焼け野原になったときに木造の社殿が焼けてしまい、近所に生き残った数名で材木を寄付し、「先ずは神さんを!」と新しく建てた本殿。

本殿が出来たので、そこに御神体を移動するパレードがあったそうですが、その御神体を運ぶ役めおおおせつかったのは、猿田彦神に扮するわたしの父だったという記録が図鑑本に残っております。
下駄を履き、鼻の尖ったお面を被り、背の高かった父はその役を見事に演出したのよ〜と古くからいらっしゃる神社関係者の方に聞いたことがあります。わたしが生まれる前のことのです。
御神体のことをとやかくこの場で語ることはできませんが、え。ええーー!猿田彦神が〜!!運ぶのか〜!どうしてなの〜とそこも不思議でありました。


本殿の中に入りますと壁の高いところには天狗さんの立派な大きな絵が飾ってあります。またあちこちに天狗さんが持っているといわれている羽根団扇のご神紋が幕に付いていて、これまた不思議な感じを醸し出しています。この団扇のご神紋を見ていると、人間の願い事をこの団扇で仰いで風の神に傳え、神様まで通信してくれるような象徴に感じます。
元々はといえば皇居内にいらした偉い大名の敷地内に金刀毘羅宮があったそうで、庶民は入れなかった時代があったようです。大名が移動で敷地外に出られるときに、今の場所に建てられたそうです。当時大人気だった金刀毘羅さまのご神徳がを求めて一般市民にも参拝できるようになった琴平町(今の虎ノ門一丁目)は、大事にされお祭りはとても賑やかでした。琴平町内の住民の方々はみなさん気前よく、お金持ちの人が多く、商社は有名になり繁栄し、森ビルはどんどん建設されて。。。と。後に思い返せば神さまの波長は高く、御神徳を受けている街だったようですな〜(笑)
これも謎なる大物主パワーなのでしょうね。

隣の神谷町は西久保八幡宮が坂の上に鎮座しています。あのあたりの地形から感じますと、この八幡宮が坂の高い位置になっておりますので、神様は虎ノ門より上にいるのでだいぶ偉そうな構えに感じるのです(笑)
わたしは幼いころに「わたしたちの氏神はこちらの八幡宮さんだよ。あっちが本だからね」と、祖父母から聞いていました。

学生時代過ごした学校の校舎がある御成門近くには愛宕山という愛宕神社がある場所がある。あれ、あれは山か?今は高層ビル群の間に挟まれているのでビルより低いので「愛宕岡」くらいの感覚ではありますが、昔はこのあたりで一番見晴らしがいい場所だったようです。このあたりはオフィス街になっていますが、お勤めされている人々の出世運をアップさせる愛宕神社などの神さまたちがいらして、この地で働き経済を伸ばし、守り立身出世の願いを叶えるためのを後押ししてくれたのではないでしょうか。
そんなご神威盛んな場所でわたしは育ったのでした。

とすると・・・・

心の中で声がした。本当の自分を思い起こせ。

なんども転生してきた実力気力は充分に与えてある。さああとは勇気だけだ。


まだまだわたしはその力を使い切ってはいない。

産土の神よ。甘えてここまで生きてきたわたしに

新しい時代を迎えるにあたり

さらなる勇気とご神気を運んでください✨

そしてその力を使うことができる自分になります。

と気持ちをそこに置いてきたのでした。



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