永い永い永い散歩

 タイトルは、某猫大好きコミックから、(ゆず君は、良い猫だったなぁ)
 2023年の後半から2024年の最初の頃、個人的には葬送のフリーレンから、一方的にやられっぱなしだったりする。
 何がって?そら、TRPGやらかしていた者として、当たり前の常識に疑問の一つでも持たないなんて、新しい発想やアイディアなんて出てくる訳ないじゃないか。
 どこかの起業家セミナーか自己啓発セミナーみたいなことを言っておりますが、もう少々おつきあいを、
 お題の一つは、ん千年問題。
 多分葬送のフリーレンにおけるメインテーマの一つ、周囲の人々より何倍も何十倍も長寿の存在が、短い寿命の人間に混ざって生きていくことと、そのメンタリティを表すと言うことではないかと?
 (余談ですが、メンタリティという単語、もう1回ぐらい出てきます。書いている本人が覚えていれば良いのですが)
 この葬送のフリーレン、その主人公フリーレンですが、その特徴として悲しそうな表情は少なく怒るときは静かに、好奇心がくすぐられるときは嬉しそう、何もなければ、至極冷静。
 なかなか見せない悲しげな表情は、物語の最重要人物、仲間のヒンメルが、自分に比べて遙かに短い寿命を迎え、その葬儀の場で見せた表情だったでしょうか。仲間を失ったことが悲しいと言うより、10年近くの冒険の中ヒンメルはフリーレンの事を理解していたのに、フリーれンはそれほど深く知ってなかったことに涙する。
 我らそんじょそこいら寿命の烏合の衆が「わかるぅ~」とか薄っぺらい感想は言えませんが、TRPGゲーマーとしては「やられた!」そう素直に感じるべきなんだと思う。
 今まで極端な長命の存在そのメンタリティをちゃんとロールプレイしてくれたTRPGゲーマーって見たことがなかった気がする。居たとしても、せいぜい超然としているとか達観しているとか、短命の人に向ける感情まではなかった気がする。
 まずはその点、自分にとっては10年ほどのわずかな時間だったが、相手にとっては十分に長かった時間、それが理解できずに相手を困惑させたことも、この世界のエルフの寿命は極端に永いので、比較的長命のドワーフでさえ同じようなギャップを感じることもあったようです。
 長命故の不理解、短命の存在相手にするならば、必ず訪れる相手の寿命による消失、どんなに長く生きていても、短命の存在を理解できない。
 そんな心を見せてくれたTRPGゲーマー居ませんでした。(自分含む)
 あぁ、早く気がついて、自分がそんなロールプレイしときゃ良かった。
 これは何もプレイヤーのロールプレイだけの話だけではなく、このテーマでのシナリオいくつか作れたに違いない、そう思っても後の祭り。
 葬送のフリーレンでもう一つ興味深い表現が、魔族を相手にしていた時のことでしょうか?
 いくら魔族が人の言葉を使っていても、魔族と人とはわかり合うことはない、という点。
 この文章書いている人にとって、心の師匠が一人居られまして、その御方は養老孟司大先生でございます。
 大先生を知ることになった切っ掛けは、名著「バカの壁」、そこにしっかり書いてあったのが、「話せば解る」は全く嘘。会話で相互理解完全完了なんてあるわけ無いじゃないか。
 はい、その通りでした。
 このことは、大先生の本を読んで解った気にはなってたんですが・・・
 葬送のフリーレンでは、魔族の子供を助けた後、その子供は様子言動から人を襲うようには見えなかった、大丈夫と思い、その子を村人に預けたからさあ大変!
 そういったあのエピソードなんですが・・・
 実はあのエピソードって、人と魔族とのディスコミュニケーションの悲劇を見せるだけではなく、10年近く仲間ととして近くに居たヒンメルのことを解ろうともしなかった。
 そのこと、フリーレンとヒンメルとのディスコミュニケーションに、人と魔族のそれが重なって見えたのではないのか?考えすぎだと良いけど。
 あまり重い話ばかりでは面白くないので、話題チェンジ。
 多くの人が考察しているので、答えは出ているかと思いますが、まず原作者は、がっつりTRPG経験者でしょう。では、どんなシステムが葬送のフリーレンのモチーフになったのか?
 多分ソードワールド。根拠は、フリーレンが初歩的ながら僧侶の魔法を使える点。そんな感じの兼業が出来るのはソードワールドかなぁ?
 あと、可憐細身のややロリのエルフを世に放り出したのが、SNナントカというゲーム作成集団発祥のロードス島がそんなエルフの出身地では?ソードワールドもそこで作られています。
 ならD&Dはどうなんよ?といわれますが、あそこのエルフはかなり別物。
 なんにせよ、葬送のフリーレンには、常にこんな小言を頂いている気分です。
 「常識だからってそこに疑問を持たないと、良いアイディアは出ないよ」

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