仕事として霊視をした時の最初の学び(カウンセラー自身の修行のはなし)

霊視を仕事にした時、初日に学んだ酷な現実

こんにちは、ご依頼件数が100にも満たないピヨピヨです。
今回は、新米の霊視カウンセラーが学んだことを書こうと思います。

後半は、同業の先輩方にきっと「わかるわ〜〜私もそういうことあったわ〜〜」って思っていただける内容になっていたらいいなあ、と思います。
(日記っぽい部分だけ有料500円です)



初めてお金をいただいて霊視をした、最初の日。
私にとって忘れられない日になりました。

ご依頼主様から質問をいただき、それについて霊視で鑑定します。
相手の方のエネルギーの状態、守護の方の見解や様子。

霊視そのものは特に問題なく実行できました。しかし、ご依頼主様の質問に対して守護の方からの答えはありませんでした。代わりに、質問の内容とは少しズレた視点からの見解を脳内で受信しました。

私は、高次の方に言われたこと、伝えられたこと、そして言うべきことを伝えることが人助けになるんだと思っていました。
けれど、こちらからお伝えできた内容は、ご依頼主様にとってどうでもいい興味のないことのようでした。

質問に対して、答えがない。
そしてちょっと別の角度からの見解しか伝えられることがない。そしてそれ以上の情報は、いくら聞いても最後まで提示されませんでした。

物足りない、とても消化不良な感じでカウンセリングの場は終わりました。私の伝え方の拙さと経験のなさが身に沁みました。

カウンセリングの場が終わり、やっぱり自分はこの仕事向いてないのかもと力不足を悔しがっていると、うちのハイヤーセルフから「実はね」と追加の情報が流れてきました。


その中身は、あの時ご依頼主様が質問したことへの核心的な答えそのものでした。


は?これが追加情報?
違う、すでにカウンセリングの場でハイヤーセルフはこの情報を知っていた。なんなら、相手の守護霊だって知っていた。
なのに、私の脳に意図的に送信しなかった。さらに意図的にカウンセリングが終わってから、送信した。


その理由は明確でした。それがご依頼主様にとって自力で気づかなければならない人生の課題の答えそのものだったから。

高次の存在は、人間を成長させ、学ばせ、経験を積ませるために人を導きます。学ぶべきことの答えは、人が自ら気づいて獲得することに意味がある。だから答えは言いませんし、言えません。それが高次のものが人間と関わる際の重要な規則でもあるからです。
学校のテストと同じで、出題する先生が生徒に答えを教えないのと似ています。それじゃ意味がない。

でも、もしカウンセリングの場で私の脳内にその情報を全て送ってしまっていたら、私はきっと相手に答えの内容を話していたでしょう。
それが課題の答えだと知っていても、伝えてはいけないとわかっていても。

ビデオ通話では、お相手の声も聞こえるし顔も見える。相手の辛そうなエネルギーも流れてくる。切実な思いも、苦しい現状をなんとかしたいと思う気持ちも。今すぐ助かりたい気持ちも一緒にこちらに流れてきます。

___霊視をお仕事としてはじめて、お客様一人目です。
当然、役に立ちたいと思うし、上手に伝えようとするでしょう。

だって、不安に押しつぶされて今にも泣きそうになりながら相談に来てくださってるんですよ、その方。勇気を出して相談の場に臨んでるんですよ、わざわざお金と時間と勇気を使ってまで。

なのに、相手が心から欲している答えを、言わない?言えば確実に相手は救われるのに。______短期的に見れば。少なくとも、ほっとしてその夜寝ることができるはずです。
今この瞬間の目の前のささやかな安心だって、人には必要だと私は思います。根本的な解決にならないとしても、少しの安心があってこそ、人って次も頑張ろうと思えるものでしょう。

答えを上から聞かされていながら、相手の様子を正面から見ていながら情報を伝えない選択を、その時の私にできるはずがありませんでした。あまりにも未熟すぎたんです。

ハイヤー姉「___だからあの場ではこの情報を伝えなかった。相手の守護殿も、そんな状態のそなたに伝えられぬと判断された。霊視は学びの答えを伝える場ではない。課題に自ら向かうためのヒントを心構えを得る場である。ゆえに、答えは伝えてはならぬ。どれほど相手が乞うても、ダメなものはダメじゃ。言えるのはヒントのみじゃ。これが現実である」

高次のものは、こうしてみると残酷です。救いを求める人に、敢えて与えない選択ができるんですから。
そしてその選択を、私にもしろと言う。

ハイヤー姉「人間の目線から見た【役に立つ】は非常に限定的で、狭い。高次の情報を扱うなら、そなたもまた高次の決まりを守らねばならぬことを忘れるな」

それが、高次のものと共に仕事をすることなんだと言われました。

____なんだかあまりにも自分が無力すぎて、悔しくて、もう一度ご依頼主様のアカウント(当時はTwitter DMでやりとりしてました)を見たんです。DMのトーク画面を。

……ブロックされていました。

ハイヤー姉「人を救う努力が慈愛なら、人を救うことができぬ悲しみが慈悲であろう。その場で目の前の苦しみから脱する手伝いができぬことに、次第に慣れてゆくものじゃ。慣れても良い。同情を捨て、慈悲を知れ」


答えを言えない苦しみを、ここで初めて経験しました。そしてこのやるせなさは、そのままそっくりハイヤー姉さんたちが普段私に対して感じていることでもあると知りました。




……と言いつつも、ぶっちゃけこの感覚めっちゃ既視感ありまくるんですよね…
この一連のことをハイヤー姉さんに言われて最初に思ったのが、

「だああああからこんな仕事やりたくなかったんだよ!めんどくさすぎる!!!」__だったので…苦笑

きっと前世とかでやったことあるんだろうなあ、この仕事。いえ、私は自分の前世とか知りませんが。上も教えてくれないし。
初回でいきなりきつい洗礼を受けましたが、正直目新しい感覚ではなくむしろ「ああああそうでしたああ!!そうだったね!うん!だよね!!やるせない!だからやりたくないってあれほど…泣」でした。




でも、ここで凹んで終わると思うなよ?私の座右の銘は「転んでもタダじゃ起きない」だからな?(奮起)



ってことで、発想を変えました。


最初に転ぶのは、次に転ぶ時にカウンターパンチを繰り出すため


ご依頼主様が質問して、それに対して高次側が答えない事態に遭遇したら、それって逆に言うと問題の根幹に関わる大事な質問ってことでしょ?

つまりー?その質問、めっちゃ鋭いな!着眼点ナイス!ってことじゃん?
応答がないんじゃなくて、答えないことそのものがヒントになってるじゃん?

そう、答えてくれないよおしょぼん、とかしてる場合じゃねえ!ここだよ!水脈ここ!掘れば色々出てくるよ!!!

そしてこの「着眼点いいね!そこから一緒に考えようぜ」は、高次の立場からは決して言えないことですよね。だって出題側だもん。
これを言えるのは、立場上回答したり一緒に考える人間側にしかできないはずでは?

私「どうよ?」

ハイヤー姉「___それが、霊視が仕事になる理由であろうな」

高次の言葉を伝えるだけならぶっちゃけ高次側が直接本人の夢枕に立って伝えりゃいいだけの話で。
それなのに依頼する人間の守護霊は、わざわざ第三者の人間を仲介してメッセージを伝えてるってことになる。これはつまり、情報の正確性が損なわれるリスクを負う択をしてるってことでもあるんですよね。
でも他人の認識と解釈を挟んで伝えることにリスクだけじゃなくメリットもあるとしたら、多分ここ。

人間目線で「あ、ここから先は伝えられないみたいです。ってことは〜?ここの質問から自己内観で深掘りすればなんか出てくるのでは?その質問を起点にして、深掘りしてみましょう」って言える。答えではなく、第三者からの感想として。

で、作った画像がこれだよ

この守秘義務のところね!!!!!

伝えられなくてしょぼん……ってするとでも思ったか!?
ふはははぁ残念だったなあ!逆だよ!どこから思考していかわからない荒野の中で偶然水脈見つけちゃったぜ!ってガッツポーズするところじゃん。
その質問から自己内観して深掘りすりゃ答えに近いなにかが出てくるってことだもんね?


えーー初回は見事に打ちひしがれてカウンセリング後に悔しくてボロボロ泣いてハイヤー姉さんに「鬼畜の所業」と散々文句言いましたが。



ああ、そういやそうだったなあ、こういう感じだったなあ、と思い出した気がしました。こうやって理屈を並べて「ってことは〜〜〜〜?」を重ねることで、私もまた成長していくのでしょうね。

はあああ人生って面白いわーーー


私自身への救い

ところで、私は霊視した時の内容や情報は基本的にほとんど忘れて脳内に残していません。
理由は、純粋にデータ量が大きくて記憶しきれないこと、そして最大の理由がセキュリティ面。

忘れてしまえば情報漏洩は起こり得ないんですよね、ええ。

なので普段はほとんど何も覚えてないんですが、一度だけ「これは覚えておいて」と指示があったケースがありました。めっちゃレア。

※ここからは有料エリアになります。私自身の日記みたいなもので、霊視を仕事にし始めた新米一年生の所感です。要約としては『霊視する側もこうやって学んで成長してくんだなあ』って感じです。

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