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管理栄養士 Narukaについて(2)

こんにちは!管理栄養士 Narukaです。

前回は、どうして管理栄養士を目指したか?について、記載をしました。

今回は、管理栄養士免許を取得するまでについて記載をします。

管理栄養士免許を取得するまで

短期大学を卒業後、実務経験を3年積むまたは、管理栄養士課程に進むと、管理栄養士国家試験の受験資格が得られます。

私は実務経験3年を積む方を選びました。

当時の短大の同級生で、数名、管理栄養士課程へ編入をする人もいましたが、大半は就職をしていた印象です。

就職の時に、本当に悔しかったのが、管理栄養士じゃないと就職が出来ない職種がたくさんあったことです。現在仕事をしている、特定保健指導も管理栄養士が必須の仕事です。そのため、栄養士は給食事業の募集が多かったです。

当時は、委託給食会社はブラック企業が多いと噂できいており、直営の弁当屋へ就職をしました。実は安易に就職先を決めており、後々痛い目を見ます。

短大を卒業後、弁当屋で働き出して気付きました。栄養士以外、50歳以上であることに。栄養士だけ、20代でした。

休日は月に5日しかなく、給料が手取りで13万5千円、完全に私の就活に対する勉強不足でした。当時は一人暮らしで、家賃は3万4千円だったため、生活費としては、10万円ほどです。そこから、水道光熱費にスマートホン、インターネット代を引いたら、遊ぶお金がなかったです。

もっと遊びたいと思い、弁当屋を退職し、今度は食品顆粒の会社に勤めました。出汁の粉やココアの粉、様々な顆粒を作っていました。私は顆粒の大きさ、水分、塩分を測定し、既定の範囲内にあるか検査をしておりました。楽しかったですが、残業が毎日ある会社で、休日は日曜日+第二・第四土曜日だけでした。そのため、週6日勤務の日もありました。給料はボーナス含めると一人暮らしは何とかやっていける範囲でした。

私が生まれ育った地域は、通える範囲に大学がなく、進学をするなら、実家を出ることが必須になります。そのため、短大時代から一人暮らしは必須でした。短大時代は友達もおり、楽しい毎日でしたが、社会人になると、社会人としての気遣いが必要になり、心から許せる友達はいなかったです。

そのためか、実家に帰りたい気持ちが強くなり、食品顆粒の会社を辞め、実家に帰りました。

通える範囲に大学がないこともあり、就職先はほとんどない状況です。

実家に帰ってから、この先どうするか考えているとき、地元の管理栄養士の方で、産休に入るため、人手が足りない会社と出会います。仕事を紹介していただき、何とか実務経験3年を得ました。

産休の方の代わりにしていた仕事は、学校給食や保育所給食の衛生管理で、調理員さんとの関わりが必須になります。厳しいことを言われながらも、ここの会社でたくさんのことを学ばせていただきました。

そんなこんなで管理栄養士国家試験の受験資格を得たわけですが、独学で3か月勉強をしても、上手くはいかず、108点と言った点数で、管理栄養士国家試験は不合格でした。

そこから1年間、SGS総合栄養学院に通信で勉強をしました。その間の仕事は、派遣で工業の仕事をフルタイムでしておりました。

2回目の管理栄養士国家試験は127点で、合格でした。

管理栄養士免許を取得出来た喜びは、今でも覚えております。


次回は、特定保健指導との出会いについて記載をします。

つづく