主の御心は
3月5日(火)、お世話になった園長先生をお見送りしてきました。
実際に働くことができたのはわずか半年足らずだったけれど、たくさんの愛情をいただいた。
音楽が大好きで、教会でも幼稚園の行事でも大きな張りのある声で讃美歌や園歌をうたっていた先生。わたしの拙いピアノ伴奏でも新しい讃美歌を弾くと、目を輝かせていた先生。人と接することが大好きで英語も覚えてたくさんの旅にでられたと話してくださった先生。
エルサレムはみんなの聖地だから塔を建てて、みんなで共生できたらいいと仰っていた牧師でもありましたね。
あのときだってすでに70代だったのだから、やはりお元気だったなと今でも思う。
数年前、奥方の葬儀で再会したときもハツラツとされていたし、わたしが短大で保育実習事務の仕事をしていたときも、お元気だと教授や学生からうかがっていたので、今回のことは驚きしかなかった。
先生のご家族である当時副園長と主任であった息子さんご一家にも再会するたびに気にかけていただいているのは、あんなにご迷惑をおかけしたのにと情けなさの方がまだ勝ってしまうけれど今でも感謝しかない。
すぐにわたしの名前を呼んで駆け寄ってくださった主任、今の状態も気遣ってくださる副園長、もう30になったというお二人のお子さん、これからのご一家にやすらぎと幸運をただただ祈るばかりである。
葬儀会場では元保護者との再会もあった。
年度途中で居なくなったにも関わらず、恨み言を一つも言わず今回はお子さんが成人式での当時のクラスの子と撮った写真を見せてくださったり、成人するまでのことに現在の様子もお聞きしたりもした。
わたしはなんて幸せなんだろうと今回も感じる。
もうあれからもう21年も経つのに。
こういう人たちに再会するたびに、ほんとにわたしは《人》に生かされてきたのだと再確認する。
また、園長先生とともに教会でお世話になった方にも再会できた。園長先生と同い年の方から、葬儀という場であっても、弔辞という形でもお話を伺えたことはとても嬉しいことだった。
名前の通り、園長先生は人という大地をいつくしみ深く潤していたと思う。
教会でも幼稚園でのすがたでも。
わたしはあなたのもとでほんの半年でも働くことができて幸せでした。
どうかどうか安らかに。
弔事の方と同じくさようならは言いません。
さみしいけれど。
あなたの歌声、笑い声、そして教えは今もずっとわたくしの中に。
いつかどこかでまた会いましょう。
その時はまた園長先生のうたにあわせてピアノの伴奏をさせてもらえたら嬉しいです。
amen.