先生は明言せずに

先生は明言せずに「漱石のこゝろは難しい」とだけ言ふ

 夏目漱石の『こころ』が好きだ。
 そう思うとき頭に浮かぶのは、西日の差した教室だ。
 私は夏目漱石の『こころ』を読みながら、二者面談の順番を待っていた。
 あれはたぶん、高校ニ年生の冬休み前の頃。
 放課後のオレンジっぽく染まる校舎の壁や、傘立てに忘れられたままの傘が廊下に影を伸ばしている様子を、色褪せたフィル厶写真のように思い出す。
 まだタイツを履くのは我慢していた素足の熱を、廊下からの隙間風が少しずつ奪っていった。

 夏目漱石の『こころ』は国語の教科書に一部掲載されていて、部活の先輩が三年生になったら授業で習うと教えてくれた。
 私はそれをとてもとても楽しみにしていた。
待ちきれずに、本は結末まで読んでしまったけれど、授業ではもっと深くまで読み解けるのだと。
 なにより、大好きな先生の声と言葉で、『こころ』を読んでみたかった。

 ある日の放課後、教室で先生と二人きりになった。
 お互いベラベラ話すタイプではないので、少しの沈黙のあと、「三年生になったら、授業で夏目漱石の『こころ』をやるんですよね」と聞いてみた。
 先生は「やらないぞ。」と一言。
 先生は会話の一つひとつまで、句点が付くような話し方をする人で、そういうところも好きだった。
「先輩が授業でやるって言ってたんですけど」と不満げに言ってみると、「授業に余裕があったんじゃないか?」と他人事だ。
 確かに、先輩のクラスは先生の受け持ちではなかったので、他人事ではあったのだけど。
「予定の単元が早く終わったら、やりましょう。 やりたいです。」と訴えても、先生は「そうだなぁ。『こころ』は難しいからなぁ。」と言うばかり。
 先生に追い払われるようにして教室を出た。

 結局、授業で『こころ』はやらなかった。

 卒業後、何度も先生に会いに行って、一度だけ、先生を飲みに誘ったことがある。
 先生は「お前のほうが強そうだからなぁ。」と言った。
 行くとも、行かないとも、言っていないのに『だからなぁ。』の答えが分かる。
 あの日の放課後と同じ『だからなぁ。』だった。

2022.12.13

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