VTuberのアンビバレントな魅力に沼る アイディアのタネ#13
最近VTuberに沼りまして。
VTuberをする人達、そしてコンテンツに目覚めてしまった今日この頃。
具体的にはにじさんじの人気VTuberさんたちにはまりつつ、一緒にコラボレーションしているVTuberさん、ライバーさんたちの動きがとても面白くて目が離せなくなっています。
軽はずみに俯瞰して、ドヤ顔したいわけではないんです。でも、このカルチャーって評価が極端というか、激しく偏見をもって嫌う人と、好きすぎて人生持っていかれる人とに極端に分かれやすく、またそうでない人は全く無関心で何一つ知らない、接点がなかったりします。
だから、敢えてこのにわか知識で魅力を綴ることで、その架け橋が作れたりしないかとおこがましくも思っています。
いくつかに分けてマガジン化する可能性もありますがいったんアイディアのタネの中で。
というわけで各VTuberの魅力やハコの魅力についても語りたいのですがそれはさておき、そもそもVTuberって何が魅力の源泉なのか?ということを考えたときに私はそのアンビバレントさなんじゃないかって思ったんです。
普通ならトレードオフされるような両極端な価値が集約されている強み。
それはVTuberというものが「2Dまたは3Dのアバターを使って活動しているYouTuber」という、これまでなかったある種のメディア(そういうともの扱いしてるって怒られそうですが)だからこそ実現しているんじゃないかと思っているんですがこれについて順にお話させてください。
例はにじさんじのVTuberの方々の切り抜き動画から出させていただいています。
1)近くて遠い
まず距離感の話です。
アイドルなのに会話ができるし、声がきける。
多くのVTuberは、というかこれは多くの配信者さんにもいえることですが、毎日のように長時間配信をします。
時には1日ずっと配信するようなこともあります。
そうすると、もちろんVTuberさんがその中でトイレに行ったり、ごはんを食べたりします。
大人気のVTuberさんだって、目に留まるコメントをかけば拾ってリアクションをしてくれます。
AKBだって劇場に行かないと、握手会のチケットがないと、そうそう会話なんてできないですし、人気の芸能人なら言わずもがな。
けれどVTuberは違います。
想像してみてください。
「今日配信するよー」
「今日は仕事が遅くなりそうだから配信なしで」
という推しのVTuberからのSNS上での連絡をチェックして、返事をして、配信のある日はYouTubeにつなぐ。ご飯食べながら、お風呂入りながら、寝る前にベッドの中で、声を聴き続ける毎日。
それはもう、毎週みるアニメよりも日常になっていきます。
まるで彼氏彼女と毎日連絡を取り合っているような親密さと錯覚しそうになります。
ほんの一例ですが雑談の回し方が本当に普通に会話している感じのローレンさん。こういうのを、ぼーっと仕事で疲れて帰ってきて夜見る時間、お手軽に尊いよなぁって思います。
りりむちゃんのリスナーとのいじりあいも、絶妙にテクニシャンでかわいおもしろいです。この近さで会話できてる感、楽しくなっちゃいますよね。
バーチャルで、絶対に会えない距離感
もちろんVTuberはバーチャルなのでそのキャラクターとしてそのまま世の中には存在しません。外見も、職業も、時には性別も、架空の存在です。
「前世」と呼ばれる中の人はいるけれども、その人の素顔を知ったところで、その日々見ているVTuberとは別の存在。
さらにいえば、仮に演じている人がすぐそばにいても、声を聞かなければその人だとはわかりません。
この決して埋まることのない絶対的距離。
だからこそ、自分の理想と重ねて捉えやすく、憧れの象徴であり続けるというか。
演じる人の本当のパーソナリティとは切り離して考えようとも思うし(炎上させる人たちもいますがそれはさておき)、必要以上に傷つくことがないというか、生々しくないというか。
不摂生でニキビができても、寝起きでノーメイクでも、少しずつおじさんになって白髪が増えても、Vというフィルターが、それらの、時に知りたくなかったなぁということを覆い隠してくれます。
どんなに素を見せてもアイドル的距離感は絶対的に縮まらないというのは、コンテンツとして強いのではないかと思うのです。
2)強くて弱い
その上で、強くて弱い。これですもう。
その存在、その一挙手一投足が私たちの光。
理想を絵に描いたようなビジュアルや声で、時にFPSでたくさんの敵を撃ち倒し、あの有名ソングをプロ顔負けに歌い上げ、秀逸なボケやツッコミで場の空気を自分のものにする。
そもそもの設定もエルフ、アンドロイド、ヴァンパイア、魔法使いなど漫画やアニメで活躍したヒーローヒロインのようにキラキラと輝いています。
同接数千人、時に数万人という、リアルで集めたらそれなりのライブ規模の視聴者相手に、物怖じせず場を進行していく、彼ら彼女らはクラスの中心的存在のように見えます。
バーチャルな存在だからこそ、その存在は私たちの夢です。光です。
仮想的存在の根底にあるのは等身大の弱さ
けれど彼ら彼女らは、多くの場合、同時にどうしようもなく弱さを内包しています。
だって、そもそもなぜVTuberという道を選んだのでしょうか。その根底に「隠したい」何かしらの要素があるように感じられます。
VTuberとしてのキャラクター外のことは基本的には話さないルールなのですが、「なぜVTuberになったのか?」だけは多くの方が話題にしています。
にじさんじ内でいろんな人のそういったエピソードを聞いてみると、多くの場合、会社で働けなかった、ひきこもりだった、コミュニケーションが著しく苦手な陰キャだった、など他にどうしようもなかった事情を語ります。
VTuberは顔を出さず、キラキラした新しい自分でスタートを切れるからこそ、現実世界の弱さを根底に持ちながら、キラキラと輝くことができるんです。
また、VTuber活動を続けている最中にも、ライブが怖い、コメントに傷ついてつらい、など苦しい状態に陥ることがあります。
そうした状況を彼ら彼女らはリスナーに、なるべくきちんと説明しようと試みます。
類は友を呼ぶ、じゃないですが、リスナーも同じように現実が苦しい時、ああ、こんなに素敵で憧れる人も自分と同じような状況なんだと、圧倒的に共感してしまうのです。
いくつか私がその弱さにぐっときてしまったエピソードの切り抜きを貼っておきますね。
いかがでしょうか。
もちろん全員が全員、そういう弱さをウリにしているわけじゃないのですが、弱点の一部を曝け出すことについては、長時間配信をしてさらに人気を集めていくためには、必要なことなのではと思います。
3)量産される唯一無二性
そしてこれ。うまくこの両面性を言葉にするのが難しいのですが。
自由に形作られるオンリーワンの個性
そもそも世の中一般でいう仕事ってけっこう画一的だったりするじゃないですか。たとえば総合職で働いていても結局その企業の「枠」があるし、たとえばデザイナーとかクリエイティブなお仕事でも、基本何かのジャンルで一本筋が通っていて、あとはその周辺みたいな。
ショービジネス、エンタメ業界的な分野に絞っても、アイドルグループやプロゲーマー、俳優さんにはメインのフィールドとやるべきことがあり、そこにプラスされた個人活動、という感じがするのですが、VTuberはキャラも活動のポートフォリオもある程度の定石はあるものの、とても自由です。これはVtuberというか、YouTuber、ストリーマーさんの大半にいえることですが。
歌い手さんがプロ級にFPSがうまかったり、絵師さんが高頻度でASMR配信をしてもいい。
非公式にグループをいくつ作って所属してもいいし、活動頻度も時間帯も自由がききます。
複数行っている活動が、全然近しい領域の組み合わせじゃなくていいし、メインが何かを決めなくてもいい。
自分自身の容姿に縛られないので、キャラクターとしての見せ方の幅も広く、LGBT的なことにも寛容です。性別を公開しないVTuberもいます。
ネットカルチャーの普及でメディアやコンテンツの訴求のされ方がマス向けから個への最適化にシフトした現代だからこそ、その唯一無二の個性がフィットするのではとも思います。
むしろそれがなければ生き残れない、というほどに。
つまり、その自由度の高さを生かして、うまく自己プロデュースできた人が成功するVTuberともいえるのです。
みんなで創る共同幻想だからこそ
一方で、VTuberって結局外見は「絵」、あくまでバーチャルなんです。実体はあるようでない。
だからこそ、の強みをいかすべく、VTuberをコンテンツとしてみたときに、著作権に対する感覚がやわらかいのが知れば知るほど想像以上でした。すなわち、リスナーがVTuberコンテンツをどんどん生み出していきます。一般的な意味合いとしては二次創作ということなんだと思うのですが、じゃあどこからがオリジナルなのか?公式なのか?と問われるとその境界は限りなく曖昧です。
もちろん「ママ」と呼ばれる、キャラクターの生みの親はいるのですが、その人のかいたものしか日々の表現で使えないわけではないのです。公式で制作したミュージックビデオも、イラスト部分をママ以外の方が担っているのはよくあることです。VTuberが使う配信用動画などのサムネイルは視聴者がかいたものをよく採用します。
みんながつくるそのVTuberに関する創作があるからこそ、個人ができることの枠を超えて、広く世の中にその魅力を届けられていると思います。
いくつかその事例もご紹介します。
これは葛葉さんが配信直前に狂気山脈というゲームチャレンジ用に立ち絵を緊急募集した時の一幕。
一晩でこんなに集まるの!?というのもすごいし、そのクオリティが高すぎて驚きます。
で、その中の一つを本当にゲームで使うことになり、だとしたらこれはもう公式に認められた絵と捉えることもできます。
次にご紹介するのは、剣持刀也さんが、リスナーから新衣装案を募集した時に選考した一部の作品を紹介する配信。
こういうのキャラクターが絵だからこそ、できることですよね。別に金銭的な報酬もないのに、この才能が発揮されるのは素晴らしい。
こういう新衣装のデザイン募集もVTuberの方はよく行っています。
そして「応援広告」。
本人や所属する会社でなくても誕生日や何かしらの記念日にリスナーが協力して広告を出すカルチャーが界隈にはあります。
にじさんじはそのガイドラインを下記のように定めています。
たとえばイブラヒムさんの広告がこちら。
企業に所属して日々マーケティング活動をしているからこそ、普通の感覚では相当おかしなことが起きているように感じます。
だってこれをやるためには、お金はもちろんのこと、枠を押さえてディレクションする人、クリエイティブつくる人などのチーム単位・数か月単位での協力関係が必要です。そしてそれをわざわざ見に行った人がSNSでこの取り組みをさらに拡散します。
マーケティング担当者がそのコミュニケーションの仕組みを作ろうと思ったらいくらかかると思ってるんだ、とつっこみつつも笑うしかありません。
こんなことが日常茶飯事なのです。
結局、個性とはなんでしょう。オリジナルとはなんでしょう。
VTuberは本人とともにたくさんの協力的・行動的な才能あふれるリスナーがいて、同じ夢を見て、共に生み出し続ける営みの中で初めて人気で在り続けることができるんじゃないかと、私は最近思います。
進化し続けるこの新しいコンテンツに引き続き夢中です。
ずいぶんと長くなってしまいました。
どれだけ言葉を尽くしても、好きな人には評論家気取りだと思われそうだし、知らない人にはオタクのたわごとだと思われそうで、非常に説明が難しいんですけど、この新しいムーブメント、しばらく追い続けたい所存です。
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