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ウイスキーは「おいしい」「うまい」が感想のベースであっていい

数百種のテイスティングコメントを書き、おそらく飲んだ銘柄数は数千ほどである。

そんな経験から今思うのは、お酒の感想として「おいしい」や「うまい」がベースにあっていいということだ。

正確に評論しようとか、感想を求められたときなどに無理やり「まずい」や「イマイチ」を探さなくてはいけない気がしていた。それが「味がわかる」だと思っていた。

だが、今はそういったことは不必要であったと感じている。そういったことについて、今回もさくっとまとめておく。

"粗"を探せばなんとでも言えるが

ウイスキーについて、「まずい」「イマイチ」を探すのは簡単である。なにより蒸留酒を飲み慣れていない人からすれば、すべては「苦いだけの液体」である。

そもそもどんなお酒にも、おそらくアルコールから由来する「苦味」が存在している。「苦味」を掴みやすい舌は毒素を検知するために発達し、甘みや塩味に比べて数千倍も感じやすくなっているというから面白い。

経験によってその「苦味」への印象は徐々に変わり、安全だとか、健康的なイメージを無意識的に抱くことによって、それを味わうことができるようになっていくという。

そもそも我々にとって「苦味」は不快な要素であった。だけれどそれが「おいしい」や「うまい」に変わっていく。

そんな過程から見ても「後天的に香りや味わいに対する印象は変わる」ということを知ることができる。これは「アクワイアード・テイスト」として知られている。嫌いだった味わいが臨界点を超えて好きになるというものだ。

だからもし「まずい」や「イマイチ」を感じたならば、それは「おいしい」や「うまい」に変わる余白、未開拓な味わいなのではいか?と考える。

だがもし「まずい」や「イマイチ」を一度決め込んでしまえば、その印象は生涯変わることがないかもしれない。食わず嫌いならぬ、飲まず嫌いである。

"粗"を探すクセがついてしまうと、ネガティブな点ばかりに注目する舌になる。楽しめる銘柄の数は少なくなってしまうからそれではもったいない。


ポジティブ or ネガティブ論争

「味がよく認識できる」というのは、その一口から存分に飲酒体験を価値あるものにするためにはとても重要である。

それに向けて、ネガティブなところを積極的に探したほうがいいのか?はたまた、ポジティブな見方をしたほうがより多くの味わいを認識できるのか?というのは、個人的にはかなり重要なテーマだった。

結論として、ポジティブな見方をしたほうが全体を俯瞰して見ることができ、総合的な調和を判断できる、という一定の結論で個人として着地している。

おそらく何に対しても言えるのだが、ネガティブなものの見方というのはかなり視野が狭い。一点を指差すように、弱点について注目してしまう節がある。

引きの視点からでは、そのネガティブなポイントが見事アクセントとして機能し、それが銘柄全体の調和に役立っているということが往々にしてある。

盲目的になんでもかんでも「おいしい」「うまい」ということではない。まず全体として、大局的な視点から一体どうなのか?をぼんやりと見始めて、そこから細かなディティールに目を向けることで、より深く味わうことができるのだ。

その全体を掴むためには一度しっかりと「おいしい」「うまい」と、その銘柄の味わいを肯定したほうがよりよい。

ウイスキーに拒否反応を起こす人にウイスキーを飲んでもらうときは、まずなにより安心感が重要であることを体感的に知っている。

だからその傾向を見るに、肯定的な立場から味わってみることで全体の辻褄を理解することができると思う。

そのため「まずい」や「イマイチ」という表現は、基本としてあまり必要性を感じていないのだ。


ウイスキーは「おいしい」「うまい」が感想のベースであっていい

私はあらゆるお酒、食べ物など全ての口にするものに対して「おいしい」や「うまい」と頭の中で発想し、一言目に言えるといいなぁと、常々思っている。

なにより「おいしい」や「うまい」を伝えられて、嫌な気分になる人は滅多にいない。

先にも書いたが、これは盲目的になることではない。姿勢やスタンスとして、肯定的な在り方がモノゴトをフラットに認識できるのではないかと感じているからだ。

「おいしい」や「うまい」の中に、局所的な「まずい」や「イマイチ」が内包されてていい。全体を包む「おいしい」や「うまい」といった大局的なイメージがあればいい。

動物の習性として、ネガティブな要素には強く注意が向けられるという。

ネガティブに引きつけられてしまうと、距離をあけてはじめて理解できるような全体の調和、辻褄、要素のつながりを見逃してしまうのだ。

これは日常的な在り方や習慣がかなり影響している。

おそらくウイスキーの複雑な味わいから実感できるあらゆることは、その人の価値観や状態によって大きく異なってしまう。

だから、ウイスキーは「おいしい」や「うまい」が感想のベースである方がきっと深く味わえる。それでいいのだと、最近は強く感じている。


まとめ

私たちのほとんどは単なる愛飲家である。だから最大限に楽しみ、豊かになれればそれ以上のことはない。

だが仮にバーテンダーであったりブレンダーであったとしても、大局的な視点から香りや味わいを評価することは必要であり、ばっさりと「まずい」と切って捨ててしまうわけにはいかないはずである。

ひとつ言っておきたいことは、数年前にイオンウイスキーが「まずすぎる」と話題になったが、私が飲んでも"冷たいコンクリートの"味がして、お世辞にも「おいしい」や「うまい」などと言えなかった。明確に「まずい」と言った記憶がある。

今思うと不思議に思うほど、極端に、確かにまずかった。けどそれが面白かったし、そのおかげで友人と一緒にどれだけ楽しい時間を過ごせたのかを考えてみると、それすらもいい思い出になってしまっている。

「まずい」や「イマイチ」を否定するものではない。

「おいしい」や「うまい」といったスタンスで向き合ってみると、後々良さがわかってくることもあるからお得だと、そういった話がしたかった

日常全般について同じことが言えると感じている。ネガティブばかりに注目してしまうと、気づかぬうちに視野が狭くなってしまうことがあるだろう。

内面的なウイスキーの飲み方一つでその味わいは何十倍にも変わったり、人生の在り方にも通じていると思うたび、やはりウイスキーは果てしなく奥深い世界だなぁとしみじみに思う。

ウイスキー飲みます🥃