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嘘のにおい
『あ、ここには嘘があるな』
と人は、どこから思うのでしょうか。
話している相手からも、書かれていることからも、嘘が入り混じっていることって、なんとなく伝わってきてしまう気がしませんか?
それって、何から感じるのでしょう。
例えば、
こちらからの問いかけに対して、
相手からのお返事に妙な『間』があったり。
表情がゆがんだり、逆に無表情だったり。
相手が「…と言うか」とか
「○○とまでは言えないけど…△△かな」
とか言い換えてきたり。
あまりにも完璧なことが書かれているものを読んだ時に感じるちょっとした違和感。
ほんの一瞬の違和感。
これはもう、ほとんど肌感覚に近いのではないでしょうか。
だから、自分が嘘をまぜてしまう時も、きっと相手にバレてるんだろうなと思います。
小さい頃に嘘をついた時、その恥ずかしさや罪悪感、あとあとまで引きずる心理的な打撃が大きすぎて、
「こりゃぁ太刀打ちできないや」
と思ったせいか、
私は、
「嘘なんてつくもんじゃないよ」
ということを大事にして生きています。
でも、そんな私も、やむにやまれず、ちょっぴり嘘を混ぜこむことがあります。
お恥ずかしい話ですが、そんな時は、混ぜ込む嘘の調合率をできるだけ少なくしつつ
『申し訳ないねぇ…こんな手しか打てない私を許しておくれ…』
と心の中で祈っています。
数年前のことです。
この人には非難されたくないと思う相手が、ここぞとばかりに私を責めてきそうになったのを感じて私はとっさに、
「○○と言うか…△△ですかね」
と取りつくろいました。
要は嘘をついた形です。
今思えばそんなに大したことじゃないのに、あの時は、ほぼ自動的にスイッチが入ってしまいました。
取りつくろいながらも
「あ〜私は今、自分を守るために嘘を混ぜこんでるな。でも調合率はできるだけ少なくしたい」
と思いつつ、その場にいた仲間にも
「きっとバレてるな。恥ずかしいけど、今の私にはこんなことしかできないのだよぅ」
と思ったのを覚えています。
その人に傷つけられたくないと必死でした。
ちなみに、あとで仲間がそのことに触れることはありませんでした。
彼らは、私がその相手を苦手としていることを知っていたし、そんなことに首を突っ込みたくはなかったのだと思います。
嘘の存在に気づいたとしても、取り上げるか取り上げないかは、また別のこと。
嘘があからさまな時は、それが明るみに出ただけでヨシとすれば良いと私は思います。
嘘をついた当人がどう思っているのかは分かりませんが、どんな人にも、やむにやまれぬ事情があるように思うからです。
『おぬし、嘘を混ぜ込んだな』
と心の中で言えばすむことなんじゃいかなと思っています。
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