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神様のブレーキ
シビアな今の世の中だけど、個人的にはこんな体験になっているということを書いてみる。
生と死がこんなにも近い日常で、最前線で闘っている方々には感謝と敬意を表したいことは言うまでもない。
一方で、私個人の生活では、外界とのつき合いの部分で、自粛期間にけっこう救われていることがある。
ちょっとしたことから書くと、例えば、駅や電車の中が静かでホッとする。
突発性難聴になったこともあって、静けさを求めてしまうことが多くなっているのだけれど、以前は、世の中こんなにみんなお喋りなんだっけ?…っていうくらい、外はガヤガヤしていた。
夜の都会の駅地下でよく感じたのだけれど、今はそれほどでもない。
それから、パーソナルスペースが取りやすくなったことにも助かっている。
ディスタンスを保つ意識がみんなにあるので、人と距離を置こうとしても不自然じゃなくなった。
元々パーソナルスペースが広めで、周りの人との距離を広く取っておきたい私としてはありがたい。
一番ホッとしていることは、飲み会や会合がないことかなと思う。
自分は人付きあいが苦手じゃない方の人間だと思っていた。みんなと集まればお喋りもするし、それなりに楽しい。
でも、本当は疲れてたんだな…と思う。
実のところ、ノリで飲み会やら何かの会を約束しても、その日が近づいてくると何だか落ち着かなくなって、約束しなければ良かったと後悔することも多かった。
終わると、フゥ~ひと仕事終わった…という感じにもなった。わがままな私が、ちゃんと人に気を遣えていたか気になることもあって、周囲の人に対する自分の振る舞いをふり返ったりもした。
本当は、そんな体力も気力もない。
気心知れた親しい人だとしても、時々会えるだけで十分と思う。
もっと、自分に正直に生きて良いのだと思う。イヤなものはイヤでいい。
無理しないでいられる自分の時間をもっと確保してもいい。
立ち止まっている今にホッとさせられているのは、いつも無理しがちだからだ。
周りの人との関係性なくして生きていけないのは確かだけど、流れに身を任せるしかなく、抗って竿をさすエネルギーもないほどに飽和状態だったと感じる。
これまでも、病気になったり怪我をしたりして、なかば強制的に無理しない練習をさせられてきた。
シゴトのしすぎとか外界との無理なつき合いに関して、神様がブレーキをかけてるんだなと思ってきた。
このたびは人類全般に降りかかっていることではあるけれど、自分にとっては、やっぱり自力では立ち止まれていない状況に、神様のブレーキがかかっているんじゃないかと感じている。
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