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『菅原伝習手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)/伝統芸能こそ、エンタテインメントのプロフェッショナル

江戸の芝居熱、市井の人々の息吹を今に伝えるのが、人形浄瑠璃「文楽」を含め伝統芸能なのだと思っています。むしろ、それが現代の私たちにも真っ直ぐに通じる部分があるからこそ、作品への感動や興味が後を絶たないのだと。

2月・東京国立劇場での新春公演、三部構構成の第2部として、大作「菅原伝習手習鑑」(すがわらでんしゅてならいかがみ)が上演されています。菅原道真のエピソードは、いわゆる“判官贔屓”ものの一つとして根強い人気があり、世をまたいで様々な逸話が語られ、物語の題材となってきました。本作も、管丞相(=道真)の忠臣であった「松王丸」を物語の中心として据えながら、忠義と親子の情の板挟みとなる、時代の苦悩を描き出します。

本作の白眉となるのは「寺子屋の段」。文楽には歌舞伎と同じく「通し狂言」も多くあります。1作ごとの上演時間は現在の感覚からするととても長いため(弁当を持って一日中、芝居小屋で過ごすのが往時の人々の楽しみ方であった)、歌舞伎も文楽も、そうした作品の「切場」(きりば)と呼ばれるハイライトを抜き出して上演することが多いです。たとえば『仮名手本忠臣蔵』のような人気かつ人口に膾炙した作品は、現代であっても、全ての段を上演する「通し狂言」の機会が多い題材です。『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』とともに文楽の三大名作のひとつとされる『菅原伝授手習鑑』も、充分、通し狂言の鑑賞に堪えうる名作として数えられる作品ですが、今回は、前段の「寺入りの段」に続き、「切場」(物語の山場)の「寺子屋の段」が上演されています。

さて、管丞相の子息である『秀才』は、敵方である藤原時平の目を交わすため、武部源蔵(管丞相の門弟のひとり)夫婦の寺子屋にひっそりとかくまわれています。そこへある日、小太郎という子が母親に連れられ、新たに入門したいとやってきます。主人である源蔵が留守のため、ひとまず小太郎だけを預け立ち去る母親。そこへ源蔵が、思い詰めた様子で戻ります。ついに秀才の匿いが発覚し、直ちに首を討って引き渡せと、時平勢から最後通牒を言い渡されたのです。苦悩する源蔵は身代わりを立てることを考え、ふと見ると、どことなく武家の風情を持った、新入りの「小太郎」の姿が……。主君の名を守ることを至上の役割ととらえる源蔵はそうして、小太郎を”身代わり”とし、首を討つのです。

そこへ検分役とやってきたのは、松王丸(人形遣い:吉田玉助)。現在は時平勢として実態を潜めていましたが、実は管丞相に恩義ある忠臣のひとりです。秀才の顔を一番よく知っているからと、わざわざ遣わされてきた検分役と知り、”身代わり”が見破られないか、気が気ではない源蔵夫婦。ところが松王丸は素直にその首を「秀才のものだ」と認め立ち去ります。ほっとする源蔵は、やがて戻った小太郎の母親さえ、口封じのために手にかけようとします。そこで彼女が放ったのは、「我が子は身代わりの役にたったか」、の一言。そこへ松王丸が戻り、実は小太郎は自分達の実子であること、管丞相の子息を死守し恩に報いるため、初めから身代わりとさせるために我が子小太郎を送り込んだことを知らせるのです。

初めての鑑賞時、私もおそらく他の多くの人と同じように、「義」のために我が子を犠牲にするという精神、またそれが尊いとされることに、酷い違和感を覚えたものです。けれど、この一幕があえて物語として描かれたのは、芝居を観る江戸の人々、また物語の作者側においても、本当にそれが正しいのか、一体何が正しさなのか、懊悩する気持ちと、純粋に人間の情として感じ入る部分があったからこそなのでしょう。それは実際に「道真流罪事件」が起きた平安の世であっても、人間が人間である以上、そう大きくは変わることのない感情なのではないでしょうか。松王丸と妻千代の気持ちは子を持つ親として想像にあまりありますが、最後、白装束に身を包み息子の「野辺送り」をする姿に、言葉なくともその震える胸の内が伝わるようです。忠義、親子の情、その上下も自分にとっての大切さも、『選べる』時代に生きる私たちが、普遍の感情と感動を伝える物語を通して、『選択肢』のままならなかった時代や人々の生き様に思いを馳せることは決して無駄ではなく、むしろ自分にとって大切なことは何かを問いかけるきっかけとなる気がします。

伝統芸能は、突き詰めれば「エンタテインメント」であり、そう評価されること、そうあることを制作・上演に関わる全ての人が大前提と考える、プロフェッショナルな世界です。親殺し、子殺しといった題材を、倫理的な面から忌避したり批判することは簡単ですが、それを物語に昇華させ、”楽しませ"ながらも観た者の胸に決して消えない問いかけを残すこと。それこそが文楽の大きな魅力であり、文楽だからこそ出来る「偉業」なのではと感じ、ますます目が離せない私です。

(了)

※サムネイル画像は過去公演時のチラシをお借りしています※





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