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イマジナリー・フレンドが肯定する世界/『だいすきライオンさん』

タイカ・ワイティティ監督/出演作としてアカデミー脚色賞を受賞した事も記憶に新しい『ジョジョ・ラビット』は、第二次大戦下のドイツにおいて、周囲になじめない孤独な少年が”アドルフ・ヒトラー”を空想上の友人として、日々のあれこれに向き合っていく様がコメディタッチに描かれます。この作品によって「イマジナリー・フレンド」(空想上の友達)という言葉を初めて耳にした、という人も多いのではないでしょうか?

児童文学、とくに絵本の世界では珍しい設定ではなく、それはとりもなおさず多くの子どもたちにとって身に覚えのある、近しく懐かしい経験だからででしょう。図書館で出会った『だいすきライオンさん』のページをめくった途端、かつて”こどもだった一人"として、私の中でも確かに感じたことのある記憶の匂いが、寄る辺ない寂しさと懐かしさを持ってふっと蘇ったようでした。

主人公「カロ」は、ママと一緒に、新しい家に引っ越してきます。まだ、友達は誰もいません。その事実が”客観的に”語られる前に、家の内装がまだ途中で、壁も天井もあたり一面真っ白なことが読み手に知らされます。「誰かと遊びたいな…」カロがふとそう思った瞬間、真っ白なライオンが待ちかねたように、おうちの壁から飛び出してきます。カロはまるでそのことを知っていたみたいに、あっというまにライオンと仲良くなり、家中でありとあらゆる遊びをして楽しい時間を過ごします。

やがて近所にすむ”新しい友達候補”たちが、カロの視界に入り始めます。彼らと遊んでおいでよ、とライオンはごく自然に薦める。でもカロは、まだまだ気が乗りません。そうした日々、ついに公園で新しい友達と過ごしたり、その子の家に呼ばれてさらに新しい仲間が出来たり…カロの日々は、ライオンと”まっしろな”家(世界)で過ごした頃と対称をなすように色づいていきます。そしてついに、カロのママが(気を利かせて?)新しい友人達を、なんと家中の「白い壁」を塗り上げるための”ペンキパーティ”に招待します。カロが戸惑う間に、あっというまにカラフルに塗り上げられていく壁たち。(白いままの方が、よかった…)と、小声でママに伝えはしたカロの心は、ライオンだけが友達で良かった『それまで』と、新しい期待ではちきれそうな『これから』との間で揺れるのです。

そしてライオンさんは現れなくなります。雪が降った日、カロはついに、雪の中でだいすきなライオンさんに再会しました。「もう あえないかと おもった!」カロのその寂しさを込めた言葉は、本心でしょう。けれども、ライオンが優しく語った「カロには、新しい友達がたくさんできたじゃないか」――のように、彼女の世界が壁のペンキに象徴されるように色づき、ぽっかりとあいた心の穴を埋められたこともまた、真実なのです。

「通過儀礼」という言葉には、どこか、何かを得るために何かを”手放さなければならない”そんな厳しさが漂います。けれども、本当に、それは必要なことでしょうか? カロとライオンの物語は、”会いたいときには、またいつでも会える。どこを探せばいいか、カロにはもう、わかっているだろう?” ”うん、わかっているよ!”という優しいセリフで幕を閉じます。創造ではない、手のひらで触れる”現実”の中で、これからもカロは生きていきます。けれど、心の、記憶の中に、自分と”ライオン”だけが知り共有することのできる場所を、ずっと持っていることだって出来るのです。

感傷や傷つきやすい優しさは、とかく『弱さ』として、大人のみならず子どもの世界でも低く見られがちです。けれど私は、誰もがたしかに「子どもだった」頃の想いや気持ちを持ち続けながらも成長していくことのほうが、よほど難しく、また心の強さが要ることだと感じます。”イマジナリー・フレンド”という概念が、どこか後ろめたくて周りに打ち明けにくかったり、人に言えない、孤独を慰めるためのほんの一時期の「まがいもの」として、揶揄されがちなことへのアンチテーゼとしてこの作品が作られたのかどうか、そこまでは分かりません。けれど、温かくハイセンスな絵柄とシンプルで寄り添うような言葉のリズムで綴られる物語で、主人公「カロ」にお仕着せの”孤独”を植え付けてみせることなく、自分だけに見えるライオンを最後まで「大好き!」というこの物語は、カロ自身、その周りの日常以上に、より大きく広い世界を、肯定しているように思えてなりません。

孤独であること。そこから一歩を踏み出すこと。そのことのしんどさは、何度も繰り返すように大人も子どもも差はありません(きっと物語の進行に合わせ、カロの母親も、現実の厳しさを強さに変えながら前を向いていったことでしょう)。とても温かく、難しいことなど考えずにするりと読めてしまうこの作品が、「かつて子どもだった」私、そして多くの読み手を、じんわりと暖めてくれる”何か"を持っていることが、ただただ嬉しく、過去のどこかにあったほころびを繕い撫でてもらえたような心地になりました。

【作品情報】文を担当したジム・ヘルモアは作家でありデザイナー。グラフィックデザインの世界と絵本の世界は遠いようで実は非常に近しいものでありますが、そんな作者がこの作品の画を別のイラストレーター(そして作家さんでもあるそうです)のリチャード・ジョーンズに依頼しているところも面白い。2018年に出版されたばかりの新しい絵本ですが、これから長く愛される名作のひとつとなることを願っています。


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