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2021年2月【東京文楽公演】は名作揃い!/国立劇場・小劇場にて

伝統芸能って最初はとっつきにくいけれど、「見方のコツ」が少しずつ分かってくると本当にハマるんです。それにはまず、名作と名高い大作は、絶対見逃さないのがマスト!本年12月公演に続き、次回となる来年2月の東京公演は、新春バージョンということもあり毎年、力の入り方が半端ありません。名作と名高い「菅原伝授手習鑑 (すがわらでんじゅてならいかがみ)」「伽羅先代萩 (めいぼくせんだいはぎ)」の二つがお目見えするこの機会を、どうぞお見逃しなく。

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泣ける時代物真骨頂、武士の生き様に思いを馳せる「菅原伝授手習鑑 (すがわらでんじゅてならいかがみ)」

自己犠牲、時には自分ではなく家族の命までを差し出し「お上」を守る、それが武士としての至上の使命であり、むしろ”誉れ”とも言われた時代。現在の感覚では全く理解の難しいそんな価値観が、何にも優先する時代が確かにあったのです。菅原道真公の左遷事件を題材に、周囲の人々、敵対する勢力との複雑に絡み合う人間模様を丁寧に描きながら、最後には「親子の情」と「主への忠義」どちらを優先するのか?という、究極のテーマが語られます。先に”現代とは異なる価値観”と書きましたが、この作品が制作・上演され今に伝わる名作として大きな反響を呼んだのは、やはり当時の人々にも、理屈や信念とは違う「人間らしさ・情」が、苦しいほどに心のどこかに鬱屈していたからに思えてなりません。江戸の昔にかかわらず、その後、開国を経て大規模な戦争に巻き込まれていった、多くの名も無き兵士たちの思いも同じかもしれません。それらは正誤・正義がどう、という話でなく、決して遠い”過去”の話ではなく常にそうした歴史に思いを馳せることは、私たち個人や家族の未来にとっても大事なことだと感じます。はるか遠い時代の物語に触れながら、その感傷は必ず、矢となって自分自身の心へ帰ってくる。伝統とは、芸能とは、そうしてつい日常に埋もれがちな私たちの背筋を少しだけぴんと伸ばしてくれる、そんな力をも与えてくれるものだと思います。

お次は「伽羅先代萩 (めいぼくせんだいはぎ)」。こちらも時代物(歌舞伎や文楽には大きく分けて『時代物』『世話物』というジャンルがあり、歴史的な出来事・史実を題材とした「時代物」※登場人物の名前を実際と変えるなどの配慮が必要※と、実際の町人達の生活風景の創作、当時の民間事件に取材した「世話物」があります)武士、男の生き様、という色が強い「菅原伝授~」とは違い、武家に使える女性・乳母の政岡(まさおか)と子供たちを中心に繰り広げられる屋敷騒動です。

政岡は乳母として、自身の子と、幼い主君をともに育てています。主君の暗殺を企む勢力が家内で増す中、決して外から来た物を食べさせずに、政岡みずからが調理をし子供たちに食事をさせます。ありあわせの道具・茶道具を使い、米を炊くシーンはそのいじらしさと、人形遣いの高度な技術が試される、非常に見所のある場面です。

しかし多くの時代ものが多くであるように、やはり物語は悲劇の結末へと向かいます。しかしそれは、大きな目で見れば、”悲劇”ではなく、巨大な陰謀を未然に防いだ、政岡の「誉れ」と言うこともできるのでしょう。大切にする大義に、「大」「小」、「公」と「私」が存在しなければならなかった時代…それは施政者側にとって決してなくてはならない矜持でありながらも、張本人たちでなく周囲の無害な人間、子供たちもが犠牲になることにはやはり涙を禁じ得ません。”施政者の矜持”「公私の区別」といえば、この時代から長いときが立った近代でも変わらぬ覚悟をもって取り組んだ公人・偉人があったはずですが、昨今の政治事情には、国の内外を問わず首を傾げざるを得ません。今もこれからも、「文楽」長く受け継がれてきた人間性のメッセージを通して、私たちはそれを個人の感傷のみに留まらせることなく、政治、国という大きな変わらない流れの中で生きる人々が個々の尊厳を当たり前に保ち、認められ、愛と尊敬を持ってそうした社会を治める「お上」に対し、必要な信頼と、見極める目をもって接していくことをより一層意識していかなければならない――舞台の上で繰り返される、非業の死を遂げる罪なき者たちの姿に、そうした思いをこれからも、新たにしていきたいのです。

(了)

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