見出し画像

平凡だった私の幸せが音を立てて崩れていく気がした、、、先が見えなくて

頚椎損傷のご主人と2人のお子さん(長男4歳、次男1歳)と暮らす、みきたろうさん(31)

ご主人は1年の入院を経て、在宅生活に。現在は障害者雇用で仕事を始め、みきたろうさんもパートで働き始めました。再び家族で暮らし始めて1年が経った今、当時を振り返ります。


事故当時のこと

ーーー事故当時のことをお伺いしてもいいですか?

私たちは2015年に結婚し、長男が生まれました。夫は仕事を独立したばかりで、3人で平凡に暮らしていたんです。そんな中、2018年の8月に夫がトランポリンの事故に遭い、頚椎を損傷(C3~C6)しました。

事故当時、私は2人目を妊娠中。すでに臨月に入っていて、いつ生まれてもいい状態でした。

広島のアパートで3人暮らしをしていましたが、夫が運ばれた先の病院も私の実家も隣の岡山県にあったので、今後の生活を考えてすぐに実家で生活することに決めました。

こんな状態で広島のアパートに帰って出産するのは無理だと思ったからです。


事故の翌日には転院できる産婦人科を探し、お願いに行きました。
ありがたいことに病院はすぐに決まりましたが、こんな状態で本当に出産できるの?と不安しかありませんでした。

そのまますぐ実家での生活を開始し、引っ越しは産後に行いました。

これからどうなるのか全く想像できなくて、絶望しかありません。
毎日、家族みんなでこのまま死んでしまいたいと思って泣いて過ごしていました。


ーーーお子さんはどんな様子でしたか?

長男は当時2歳4か月でした。
病院のベッドに横たわる変わり果てたパパを見た瞬間から「こわい!こわい!」と泣いていて、会話もしたがらないし近づこうともせずにベッドの足元で遊ぶか、誰かにだっこをせがんでいました。

夫は肩から下が全く動かす天井しか見れない状態で、子どもを見ることもできず、呼んでも返事もしてくれずで辛そうでした。

夫がケガをしてからずっと長男は夜泣きをしていて、よく私は「パパはケガしたんよ。痛いからねんねしてるよ。」「ママと一緒に頑張ってな。」と語りかけていました。
まだお話も上手ではなかったので、一方的に語り掛けるばかりで、長男がどう感じていたかはわかりませんでしたが。


不安とプレッシャーが私を追い込んでいく

ーーーご自身はどんな状態でしたか?周りからの理解は?

現実を受け入れないといけないと思いつつも、信じれない気持ちでいっぱいでした。周囲の人の励ましに突き放されたような気がして辛かったです。

「絶対治るよ。」「子どもも小さいのに大変ね。」そんな言葉ばかり投げかけられ、私たち家族だけがポツリと取り残されたようでした

夫ともよくケンカをするようになりました。

夫のケガのことはあっという間にあちこちに広まり、誰にも会いたくない、話したくないと閉じこもっていました。子どもたちだけが癒しで、私の救いでした。

「私がしっかりしなきゃいけない!」と自分自身を奮い立たせたり、
夫をうまく介助できなくて苛立たせたり、「私、こんなことも気づいてあげれないのか。」と自分自身を責めている時期に、周囲からの「あなたがしっかり!」「あなたが支えて!」の励ましはプレッシャーでした。

今もそれは続いています。誰も、悪意はないんでしょうけどね。


全力でぶつかり合った日々


ーーーご主人とのケンカの理由は?

主に仕事のことやこれからのことです。もう働けないんじゃないかなと内心思っていましたから…。仕事を独立した矢先の事故でしたから、先が全く見えなかったんです。

私がキツイ言葉で責めたこともありました。

お互い泣いたこともありました。でも不思議と離婚の話にはならなかったんですよね。苦しくて絶望していても、前を向かなきゃと頑張っていました。


たくさん本音をぶつけ合って、事故後は夫婦の絆がより深まったように思います。

今もたまに喧嘩はしますが入院中から比べれば随分減りました。当時はお互い不安だったんでしょうね。

ケンカをしたらお互い感情的になるので旦那は外に出ていく事が多いですが、数時間したら帰ってきて、話し合いをして仲直りします。

何日も会話をしない時もありますけど(笑)


支え合って生きている

ーーー退院されてから、周りの人の声やご主人との関係に変化はありましたか?

私もメンタルが強くなってきたので、以前ほど気にならなくなりました。生きてるんだから誰でも大変だよーと心の中で思っています。

夫との関係に大きな変化はないように思います。

例えば便失禁をしてしまった時、その時はお互い悲しいしイライラしたりします。でもその時が終われば何もなかったように生活しています。すぐに切り替えが出来るようになり、この生活にも慣れていっているんだと思います。

画像1

夫の身体が不自由なだけで、どこにでもいるような夫婦だと思ってます。私は障害のある夫の妻じゃなくて、彼の妻なんです。私が彼を支えてるんじゃないんです。支え合って生きてるんです。


ーーーご主人とお子さんの今の関係は?

今では子どもたちはパパのことが大好きです。

次男が生後1か月過ぎた頃から子どもたちを連れて病院に通っていました。病院に通うにつれて子どもたちも徐々に理解していってくれたように思います。

他の患者さんとのコミュニケーションを取ったり車椅子の上に座らせてもらったり、先生方とも仲良くなり、リハビリ中のパパをずっと眺めていました。

長男は、時間をかけてだんだんとパパの体の状態を理解していっていました。夫も自分の体のことを長男に説明している姿を見かけます。
「指が伸びないんよー。」「体がビリビリしてるよー」と。

退院してから夫は子どもを抱き上げられなかったり、一緒に走れなかったり、思うように遊んであげられないことを悔しがっています。

上の子を抱えての新生児育児をしながら、病院通いするのはとても大変で毎日必死だったので、あまり記憶がないのですが夫や私の両親がサポートしてくれたおかげで何とか頑張ってこれました。

夫と次男の関係は一緒に成長してきた仲間みたいな感じですね(笑)


共に楽しく生きて行こう!

ーーー周りの人たちの言動で嬉しかったものはありますか?

夫の入院中は、お見舞いに来てくれることがとても嬉しかったです!そして、怪我をする前のように接してもらえるとやっぱり嬉しいです!


ーーー何かご主人や当時の自分に伝えたいことはありますか?

夫には、これからも良い事、悪い事いろいろあると思いますが楽しく生きましょう!って言いたいですね(笑)

当時の私に言いたい事は、大丈夫!今は現実を受け止めることで精一杯だろうけど、将来の君は強くて、めちゃくちゃ楽観的になって毎日楽しく暮らしてるよ。夫の体が不自由なこともたまに忘れてるくらいだよ(笑)

宣伝させてもらっていいですか?夫がyoutubeをしています。


障害があるなし関係なく誰にでも見てもらえるようなチャンネルを目指して頑張ってますので、是非応援してください!



まとめ

みきたろうさんありがとうございました。いつ赤ちゃんが産まれてもおかしくないという時期に、ある日突然ご主人が頚椎を損傷し、先が見えずに押しつぶされそうだったと語るみきたろうさん。

それでも不思議と離婚しようとは考えなかったという言葉に、みきたろうさんの芯の強さ、お二人の絆の強さを感じます。

みきたろうさんのように、多くの脊髄損傷男性の妻たちの口からは「周囲からのプレッシャーや悪気のない励ましが辛かった」という声が聞こえてきます。

ある日突然、生活の全てが覆されるのは事故や病気に見舞われた本人だけではありません。家族もまた"家族"という名の当事者です。

突然の出来事を抱えきれず倒れそうな時に周囲から掛けられる「支えてあげて」「頑張って」という声掛けが、余計追い詰める結果になることもあります。

もう無理…そうやって倒れた時、あなたが欲しいのは声援ですか?それともすっと手を伸ばし、支え起こしてくれる手ですか?


YouTubeで情報発信されているご主人の益々のご活躍をお祈りします。



ウィルチェアファミリーは皆さまのサポートで活動しています。どうぞご協力よろしくお願いいたします。


また、インタビューにご協力いただける当事者の方も募集しています。ご協力いただける方おられましたら、TwitterのDMまでよろしくお願いいたします。






私たちは有志で活動しています。よろしければサポートお願いします。活動費として大切に使わせていただきます。