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【インタビュー】閉塞感と罪悪感。太陽の下で遊ばせてあげたい…核家族、ひとり育児に限界を感じた車椅子ママの決断

二分脊椎という先天性の障害で車椅子生活を送り、日中はひとりで育児に奔走していたぽいさん。
ひとり育児に限界を感じ彼女が頼ったのは?

※この記事の内容は2020年3月、娘さんが1歳の時にに取材させていただいたものをベースにしています。


私の障害は潜在性二分脊椎による両下肢麻痺(2級)と膀胱直腸障害(4級)です。家族は夫と私と3歳の娘の3人です。


私は外では車椅子生活ですが、支えがあれば少しの歩行は可能です。
自宅はバリアフリーにはしておらず、室内ではつかまり立ちやハイハイ、いざっての生活で足やお尻に傷ができやすく感覚麻痺があるため、ケアが大変です。

子どもが生まれるまでは自走式車椅子を使っていましたが、出産後は簡易電動車椅子を主に使用しています。

どちらの親も遠方で、日常的なサポートは受けておらず、家族3人で生活しています。

待ち受けた困難と入園の決断


産前1か月と産後の1か月は新幹線で2時間ほどの距離に住む実母に、仕事を休んで通いや泊まり込みでサポートしてもらいました。
その後も「いつでも頼っていいのよ」と言ってくれはするのですが、
頼ることはほとんどありません。
いざとなったら頼れると思うと、それだけで安心感があります。

実母の帰宅後は、
夫 は仕事が忙しく、まともな休みもろくにない中で
家事育児を率先してやってくれて、私の時間を作ろうと努めてくれ、
娘と2人きりで過ごすことは多かったのですが、ワンオペだと思ったことはありません。

ですが、キツイものはキツイと思うことが多々あり、
日に日に成長していく娘の世話を、一人ですることに限界を感じて
娘が1歳を過ぎた頃、保育園に入れることにしました。


保育園に入れると決めた理由はいろいろありますが、夜泣きで夜寝れない上に、常に子どものことを意識せねばならず気持ちが張り詰め、私が精神的に追い詰められたことです。夫も協力的、娘も健康的に育ってくれていて、幸せそのものではあったんですが

ずっと密室で娘と2人きりで生活していて、何か間違いを犯してしまわないかと毎日想像するようになってしまいました。

産後、ずっと外の世界と繋がりを持つことに抵抗を感じていましたが
繋がりを作って誰かに手を借りないと育児できないと強く感じました。

支援センターも近所にありますが、自力で連れて行くことは難しく
行くに行けず、保活をはじめました。


命を削って育児に奮闘

常に追い詰められているプレッシャーと寝不足は特に辛かったです。障害ゆえのしんどさとしては、自分自身の体のケアに割く時間が取れなかったことです。

水分補給すらする時間がとれず膀胱炎になったり、じっくりトイレに入る時間も取れず排便も中途半端。
傷ができても処置を後回しにしがちになりますし、ストレッチや運動まではとてもまわりませんでした。

障害や病気を抱えている場合、ケアを怠ることが直接命に関わる場合もありますが、そんな時間も体力もどこにもありませんでした。

もう1つ辛かったのは、外出が気軽にできなかったことです。
これは居住環境や周辺環境も大きく関係してくるので、障害のせいだけとも言い切れないのですが
私は散歩に連れ出すのも一苦労なのでお互いの気分転換が全くできないのも辛かったです。
娘をずっと閉じ込めっぱなしになって、申し訳なさを感じていました。

娘がこれから社会に出ていく中で、母親が車椅子ユーザーであるが故にこんな風にうまくいかないことがでてくるのかな…と不安でした。


お散歩が気軽ではないというのは、日々の家事や育児で体力を使い果たし、気力も体力も残らなかったんです。
世のお母さんは一体どうやって支援センターに行ってるの?と疑問でした。

散歩の準備だけで20分も30分も掛かり、準備が終わったころにはへとへとです。自宅内がバリアフリーだったらこんなに苦労せず散歩に行けていたんでしょうか?

でも、ただ自分の「面倒くさい」という気持ちのせいではと思い、自分を責めました。


それに、怖かったんです。
近所と言えど自分一人で娘を連れて散歩に出ることが。

娘がお座りするようになってからは、散歩に行けない日はベランダにマットレスを敷いて日光浴をして外の空気を吸わせていました。
歩けるようになってからは、散歩の準備が随分楽になりましたが
今度は自由に歩き回る娘を外で追いかけるのが大変で、散歩に行けない日々でした。

それでも太陽の下で動かしてあげたいのでベランダで安全確保した上で歩かせていました。


試行錯誤

室内では私1人の時は娘を抱っこしていざったり、肩に担ぐ感じで抱えて伝い歩きをしていました。10kgを過ぎてからは難しく、子どもを移動させたいときは、誘導をして本人に歩いてもらっていました。

私は障害の関係で排泄には時間がかかります。まとまった時間が必要で、なるべく子どもが寝てる時や機嫌よくひとり遊びしているときにしていました。
長くトイレにこもるときはTVをつけっぱなしにして、罪悪感がありますが割り切るしかありませんでした。

タイミングが合わずギャン泣きされることもありましたし、子どもで手が離せなくてトイレが間に合わず失敗することもありました。

排便は一日がかりになってしまうため、日にちを決めて薬を使って行いますが、排便の日や体調不良の日はおむつを履いた上で捨ててもいい部屋着を着て、ダメージが最小限になるようにしていました。

排泄で子どもの1日のスケジュールがズレたり、放置することになるのが気になってしまって
できるだけ夫の休みの日にするように調節していました。

低月齢の頃はハイローチェアに乗せてトイレ前まで連れて行ったり、夫や母に子どもを連れてきてもらいトイレで授乳したりもしていました。

ハイハイするようになってからは、リビングにベビーゲートを設置して安全確保しました。
何しているかは音で判断しますが、心配なときはスマホとタブレットをテレビにつなぎベビーモニター代わりにして様子を見ながらということもありました。

育児支援との出会い


あれから3年が経ち娘も今は3歳です。
育児支援は娘の朝の支度、保育園送迎、小児科への通院等をサポートしてもらっています。
それ以外にも家事援助も受けています。
依頼はしていませんが、調理や買い物や自分の通院に同行してもらう事も可能です。

障害福祉サービス受給者証は
区分4で支給決定内容は居宅介護と重度訪問介助です。

時間は1時間半入ってもらっています。

我が家は娘が1歳の時に保育園に通園が決定したタイミングでヘルパー制度を利用し始めました。
抱っこして登降園してもらったり、保育園の教室内での支度などサポートしていただいて助かっています。この先子どもが小学生になった場合、どんな支援を受けられるのか、どんな支援が必要なのか、まだ未知な部分が多く不安はありますが、思い切って行動して良かったと思っています。

障害や病気があっても車椅子に乗っていても、家族を持つことが当たり前の人生の選択肢であるという世の中になって欲しいです。

これからパパやママになる方、なりたい方々は自分たちだけで頑張ろうとせず、周りに助けを求めて育児をして欲しいです。
頼れる人がいる場合は事前に親族や友人などと緊急時の対応など話し合っておくと安心ですし、そうでない場合は早めに行政や病院で相談し、支援の輪を広く強くしておくことをおススメします。

ファミサポなども緊急時に利用できるように、体制を整えておくと良いと思います。

子どもはとってもかわいいです。誰もが育児を“楽しめる”世の中になるといいな!
そう思います。


まとめ

障害をもって家庭を持つということは、「障害のない人が感じる困難がより強調され、新たな困難を生む」のかもしれません。ぽいさんの場合も、赤ちゃんを連れての外出の大変さや、落ち着いてトイレにも入れない大変さなどが、障害があり時間がかかるがゆえにより強調されてしまったのではないでしょうか。

だからこそ支援の輪を築き、多くの手を掴む勇気が必要だと思います。何とか必死に頑張ることができたとしても、親が自分のケアを怠り倒れてしまった時、困るのは子どもです。

障害のない親であっても、育児は多くの手を必要とします。できることは自分たちで、難しいことや大変なことは人の手を借りる。

核家族社会でなかなか支援の手を得ることは難しいかもしれませんが、伸ばした手を握ってくれる人に出会えることを願っています。

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