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「ママ、そんなに仕事が大事なの?」シングルマザーの私が頚椎損傷に。その時息子は・・・

私はシングルマザーとして2人の子どもを育てています。上の子は既に独立し、年の離れた下の子と2人で暮らしています。(まことさん)

下の子が5年生の頃、私が交通事故に遭いました。ケガはそう酷くなく入院もせずに自宅に帰り、いつものように月に200時間の仕事をこなしていました。

異変

事故後1か月が過ぎた頃です。足のもつれと両手の痺れが強くなり、日増しに歩行困難と握力の低下が強くなるではありませんか。動きが遅くて仕事が遅れ、帰りが遅くなるか一旦帰宅して息子に夕食を食べさせてまた仕事に行く日々でした。

「ママ、そんなに仕事が大事なの?」息子にそう言われました。何言ってんのよ、そう思って仕事に行きました。

体が思うように動かないことに痺れを切らし、セカンドオピニオンを受けました。もともとあった頚椎脊柱管狭窄症が事故で悪化したのだろうということで、このまま放置するとよくないと言われ手術することになりました。身寄りがなく頼れる先がなかった私は、息子をどうしよう?と思いました。

息子には「これ以上悪くならないために手術をします。」と伝えました。彼はぽろぽろと涙を流しながら「俺、1人になるの?」と…。

胸が締め付けられる思いでしたが、このまま放置すると2人で生活ができなくなるんだよ。「今の生活を維持するために手術するしかないの。」と、繰り返し説明しました。

小学校5年生の息子は家庭療育センターに預けることになりました。最長5日の施設ですが入院の予定が10日間だったため、最長10日間が認められました。約束の10日が過ぎれば、息子は児童相談所に収監されてしまいます。心細かったと思います。

入院し、手術直前に学校に電話をして話をしました。「終わったらまた電話するよ!」って。

麻酔から覚めたらもう夜でした。慌てて施設に電話を入れると息子は冷たい反応でした。あとから施設の人に聞くと、電話が来るまでずっとそわそわして落ち着かなかったそうです。

それから10日の予定を意地で5日で退院しました。その足ですぐ学校に顔を見に行き、「1日だけ施設で寝たら、おうちに帰ってきてね。」とハグしてお別れしました。その時はまだなんとかよちよちと歩けていました。


張り裂けそうな息子の心

それから転倒を繰り返して、どんどん歩けなくなっていきました。最終的な診断は[長期圧迫による頚椎損傷C5C6]でした。


お手伝いなんてさせたことなかったのに、「大変だから俺がやるよ!座ってて」率先してやってくれていましたが、長続きはしませんでした。しばらく経って三者面談の日、先生から息子はこう言われました。

「お母さん大変なんだから助けてあげなきゃ」「もう11歳なんだから自分でできるよね!しっかりお母さんを助けて」「偉いね。ちゃんと手伝ってあげなきゃ」

それを聞いた息子の顔つきは少しおかしな感じでした。色んな人に「しっかりしたね」と褒められましたが何か違っていました。

まだ11歳です。


今まで通りに仕事に行き、だんだん手術前より状態が悪化していく母親に

「俺をひとりにする気なの!?」「手術したらよくなるって言ったじゃん!!」「俺はいつまで頑張ればいいんだよ!!」

泣きながら訴えてきました。


このままじゃいけない

色んなことが重なり、気が付くと家ではお手伝いもしてとてもいい子、学校では悪の限りを尽くすようになってしまい私も困り果てました。

私も心のどこかで「大変なんだから手伝ってくれて当然」と思っていたのかもしれません。「どうしたらいいの?」と聞いても息子は無反応でした。

このままではよくないと思い、自費でヘルパーさんを頼みました。困っていても症状固定しない限りはヘルパーさんは自費になってしまうんですね。

彼が学校に行っている間にヘルパーさん頼みで、すべての家事を済ませ、ケガをする前と同じように夕食を作って「おかえり」と彼を迎えました。

「人はママを手伝ってあげてっていうけど、ママは自分でできるから大丈夫。手伝いはしなくていいよ」と伝えました。


凄くお金はかかりましたしヘルパーさん任せではありましたが、自分の生活を何とか回し、息子を安心させることに尽力しました。


車椅子だけどママはママ

装具を作ってリハビリを死ぬほど頑張り、やっと立位がとれるようになった頃、ようやく自然に受け入れてくれるようになりました。


息子「ママ指相撲しようよ」

私「は?何言ってるのよ。ママは指が動きませんっ」

息子「あ(笑)そうだった」


そんなブラックジョークも含めた親子の会話を楽しめるようになった頃、学校でも落ち着き始め、友達を連れてくるようになり嬉しかったですね。


「車椅子乗っていい?」「(友達を)車椅子に乗せてあげていい?」

徐々に車椅子に乗る母親を受け入れて行ってくれました。車椅子に乗っていてもママはママで何も変わらない!


6年生の終わりごろ、息子の発表会がありました。体育館は校舎の3階で、這ってのぼればいいかと思っていたら、同級生のお父さんがおんぶしてのぼってくださいました。他にもサポートしてくれる大人が増え、「お手伝いをしないといけない」ではなく、「彼は十分に頑張っている!偉い!」と息子を見てくれる人が増えてきました。

卒業式には上の子を呼び、お姫様抱っこで3階まで運んでくれました。下の子は車椅子を運んでくれました。

「ママ幸せだなー」と呟いたら、下の子がこういいました。

「お兄ちゃんはママが車椅子で嫌じゃないの?」

上の息子はこう返しました。

「ママはこのくらいがちょうどいいよ。ママはヤベーんだ。だから車椅子に乗ってるくらいがちょうどいいんだよ。」

と、過去の悪事を暴露されました(笑)


反抗期真っ盛りの今は、下の子もママが車椅子に乗っていることより派手な格好や髪型をしていることの方が嫌だというようになり、部活の試合を見に行きたいので髪を染めるのはやめました。


あなたがいたから頑張れた

一度だけ言ったことがあるんです。

「もしママが死んだら、一生暮らしていけるくらいのお金が入ってくるから大丈夫だよ。」

そしたら息子はこういいました。

「俺をひとりにしたいの?一緒にいたくないの?」

お金より私の方が大事なら、ママ頑張るよ。頑張るよ!!


目の前で崩れていく息子を見ていると、私は頑張ってリハビリする!自立する!それしかありませんでした。

私が病まずにいられたのは、守らなきゃいけない息子がいてくれたから

「もし再生医療を誰もが受けれるようになったらどうしますか?」そんな話をある重度障害の方としたことがあるんです。私の答えはNOでした。

障害を持って不便なことはあるけれど、障害を持って得た色んなものを、今更捨てるなんてもったいない!そう思うんです。



まとめ

貴重なお話をありがとうございました。

ある日突然、車椅子が必要になったとしたら
あなたは家族を守れますか?大切な人を守れますか?

もしも頼る人がいなければ
もしも誰かを頼るより、誰かに頼られる存在で居なければならなかったとしたら……。

その時あなたは崩れず、踏みとどまれますか?




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