散歩の先に見えたもの


今日は12:30に授業が終わって、残りの授業はもう行く気になれなくて行かなかった。
でもそれはネガティブな「行きたくない」や「行かない」ではなく、今日は違うことに時間を費やしたい、そんな感じだった。


思い立ったら結構歩き出しは早く、とりあえず電車に揺られ昼の日差しに照らされやや暖かな中央線に揺られながら東京のどこに行こうか考える。最終到達点は決めてある。無論隅田川沿いのベンチ。お気に入りの場所。


スマホとにらめっこの末決めた。
「上野公園で何か見よう。」

路線検索をして初めて気づいたのだが電車に10分か15分くらい揺られれば大学から上野には行けるらしい。東京の電車は不思議なもので点と点を繋げばどこに行くにもかなり近いのだが普段使わない路線のことは全然分からず、行き先が遠くに思えてしまうことがある。

上野も池袋も行こうという気さえあればすぐいけるんだなーなど思っているとすぐに着いた。平日とは思えぬ人の多さにやや驚きはしたがスタスタ歩いてまわる。


すれ違う人は学生や子供連れの夫婦、カップル年配の方など多岐にわたるが自分のようなおひとり様20代はどうやら少ないようだ。

歩いていくと真っ直ぐ行った先に上野動物園があったがなんとなく1軒目じゃないなという気分になり、まずは国立博物館へ向かうことにした。

右折して真っ直ぐ、噴水を通り過ぎるとすぐに突き当たりに。交差点を渡り、有人のチケット売り場へ。

学生証を見せるとどうやら「キャンパスメンバーズ」というのに大学が加入しているため無料で入場できるようだ。そういえば入学当初に様々な美術館や博物館に無料で入れるというようなことを言ってたような気もする。

数年前まで「誰が好き好んで博物館やら美術館なんか行くかい」と思っていたが不思議なもので今はそういった時間の過ごし方は案外有意義なものだと思える。

そんなこんなでおそらく30分から1時間くらい?散策した。まぁあんなものは正直その場で知的好奇心こそくすぐられるものの家路につけば何を見たかなんてほとんど覚えていないものだ。

実際私が覚えているのは「根付」の展示だ。あれはフィギュアやミニチュアのような類の愛らしさがあり非常に心惹かれた。それ以外はうーん、太刀などを見たはいいがあまり良さは分からず。アイヌのコーナーで「ゴールデンカムイ」のような衣服展示されていたことに少し心躍らせたくらいだ。


博物館を出ると2軒目として佇む「上野動物園」へ向かう。こちらはキャンパスメンバーズ適応外だがまぁ仕方あるまい。600円を支払い入場する。入場後まず見えてくるのは愛くるしい動物達ではなくヒトの群れ、つまりはパンダ目的の行列である。

大してパンダに思い入れのない自分には本当に興味が無いものだったが私はいつもそう、大衆迎合的な無思考と思わしきことを嫌う。しかしただ迎合したくないという無思考に陥るのも私は心外だ。ここは何か時間を費やしてまで見る価値のある何か(まぁパンダなのだが)を求めて行列へ並ぶ。

この行列、回転が早いため。見た目ほど待たされずものの20~30分でパンダをご尊顔。と思いきやこれだ。

30分の並びの末2秒だけ見れたシャンシャン(?)

価値というのは人それぞれなのだな。そう思った。結論上野動物園にはこれ以上に可愛い動物はたくさんいる。これはあくまでシンボル、自己の体験の善し悪しではなく家に帰った際や他者にその場での体験を伝える際、上野動物園に行った感想として「パンダ」に関する情報がないことを避けるための30分だった。

そういうことにしたし皆そうなのかもしれないとも思った。この行列に並ぶという行為に費やす時間は結果的に行動の意味について深く考える時間となったし、ある意味有意義な時間であったと思えばこのそっぽを向いたパンダからもどことなく哀愁を感じるのは私だけだろうか。

こちらも博物館同様なんの動物を見たか事細かには覚えていない。昔から好きな猛禽類、シロフクロウは可愛いと思ったが猛禽類カフェなら触れるのになと思った。動物は皆元気がなく見えたし、途中思考が2周3周し、恐怖を覚えた。

人間のエゴで狭い檻に閉じ込められた動物、可哀想だ。出してあげたい

いやでも檻の中と外はどう決まるんだ、彼らから見れば檻の中にいるのはこちら側なのだろうか。

いやそもそも対人間において我々は周囲の目に晒され続け、少しでも他者と異なる行動をした場合、嘲笑、攻撃の的になる。我々こそ社会という名の檻に、パノプティコンに捕えられた悲しき動物では無いか。


何だこの思考、こんなことばかりこねくり回しているから恋人はおろか友達もできないんだ。
世界は思ったより上辺で回っている。行動や思考の浅い深いばかり気にしてるのは自分のようなコミュニーケーション能力に乏しいおひとり様大好き陰キャだけだ。


話が脱線した。上野動物園個人的no.1キュート動物は……



なんちゃらアリクイだ。

なんちゃらアリクイ


アリクイという生物をまじまじと見たことがなかったが案外可愛い顔つきをしているし、のそのそとした歩き方に「萌え」すら感じた。

こうしてこちらも1時間ほど練り歩いた末に退場。
1つ疑問に思ったのは「果たして動物園がデートスポットとして適しているか」ということだ。

やたらカップルを見るが正直ロマンチックでもないし動物たちも元気はなく、なんとなく盛り上がっているように見えるカップルは見受けられなかった。


ちょうど最近見たサブカル若者向け何か言いたげコテコテ恋愛映画の「愛がなんだ」でも動物園にデートに行くシーンがあったが2人でぼーっとゾウを眺めて何かを語り合える位の関係性が「付き合う」という儀式を成功させるには必要なのだろうか。

この世には非体験の理屈や論理では到底語れないこと理解できないことが山ほどあるとは思うが、これもまた本当の意味での「男女が付き合う」を体験していない私の戯言なのだろうか。いつかこの文を見て恥ずかしいと思うことがあるのだろうか。難しいなぁ。

こうした童貞丸出しシンキングタイムを終え、私は錦糸町へ着く。錦糸町はいつかちゃんと飲み歩きたいと思っている場所だ。が、如何せん友達がいないのでそんなことは……なんてまた卑屈な話をダラダラしてもしょうがない。

ぼーっと駅を出て真っ直ぐスカイツリーを目掛けて歩き出す。
このスカイツリーへ向かってただ歩くというのは何度かやっているのだが毎回気分がいい、何故だろう。
私は勝手に「参勤交代の気分」と思っているのだが果たして参勤交代が楽しいものだったのかは知らない。
ただ、ある目的の場所に向かって道も調べず適当に歩くという行為を楽しいものと感じる人は一定数いると思う。

そして道中は様々な出会いが私の心を動かす。
地域に根付いたおばあちゃんが営む焼き鳥屋で焼き鳥を買い、また別の老夫婦が営む肉屋でカニクリームコロッケを買い、通り過ぎる中学生、公園で屯する小学生、驚くほどゆっくり押し車を押して歩くおばあさん、それらを通り過ぎながらただひたすらスカイツリーに向かって歩き続ける。

まさかこの中のある出会いがその後重大な事件を引き起こすことになるとは、当時の私は知る由もなかった……。

少し日の落ちてきた墨田区の都会的であるが風情を残す雰囲気が好きだ。そしてその立役者とも言えるスカイツリーは不思議なものでそこを眺めている間はなんとも美しいが実際そのものであるソラマチにたどり着いてしまうとそれはもう幻滅せざるを得ない。

流行を追い、購買欲を煽られ、作られたロマンチックに傾倒する「エモ」に取りつかれた老若男女達。
欲にまみれたただ高い塔の下にあるだけの平均物価高めのショッピングセンター。美味しいスイーツがある点は認めるが。

だから私はあまりソラマチにはいかない。あれは遠巻きから眺めるものだ。特に隅田川越しに見るスカイツリーはどんな夜景より好きなのだ。

2022年12月2日 17:00頃のスカイツリー


日々疲れが溜まる窮屈で理不尽なこの世界に頼んでもいないのに産み落とされたことを憎み、悔やみ、悲しんだことも全て忘れて、この景色を見ている瞬間だけは自分がなぜ今ここにいるのか少しだけ分かった気がするのだ。このただ高いだけの光る塔にはなぜかそんな力があるのだ。
Always三丁目の夕日で東京タワーに思いを馳せる少年も今の私とおそらく同じ気持ちなのだろうと思う。
しかし不思議なことにもしまた次にスカイツリー以上に高い塔が東京のどこかに建てられる時、その塔に「エモ」は無いのではないかと思う。理由は分からない。スカイツリーで終わらせてほしい。スカイツリーが最後のエモい光る塔であってほしい。

私はこんなことを考えながら恍惚とした気分で隅田川沿いをただ歩いた。この日の万歩計は既に20000歩を超え、履いている中華製の安い合皮靴のせいで足は悲鳴をあげ始めていたし、大したものも口にしていない。それでも美しいものはそんなことを忘れさせる力がある。
この隅田川を両国駅方面に下って行ったところ、私のお気に入りのベンチにようやく辿り着く。

私はそこで先程購入したカニクリームコロッケ、カキフライ、焼き鳥を広げ、1人で宴を開くのだ。

ビールは買ったが、飲まなかった。お酒で流し込んではいけない時がそこに流れている気がしたから。

もうすっかり冷めてしまったそれらは何故か美味しかった。しかしタレ味の焼き鳥をパックのまま詰め込んだ私のバックはベタベタになり、本や教科書もまた、ベタベタになっていたのだった。

ふ、まぁそれもまた一興。とはいえないレベルで汚れていたため普通に落ち込んだ。

そして結局食べ終えてそそくさと帰った。

両国駅付近で100均の閉店セールがやっていた。私はそこでウェットティッシュを購入しバックの中を一通り拭いてから家路に着く。満員電車がいつもほど嫌じゃなかったような、そんな気がする。

1人で回ったプチ東京観光は親と会話するにはネタが多すぎて、私は温かい夕飯を頬張りながら夢中で上野までシャンシャンを見に行くことがいかに無価値かを母親に熱弁するのであった。

その日20000歩東京を散歩した先にあったものは、
ベタベタのリュックとかけがえのない1人の時間、そして帰ればいつでも夕飯を作り、話を聞いてくれる親への感謝であった。ありきたりで月並みでも、事実そう思ったのだ。
いつか住むなら墨田区がいい。スカイツリーがあって、隅田川があって。なにより都営浅草線に乗れば1本で実家に帰れる、これが一番の理由かもしれない。

私の20000歩を彩ったプレイリスト

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