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俺はまじで死ぬに死ねないよ、といった同僚

ある同僚の話。細長い人なので長さんとしよう。

長さんは、スキニージーンズを愛用し常に一階の喫煙所にいて、趣味は麻雀という、いかにもチョイ悪に見える上海人である。技術はあるのだが、怒りやすい気質が災いしてお客さんや同僚と小競り合いが多い。私は仲良くやっている。

ゴルフを始めた、というので「キャラじゃないやん」と馬鹿にした。すると、もう40半ばだし前好きだったサッカーをやるのは厳しい。ランニングは辛いだけでやりたくない。それでは、ということでゴルフを始めたら体への負担も少ないし丁度良いし、地道に練習して効果が出るのが意外に楽しいらしい。本来ちょい不良の性格な彼が日系企業でTHE中間管理職をやっているわけなので、ストレスも大きい。今日のランチも愚痴が色々出てくる。ゴルフがストレス発散になることを願いたい。

年齢の話になり、やっぱり健康に気を付けないといかんね、という話題が出てくる。そういえばこないだの健康診断でちょっと気になる結果があってね、念のため精密検査やんなきゃいけないんだ、と長さん。

「我真的没法死,上下都有他们(死ぬに死ねない、上には親、下には子供がいる。)」冗談口調ではあったが、ものすごい責任とプレッシャーを感じた。日本でも40代の人の多くは、親も生きており子供もいる、という世帯構成は一緒だと思うかもしれない。けれど、今の40代の親世代60~70歳くらいの老人の子供への依存度は、日本のそれよりもずっと高い。同様に、一般的に中国人の親の子供の教育への投入(時間・金銭)ともに、日本よりもかなり大きい。

彼は確か離婚していて、子供一人を自分の親と育ててきている。そんな環境のなか、「もし自分が死んでしまったら、残された人が本当に生活できるのか?」という切実な不安は、同じ世帯構成の日本人が抱えるものよりも大きいのではないだろうか。(感情的な部分ではなく実生活が成立するか、という不安)子供がおらず、親は自身の老後の段取りをつけてくれている私は、彼の責任感に頭が下がる思いだった。

中国の人は家族の絆を大切にする、というのは中国トリセツの文脈でよく見る描写であり、多くの人が聞いたことがあるだろう。しかし、そのような関係性から生まれるのは深い愛情や帰属感といったポジティブなものばかりではなく、責任感やプレッシャーも確実に存在することを折に触れて認識させられるのである。

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