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生んだ日

昨日あまりに眠くて9時には寝てたから10時頃メッセージきてたのを明け方うっすらみて、京都ツアーの日は夜中にライブがあるから子を預けられないことがわかって眠いながらもぐったりベッドからでれない。誰に頼ればいいのか、頼り方もワカラナイ。

なんとか散歩に出て幸せになって帰ってきたら、昨晩血圧があがって舌がもつれたから病院行きたいと言われてさらにパニック。
わたしはこういうとき心配よりも、面倒だなと思ってしまうしホスピタリティもない。あったとしてもあの時使い果たしたか、あるとしたら使うべきところに使いたい。
予定が狂うことへの対処(できないこと)に焦って、わたしには無理だと絶望に落ちる。人間だれもがそういう時うまく対処できるわけじゃないし、優しくしてあげれるわけじゃない。得意不得意。
出掛けに一緒だと、準備が遅い人のペースに巻き込まれて、エネルギー吸い取られるから家は先に出る。
予定してた用事を済ませて、ひとり病院の受付へ。案の定30分くらい遅れてきたけど、診察は1人で入ってと言われたから通訳を逃れられてホッとする。
待ち時間、保険にも入ってないしここで入院とかなったらどうするのか、今日のバス予約したのに、保育園やすんだのに、遊園地行く約束したのに、どうすんの?一通り考えてぐったりしてたら、ストレスが原因だってーとスッキリして診察室出てきて、なんだよ、またかと、おもってしまう。
かまってほしいとか、見てほしいって、お腹いたいとかいう子供みたいなことばかり。大袈裟で、それは言いたいだけだからと思えれば楽だけど、間に受けちゃう。

誕生日付近は色々あると言ってたのはこういうことかと思う。
子供の誕生日は、わたしが出産した日だと、気づいてなかった。
わたしが死にかけた日だった。誰も助けてくれないと感じた日。あの日も不在だった。誰も頼れないと、強くならなきゃと。
あの時キューバの病院で、わたしは苦しみながらも死ぬ気はなくて、ただ怒りに満ちていた。まわりは死ぬとおもってたらしい。
それnoteに書いたっけか?まだ出しきれてないかも。

あの時手放すべきだったとおもう
ただ、あの時手放せなかっただけ
今はもう大丈夫だと、解放してあげる

子供を悲しませないように必死で我慢して、泣きたくても泣いてはいけないと言われたあの時もわたしの誕生日と子供の誕生日期間で、その日超絶ストレスの中モス食べたらそれから半年治らない吹き出物がでたんだっけ。腸が停止してた。

今日クアアイナでハワイアンが流れてて聴いてたら涙がぼろぼろでてきた。あの時我慢した分かもしれない

失った時間をとりかえしたい
自由になりたい

生まれてきてくれてありがとう🌺

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