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音が聞き取れるからというだけで

 みんなは英語の発音は英語の教科書や単語帳にカタカナで書き込んでいた。私がそれらにカタカナで発音をメモしているのが見つかると、よく母親に引っ叩かれていた。頬を手で叩かれることもあれば、手に持っている教材で頭を引っ叩かれることもあった。

 母は大学の英語の教師で、私が中学で英語の授業が始まってからは、兄弟三人いる中でたった一人だけ英語の発音とアクセントを私に教えていた。定期的に英語の教科書であろうが、塾の単語帳であろうが、とにかくその時にやっているものを持ってくる様にいい、その時に私がカタカナでメモでも書き込んでいようものなら、容赦無く引っ叩かれた。英語の発音は発音記号で読めるようになりその音を作れる様になるもので、カタカナを読むのではないとの理由だった。

 気まぐれに呼ばれて目の前で発音の練習をさせられて、間違えると叩かれるのをずっと繰り返していると、なぜ叩かれなければならないのかもわからないし、機嫌が悪いのの憂さ晴らしにすら思えることも多かった。

 日本の人が苦手とされるBとVの違いやRとLの違いはもとより、「a」ひとつとっても発音が幾つもあるし、「n」「m」「ŋ」の音など気をつけることやFやVで下唇を噛むこと、THの時に舌を噛むこと、さらには単語のアクセントの位置など、理解して覚えることが山ほどあった。母が音を作って出す時もあったけれど、テープで音を流されてそれと同じ発音で同じアクセントで真似るという練習を何度も何度も繰り返させられた。

 単語単位では何となく作れる音まねも文章になるとうっかり間違えてしまうと、「怠けるんじゃない」と言ってよく頬を叩かれたのも覚えている。この文字の時はこの音を作るというのを意識して発音しないと、兄弟三人で姉も兄もいるけれど、彼らはこのような練習をせずに教科書や単語帳に発音をカタカナで書いているタイプだったけれど、なぜか私は定期的に発音の練習をさせられて、頬を叩かれるという日々を送っていた。

 おかげで塾でも学校でも私の手元にある英語の教材にはカタカナは一つも書かれてなくてアクセントと間違えた発音のところに発音記号が書かれているだけだった。

 ある時、なぜ私はこんなに定期的に発音の練習をするのを尋ねたことがあった。母は、上二人は音が聞き取れないからやっても無駄だと言った。彼らが私くらいの時に、同じようにテープを聴かせて違いを聞き取れるかどうかを試したらしいが、その時に二人とも日本人が苦手とされる発音の音が聞き取れなかったから英語を仕込むのをやめたのだそうだった。ところが、末っ子に試してみたら、テープで流す音の違いを聞き取ることができたから、発音を教えようと思ったとのことだった。

 結局、中学に入ってから高校3年の途中くらいまでで、この英語の発音の練習は続いた。高校3年の途中くらいになると発音記号があれば音を読んで自分で作ることができる様になったからだ。それからはいつの間にかその練習の日々は無くなった。

 最終的にアメリカに留学することになって、英会話に通ってない私でも何となく音が作れて、受験勉強の英語のおかげで何となく文章を作れる私にとっては聞き取るのは大変だったけれども、相手に自分の意思を英語で伝えることな何となくできた。

 そうしてアメリカで暮らしていて、知らない単語を調べる度にアクセントと発音記号で音も確認して記録するという癖がついて、それはアメリカから帰国してもそのままだった。自分でもこの発音記号とアクセントの確認やそれから音を作るということをなんとなく身につけることができたのは自分の財産になったと思うけれど、それでもやはり何故私は発音がきちんとできないことやアクセントを間違えただけであんなに叩かれたのかがやっぱりわからない。

 

 

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